日本の首相であった枢木ゲンブは死んだ。その一人息子の手によって、殺された。その事実は闇に隠される。
枢木ゲンブは日本を裏切り、勝てもしない戦争に追いやり、瓦解したその日本の実際的な権力を握ろうと画策していた。その裏でどういった取引が行われたかということは、彼の死んだいますべては闇に葬られてしまった。
しかし枢木ゲンブが死んでも、戦争はもはや止めようもなく起こってしまった。日本が勝てるはずもない、一方的な戦争。
その戦火の最初の口火で枢木神社は焼かれ、スザクたち三人は焼け出されてそこを逃げ出した。大人たちがどうなったのかすらわからない。もはやどこに逃げるべきなのかも、なにを頼ればいいのかもわからぬまま、ただ彼らは戦火から逃げた。
焼かれていない街まで逃げられれば、どこかで枢木の係累に連絡をつけることもできるだろう。そう話して戦火に焼かれた町を歩いた。歩けない少女を背負っての道行きは、そう早くは進まない。ルルーシュや交代したスザクが疲れるより先に、少女の方がしがみつき疲れてしまうのだ。
夜になっても人のいる場所にはたどり着けず、焼かれた町の瓦礫の影にナナリーを横たわらせると、その場で夜が明けるのを待つことになった。
屋根もない夜空の下で、ケットに包まれた少女は、それでもやすらかに眠っていた。おそらくそばにルルーシュとスザクがいるからだろう。二人がそばにいれば、どんな場所でも安全だと彼女は安心しきっているようだった。
ナナリーの横に二人で腰を降ろして、その寝顔をながめた。そのおだやかな表情はスザクにとって誇りだ。ナナリーの寝顔とそれを見つめるルルーシュの瞳。それを守ったのは自分だという自負がある。
父親を殺して、日本を混乱の中に落としても、スザクの中に後悔はない。それはスザクにとって必然のことだった。ルルーシュに誓った。彼らを守るのだと言った。それはスザクにとって絶対の正義だったから。
ルルーシュはスザクがやったことについて、なにも言わなかった。謝罪も責める言葉もどちらも口にしない。だけどスザクはあの日から、ルルーシュがさらに近くなったような気がしていた。ルルーシュとスザクは共通の秘密を抱えている。互いにかわした誓いの中で、その意識は二人の中にだけ通じるなにかを生み出した。
「スザク」
ナナリーの寝顔を見つめながら、ルルーシュは静かに口を開いた。スザクがその言葉を聞き逃さないように体を寄せると、彼の方も少しスザクの方に体をずらした。
「僕たちは記録上、もう死んだことになってる」
スザクと肩をふれあわせながら、肌から伝えるような小さな声でルルーシュは言った。闇の中に溶けて消えて行くような、それは秘密めいた声だった。
「母親の後見だった貴族が手回ししてくれたんだ。そうするより他に、僕らが生き延びる道はないから…」
己の生き死にを語っているのに、ルルーシュの声はどこまでも静かだった。それは信じているからかもしれない。彼の見つめる先、妹のやすらかな眠りが守られることを。自分の力を。あるいは自分が手に入れた、誰かの力を。
「僕らはこの先隠れて生きることになると思う。ひょっとしたら、日本の力もブリタニアの力も及ばない国に行くことになるかもしれない」
静かに発せられたルルーシュの言葉に、スザクは弾かれたように顔をあげた。ルルーシュがどこか違う国に行ってしまう。日本でもブリタニアでもない、どこか遠い国に。そんな…と思って上げた視線は、ルルーシュの視線とバチッとかち合った。
まっすぐに自分を見つめられて、スザクの呼吸が止まる。吸い込まれそうな紫の瞳。初めて見た時にあっという間にスザクを虜にしてしまった、世界を映すその瞳。
「スザク、一緒に来ないか?」
じっとスザクを見つめて、ルルーシュははっきりとそう言った。静かだけれどたがえようのない、それは強い意志のこもった言葉だった。
「君に…一緒に来て欲しい」
そうルルーシュが言って、それにスザクが答えようとしたその瞬間だった。ほほえみを浮かべながらうなずいて、ルルーシュに手を伸ばそうとしたその時。
「───なんだ!?」
カッ、とあたりを切り裂くような光が、突然頭上から降った。それと同時に、ゴゴゴゴと空気をふるわせる轟音が夜空に響き渡る。
「お兄さま、この音は…?」
「ルルーシュ、あれ…!」
轟音におどろいてナナリーが飛び起きる。スザクは素早くあたりを見回して、光の発せられた先を指さした。そこには夜空に瞬く星を遮る、飛行物体があった。サーチライトで地上を照らし、彼らを探すために来たとしか思えない精度で三人を照らし出す。
「あれは…アヴァロン……?」
その飛行する物体に見覚えがあるのか、光のまぶしさに手をかざしながらルルーシュが頭上を見てつぶやいた。その物体は間違いなく三人を探し当てると、彼らを照らし出したままゆっくりと近くに降りてくる。
それが音をたてて着地すると、ハッチが開いて、中から数人の人間が出てくる。中心に立つ一人をのぞいた全員が銃を構えており、彼らはその一人の人間を守るようにあたりを警戒している。それを当然のことのように受け止めて、その人物は実に優雅にスザクたちのいる所へと歩み寄った。
「やあ、ルルーシュ。無事だったね」
金髪碧眼のその男がルルーシュを見てほほえむのに、スザクはなぜか暗い気持ちにおちいる。ブリタニアの人間がルルーシュたちを保護しに来た。それは喜ばしいことのはずだ。見捨てられた皇子と皇女をまだ救おうとしている人間がいる。それはルルーシュたちにとって、この上ない助け手のはずだった。
「おまえが死んだという報告を受けたが、信じられない…信じたくなくてね。よかった、生きていたのだね」
「シュナイゼル兄さん…」
そのやや華美な服を身に着けた男を見上げて、ルルーシュがそうつぶやいた。それにスザクはルルーシュから教えてもらった知識を思い起こす。シュナイゼル・エル・ブリタニア。ブリタニアの第二皇子。ルルーシュの兄である男。
シュナイゼルはルルーシュの無事を喜び、ナナリーに安心させるように声をかけると、おもむろにスザクに向き直ってほほえんだ。
「友達…かな?」
そのあくまでもやわらかな笑みを見て、スザクは身がすくむような思いを味わった。
おそらくこの人は、スザクの身元を知っている。知っていて見逃してくれるつもりなのだろう。日本の敗戦はもう確定したことになった。かつての首相の息子ごときを見逃して、残った日本の有力者のその身の振り方を決めさせてやるくらいどうということもないのだろう。
「逃げている途中で知り合っただけです」
ルルーシュはスザクの前に立ってシュナイゼルの視線を遮るようにすると、きっぱりとそう言った。日が落ちてからいきあったから、ブリタニア人だとは気づかなかったのだろう、とルルーシュはやや苦しい言い訳をする。こちらとしても人目をごまかすのに役に立ったから、とそんな風に。
「え…ブリタニア人…?お兄さん?」
とっさにスザクは光に照らし出されたシュナイゼルを見、それからルルーシュの方を見て、初めてその容貌に気づいたようにふるまってみせた。それから近くに降りたアヴァロンと言うあの飛行物体に視線をやり、自分の立場にはじめて思い当たったように怯えてみせる。
知らぬふりをしなければならなかった。シュナイゼルもルルーシュもスザクもそれが嘘だと言うことを知りながら、知らない振りをするのだ。
三人はそのまま、そのアヴァロンという航空機に収容された。スザクはここでは通りすがりの日本の子供でしかないから、保護してもらえる町まで連れて行ってくれるという話になる。
当たり前だ。このままブリタニアの陣営に連れて行かれれば、どうあっても枢木家の人間だということは公になる。死んだとされていた皇子・皇女と枢木家の子供が一緒に逃亡していた、ということが知られれば、問題になることは目に見えていた。それはブリタニアにとっても、日本にとっても、いまここで問題にはしたくないことだろう。
本当はブリキに連行されることに怯えたスザクが、収容される前に逃げ出すべきだったのかも知れないが(そしておそらくそうしても、日本人の子供一人誰も銃など向けなかっただろう)、スザクはそのままルルーシュたちと離れてしまいたくなかった。そんなことをしたら、このままもう二度と会えなくなるような気がしたから。
一緒に行くと言おうとした。どこか知らない国にでもついていくつもりだった。だけどそれはもうかなわない。スザクが答える前に、その未来はついえてしまった。それはスザクにも、わかっていたから。
「スザク。僕らは行かなくちゃならない」
移動するその航空機のかたすみ、大人たちが立ち働く中で、ひっそりと隠れるようにしてルルーシュは言った。今日初めて出会ったはずの、それも敵国である日本人に対するのは近すぎる距離で、ルルーシュはそっと言葉をつむぐ。
「僕はブリタニアを許さない。皇帝をけして許さない。だけど…見つかってしまったから」
シュナイゼルでなければどうにかなったかもしれないけれど、皇族に見つかってしまったのではごまかしようがないとルルーシュはいう。彼が生きているそのことはもはやはっきりとブリタニア側に知れてしまったのだ。
「ルルーシュ、もう、それは…」
ルルーシュたちは皇族に保護されたのだ。人質として送られながらその生死など無視して戦争は始まった。けれど救いの手が来たのならば、もう一度皇族に戻れるのならそうした方がきっといい。そうやってブリタニア本国で守られて暮らせばいいのだ。
そう思ったけれど、ルルーシュは首を振ってそれを否定する。彼は自分たちを一度は捨てたブリタニアを許さない。その国が少しも安全ではないと、ルルーシュは知っているのだ。
「僕は───俺はブリタニアに帰る。それで…ブリタニアを内側からぶっ壊す」
ルルーシュは前を見たまま、スザクにだけ聞こえる声できっぱりとそう言った。母国を壊すとそう言いきるルルーシュの表情はとてもうつくしかった。妹の存在を背負って凛と立つ、その矜持がにじんでいた。
「俺はブリタニアを壊して、必ずここに戻ってくる。だからスザク…」
そのうつくしい瞳が、スザクを振り返る。世界を、高みを映した瞳。ただ一人で立とうとする、濁りのない紫の輝き。
「───その時は、ついてきてくれるか?」
「あたりまえじゃないか」
ややためらいがちに紡がれた言葉に、スザクはまったく迷いもせずに即答した。それはもはや決まり切ったこと。迷う必要もない、スザク自身が決めたことなのだ。
「誓っただろう」
そうスザクがささやいて笑うと、ルルーシュもまたほほえんだ。ほほえんでそして、目を伏せた。
長い別離となるその日、その航空機の片隅でスザクとルルーシュはキスをした。体温をわけあうようなそれは、誓いのキスだ。もう一度出会うための、互いの望みを忘れないと刻みつけるための、約束のキス。
その誓いは結局、破られることになるのだけれど。
****幼少期終了*****
───────────────────未完