スザクは林の中を走っていた。
彼の持ち前の素早さで、けれど全速力ではない速度で。
「ルルーシュ!」
走りながらスザクはひとつの名前を叫んだ。そして素早いしぐさで木々の間に視線を巡らせる。
「どこにいるんだ、ルルーシュ」
スザクは次第に走る速度を落としながら、不安げな声でささやいた。
スザクがいつものようにルルーシュたちの暮らす蔵に行ったら、そこにルルーシュがいなかった。
ナナリーはベッドで昼寝をしていて、だからルルーシュはただふらりと散歩に出ただけかもしれない。けれどひょっとしてまたひとりで街に降りて、ひどいめにあっていはしないかと心配になったのだ。
スザクの脳裏に、街の少年たちにいじめられていたルルーシュの姿が浮かんだ。殴られ、蹴られ、泥だらけにされながら、その顔は毅然と少年たちを睨みつけていた。誇り高い矜持を踏みにじられて、それでもけして屈しなかったあの表情。
あんなことはもう二度とさせない、と心を決めてスザクはルルーシュを探した。けれどルルーシュの姿は見つからない。そしてある地点まで来たところで、スザクはふと足を止めて顔を上げた。ひょっとして…と思いを巡らせて、きびすをかえす。
彼の足は通い慣れた道を走り出していた。もしかしたらあそこにいるかもしれない。きっとそうだ。
思いながら今度こそ全速力で走って、スザクは目的の場所にたどり着く。スザクの秘密の場所。彼とルルーシュとナナリー、三人だけが知っている『秘密基地』へと。
スザク自身が地面に掘った深い穴。その奥をのぞき込むと、その薄暗がりの中には一人の少年の気配があった。スザクが探していた少年の姿が、奥の方にうっすらと見えている。
「……ここにいたのか」
スザクはほっとしながら、その穴の中に入っていく。
二人で入ればいっぱいになってしまうような狭い穴の中、すぐそばにスザクが近づいてもルルーシュは顔を上げない。
「ルルーシュ?」
呼びかけても彼は反応しなかった。スザクが慌ててのぞきこむと、なんとルルーシュはすやすやと寝息をたてて眠っていたのだ。誰も来ない暗がりの中でひとり、無防備に眠っている。
「………」
こんなところで眠っているなんて、とその閉じられたまぶたを見つめて、スザクは起こすこともできずに黙り込んだ。起きているときは強く自分をにらみつけてくることの多いその顔が、今はやすらいでいることに不思議な安堵感をいだいた。
硬質な美貌が、眠っているとまるで天使のように見える。……本当はそれがこの少年の本質なのかもしれない。ナナリーに向ける表情と同じ、やわらかくやさしい顔。
ルルーシュは普段は周りの大人たちに対して、ナナリーを守るためにとても気を張っているのだろう。いつも厳しい表情をしている。そんな彼がやすらいで眠れる場所があってよかった、とスザクは思った。それが自分の秘密基地であったことに、彼はどこかくすぐったいような、誇らしいような気持ちをいだく。
ルルーシュがこの秘密基地の存在を知ったのはごく最近だ。こんなあやしげな場所でこの慎重な少年がやすらいで眠るのは、ここが『スザクの場所』だからだとどこかで思った。彼はルルーシュのふところに入れてもらえつつある。スザクは本能でそれを察していた。
「……眠り姫、みたいだ」
長いまつげを伏せて眠るルルーシュを見て、スザクはつぶやいていた。
この少年の容貌が際立っていることは、初めて会ったときから気付いてはいた。みたこともないほどキレイな、男とも思えない顔だちだと。
だけどスザクの中では男は顔なんかどうだっていいもののはずだったし、ルルーシュの容貌に感嘆をいだくより先に、彼がブリタニア人であること、自分の場所を取られたことに怒りをいだいていた。だからその容貌をどうとも思いはしなかったけれど…
いまこうして改めて見れば、ルルーシュは本当にきれいな少年だった。ただ見ているだけでドキドキしてしまうような、性別の域を超えたうつくしさ。眠っていてしまえばその憎まれ口も聞こえず、睨みつけられることもない。じっと見つめるとその容貌がどれだけ価値のあるものかわかる。いつまでも見ていたいような、見ているだけで幸せになれるような、そんな花のような生き物。
閉じた瞳をふちどるまつげ。日本人とは違う透き通るような肌の色。けれどなめらかなその頬はほのかなバラ色に染まっている。小さな顔にかかる髪の硬質な色とあいまって、その顔立ちは少女のように可憐に見えた。
眠り続けるお姫さま。王子を待つうつくしい姫君のごとくに。
(眠り姫)
(百年の時を待つ)
(うつくしき乙女)
昔、母が生きていた頃に読んでくれた物語。少女のようだった彼女は、わんぱくな息子にもそんな物語を話して聞かせた。少女じみたそれらの物語はスザクにはものたりなかったけれど、百年の時を眠り続けるそのお姫さまの話は少し彼の気を引いた。
いばらの城にとらわれたお姫さま。その城に入るのは勇気ある王子なのだ。王子だけがその姫を眠りからさますことができる。王子のそのキスだけが────
(眠り姫)
(百年の眠りを)
(どうかこのキスで)
キス、とそう思ったときスザクの視線は眠るルルーシュの、あえかな吐息を吐く唇に吸い寄せられた。ほのかに色づいてぬれている、花のようなくちびる。花びらそのもののようにみずみずしく、ひやりとつめたく見えるそれ。
かすかに聞こえる吐息の音に誘われたのは、どうしてだっただろう。
どうしてスザクは、吸い寄せられるようにそのくちびるに顔を寄せてしまったのだろう。
目覚めればいい、と思いながら。
目覚めないでくれ、とそう思いながら。
「────」
そっとかすめるように己のくちびるでふれたそれは、あたたかかった。
そのあたたかさにスザクはびくりとする。
人形のように硬質なうつくしさを持つルルーシュのくちびるは、どうしてかつめたい気がしていた。温度なんてないんじゃないかと思っていた。だけどそれはあたたかくて、そしてやわらかくて────
「────!」
スザクはその時やっと自分のしたことに気付いて、くちびるを押さえながらバッと立ち上がった。
狭い穴の中で彼はしたたかに頭を打ったけれど、なんとか声を上げずにこらえた。そしてそのまま、ルルーシュの方を見ずに穴の中から這い出す。
自分のしたことが信じられなくて、ルルーシュのくちびるのあたたかさとやわらかさが衝撃的で、混乱したままスザクはさきほど来た道を駆け出した。後ろも振り返らずに、全速力で。
だから彼は気付かなかった。
彼が去った『秘密基地』の中で、さきほどまで眠っていたはずの人物が目を開けていたことを。くちもとをぬぐいながら、「なんだあいつ…」と真っ赤になってつぶやいていたことなど知りはしなかった。