ハンサムは寝ている時も

イケメンです






 近頃、虎徹はバーナビーの部屋に泊まってくれない。
 一緒に食事をして、酒盛りの後その気になってベッドに移動してふれあい、シャワーも浴びたくないというほど脱力してしまっても、必ず自分のアパートに帰っていく。恋人になる前だって、帰るのが面倒だと言ってしょっちゅう泊まっていっていたのに、最近はまったくだ。
「楓に電話する約束してるからさ」
「朝、ゴミださないといけねーから」
「ロフトの窓開いてた気がするんだよな。明け方雨降るかもって予報だろ?」
 口に出される理由に最初は納得していたもの、何度か続けばそれが言い訳に過ぎないと気付く。最後の理由など、本当だとしたら防犯意識を疑うレベルだ。
 要するに虎徹は、バーナビーの部屋に泊まりたくないのでろう。なぜかと考えてみても理由はわからない。なにかバーナビーの部屋に気に入らないことがあるのだろうか、と虎徹の部屋におしかけてみても、彼はなんだかんだ理由をつけてバーナビーを帰そうとする。
 微妙に拒絶されている気がして落ち込んでいたが、夜を共にしてくれない(セックスしないという意味ではなく)以外は特に態度は変わらなかったから、別れたいのでは…と思うほどのおそれにはいたっていない。
 泊まっていってくれない、などと悩むのは本当は贅沢な話なのだろう。親と一緒に住んでいる女性を恋人にしている男であれば、ごく当たり前のことだ。けれど『たったそれだけ』の拒絶は、バーナビーに深刻な被害をもたらした。
 なぜなら、バーナビーは虎徹の寝顔を見るのが好きなのである。それも、好きすぎて一晩中見つめていて、寝不足になってしまうほどに。



 その日、二人でバーナビーの部屋に帰ったのはかなり遅い時間だった。翌日も仕事で、いつもならそんな余裕のない時に互いの家に行ったりはしないのだけど、その日、日が暮れてからあった出動で最高の連携をみせた二人は興奮していて、どうにもこらえきれなかった。
 ふれあいたくてふれあいたくて、どうにかヒーロースーツを脱いで帰れることになった途端、バーナビーは『今日うちに来てください。来ますよね?』とほとんどさらうようにして虎徹を連れ帰った。それに対して虎徹もあらがうことはなかったから、おそらく同じ気持ちだったのだろう。バディとしての高揚感は、そのまま恋人としての衝動につながった。
 部屋に入るなり興奮のままに互いにふれあい、どろどろになるまで抱きあって、力尽きるようにしてベッドの中に沈み込んだ。シャワーをあびる気力もなく、最低限の処理だけして二人はうとうととまどろんでいた。ふと目に入った時計の時間は深夜を通り越している。明日の仕事は昼からだし、このまま眠ってしまおう…とバーナビーが思った時、隣に横たわっていた虎徹が、ぎしりとベッドを軋ませて起き上がった。
「……どこに行くんです」
 バーナビーは、ベッドから立ち上がろうとする虎徹の腕をとっさにつかんだ。彼は少し困った顔をしてバーナビーを振り返ると、さりげなく手をほどこうとする。
「帰る」
「モノレール終わってますよ?」
「あー…じゃあタクシー呼ぶから」
「それなら僕が送ってきます」
 こんなに遅くなった今日こそ泊まっていってくれるのではないか、と思ったが、やはりどうしても帰ってしまうらしい。だとしてもこんな夜中に彼を一人で帰したくなくて、バーナビーは息をつくと、虎徹の腕を離してベッドから立ち上がった。床に落とした服を拾っていると、虎徹も慌てたように床に下りる。
「いいって!もう遅いんだしおまえは寝てろよ。明日もはえーだろ」
「明日の撮影は昼からですし、あなたも一緒です。今日は酒も飲んでませんし大丈夫ですよ。ちょっと待ってください、服を着ますから」
 終わったあとは身動きするのもけだるかったから、お互いにまだ全裸だ。バーナビーは床から拾った服を見て眉をしかめた。帰宅してすぐに脱ぎ去ったそれは、一日を過ごした後のものだ。けれどぐずぐずしていると虎徹が勝手に帰ってしまうような気がして、あきらめてそれを身につけようとする。
 けれどそんなバーナビーの腕を、虎徹の手が軽く引いて止めた。
「虎徹さん?」
「いいよ…別に用があるわけじゃねーから……」
 彼はうつむいたままバーナビーの腕を軽くつかんで、小さな声でそう言った。ああ、やっぱり嘘だったんだ、とわかっていたことを確認してバーナビーは一瞬息をつめた。たとえ夜だけのことでも、嘘をついてでもバーナビーと一緒にいたくないのだと思えば胸が痛む。
 バーナビーはとすんとベッドの上に座り込むと、うなだれて言った。
「───用がないなら泊まっていけばいいじゃないですか」
「うん…」
 困ったような声で、虎徹はそれでもうなずいてくれた。追いつめて言わせただけのそれは喜ぶようなことではなかったが、バーナビーはほとんど反射的にそれを嬉しいと思ってしまう。それなのに、虎徹はうろうろと視線をさまよわせ、微妙にバーナビーから目を反らしたまま言った。
「あの、じゃあ俺ソファで寝るわ」
 それからベッドの上にわだかまっているケットをつかんで、けれどそれを持って行くとバーナビーの分がなくなると思ったのか、また困ったように曖昧に笑う。
「どうしてですか」
 バーナビーはベッドにのばされた虎徹の腕をもう一度つかんだ。そんな風に困るのなら、ソファで寝るなんて言わなければいい。このベッドでバーナビーと一緒に眠ればいいのだ。ひとつのケットをわけあって、以前ずっとそうしていたように。
「僕、なにかしましたか」
 彼は自分と一緒に寝るのがいやなのだと気付いて、バーナビーはすがるようにそう言った。
 寝ている間に自分がなにかをしていないのはわかっている。なにしろ、虎徹が泊まった夜、バーナビーはほとんど眠っていない。だとしたら隣に人がいること自体がいやだとか、バーナビーの気配や匂いがいやだとしか思えない。けれど昼間はいやがられはしないし、そもそもあんなに気持ちよさそうに眠っていた彼が、そんなことを気にするだろうか。バーナビーはずっと虎徹を見ていたけれど、彼が寝づらそうにしていることなど一度もなかった。
 なにがいけないんだろう、と思って、バーナビーはベッドに座ったまま虎徹の腕をつかんで、彼をみつめた。すると虎徹はうろうろと視線をさまよわせた末に、根負けしたのか、言いづらそうに口を開いた。
「あのさ…あの……おまえ、俺が泊まった翌日ってすげえ眠そうにしてるだろ?」
「え?はあ、それは…」
 よほど言いづらい文句を言われるのだろう、と思っていたバーナビーは、虎徹の口から出たその指摘に戸惑ってうなずいた。虎徹が泊まっていった夜、彼の顔を見つめ続けて寝不足になるのは事実だったから、否定はしなかった。バーナビーが肯定すると、虎徹は勇気をふりしぼったようにその先の言葉を続ける。
「おまえさ、ずっと一人暮らしだったし、人の気配が気になるんだろ?それかあれか…俺もしかしていびきとかかいてる?とにかく俺が一緒に寝るとよく寝れないんだろうと思って、泊まるのやめてたんだよ。いままで気付かなくて悪かったけど」
 おまえ、言いづらいんだろうと思ってさ…と言って、彼は少し頬を赤くしてうつむく。うつむいてもバーナビーの方はベッドに座っていたから、その表情は隠し切れていない。そこには申し訳なさそうな、少し恥ずかしそうな、そしてさみしそうな色があった。
 彼には自分がうるさいのだろうという自覚はそれなりにあって、だからバーナビーに悪いと思っていたのだろう。けれどほんの少しにじむさみしげな表情が、彼もまたバーナビーと一緒に寝られないことをさみしいと思っていたのだと知らせる。ほっとしたのと、実は気を使われていたのだという事実に、バーナビーは少し混乱した。
「───いびきは…たまにありますけど、うるさいほどではないです」
「俺やっぱ帰るわ」
「待って、待ってください!」
 やや呆然として思わず言った言葉で踵を返されそうになって、バーナビーは慌てて腕をつかんで彼を引き戻した。強く引きすぎて虎徹の体がベッドの上に転がり込んでくる。その勢いのまま自分も一緒にベッドに転がって、バーナビーは必死に虎徹の腕をつかんでいた。要するにベッドの上に彼を押し倒していた。
「違うんです!うるさいとか気になるとかじゃないんです!むしろ僕はあなたと一緒に寝るのが好きなんです。お願いですから帰らないで!」
「好きって…でも眠れねえんだろ?」
 適当なことを言うな、というように、眉をしかめて虎徹が見返してくる。その顔を真上から見下ろして、バーナビーは少し赤くなった。夜中に彼の寝顔を見てじたばたしてしまうあの感覚を、どう説明したらいいのだろう。我ながら馬鹿みたいで恥ずかしいと思うのに。
 けれどちゃんと説明しないと彼は誤解したまま一緒に寝てはくれないのだろう、と思って、バーナビーは口ごもりながらそれを説明した。
「それは…その……あなたの寝顔をずっと見てて」
「ね、寝顔?」
 そのひとことで、一瞬にして真下の虎徹の顔がドン引きしたものになる。それにプチッと切れて、バーナビーは思わずいままで言わなかった本音を思い切り暴露した。
「だってあなた寝てる時の顏すごくかわいいんですよ!いびきかくし、なんか寝言いうし、ぎゅって顏しかめるし、かと思ったら笑うし!むにって言うし、極め付けは僕の名前を呼ぶんですよ!しあわせそうに!あんなの一晩中見つめるに決まってるじゃないですか。かわいすぎて寝られるわけがないんですよ!だけど見たいから一緒に寝てくださいよ!むにって言うし!!」
「むにってなんだよ!そんなもん見るな!あほか!」
 怒濤の勢いで言ったバーナビーに、虎徹は顔を真っ赤にしてそう言い返す。気を回していた末の馬鹿みたいな真相に気が緩んだのか、顔を赤くしたまま、むにってなんだよむにって、と繰り返した。
「俺の顔なんか見飽きろよ…つかそろそろ慣れろ!」
「見飽きるわけないでしょう…昼間だってゆるされるならずっと見ていたいですよ」
 バーナビーが真剣にそう言うと、これ以上赤くなることはないと思っていた虎徹の顔が、よりいっそう赤くなった。なんだもうおじさんのくせにかわいいな、とバーナビーは内心けなしてるのか褒めているのかわからないことを思う。もう、気恥ずかしさと愛しさでバーナビー自身もわけがわからない。虎徹にいやがられて避けられていたわけではない、とわかって余計だった。
 二人はベッドの上で上下になったまま、しばらくもじもじとお互いに視線を逸らしあっていた。けれどこのままでは埒が明かないと思ったのか、バーナビーに押し倒されている形の虎徹がぼそりと提案してくる。
「……顏見なきゃいいんじゃねーの」
「すぐそばにあるんですよ。ついつい眺めてしまうんです」
「反対向いて寝るとか…」
「隣で寝てるのにですか?そんなのさみしいです」
 そう言ってから、これではやっぱりバニーが寝れないから帰る、と言われてしまうのではないかと思って、バーナビーは内心少し焦った。とにかく虎徹が隣で寝てくれるなら、多少のことは妥協しようと思う。妥協…目の前にある顔を見ない、というのはバーナビーには無理な話で、だとしたらどうしたらいいのかを、いつも冷静に状況を分析する頭脳で無駄に必死に考えた。
「───わかりました」
 熟考して出た結論に、バーナビーは少しばかり妥協してうなずいた。虎徹の上にのしかかっていた体を彼の隣に転がすと、彼の肩をつかんで方向を変えさせる。そして横向きになった虎徹の体に背後からぴったりとくっつき、バーナビーはそのまま彼の体をぎゅっと抱きしめた。
「こうすればいい」
「え…ちょ」
 背後からバーナビーに抱きしめられた虎徹は、状況についていけずに硬直する。数シュンの後、彼は慌てて振り返ろうとしたけれど、バーナビーはそんな彼の体を抱きしめてそれを阻止した。振り返られたらその顔を見てしまう。それでは問題は解決しないから仕方がない。
 バーナビーは、よくわかっていないらしい虎徹にやさしく説明した。
「こうしたら僕からはあなたの顔は見えないし、あなたがいるのはわかりますから、さみしくないです」
「そ、そりゃそうだけど、なんかビジュアル的におかしくねえ?なんでKOHがおっさん抱き枕にして寝てんの」
「いまさらでしょう」
 KOHが、などと関係ないことを持ち出してきて恥ずかしがる虎徹に、バーナビーは小さく笑った。そもそもいままでだって、バーナビーが眠る虎徹を抱きしめていたことは何度もある。彼が眠ってしまった後のことだけれど、至近距離でその顔を見つめて、バーナビーは幸せだった。後ろから抱きしめてしまうと顔は見えないけれど、今もあの時と同じ幸福感がバーナビーの中にわき起こっている。
「これ…いいですね。このまま寝ましょう?」
 これなら僕も眠れますから、とそう言うと、虎徹はバーナビーの腕の中から抜け出そうとする動きをぴたりと止めた。大人しくなった彼の体を抱きしめ、バーナビーはその肩口に顔を埋める。
 ふれあったところがあたたかかった。顔が見えないのは残念だけれど、腕の中に愛する人の体温があるという事実は、バーナビーをひどく充足させた。たしかにこれは自分のものだと思える安心感と、自分より少し高い体温、それから直接体で感じられる鼓動につられるようにして、するりと眠気がやってきた。
 顔を見ている時はドキドキして落ち着かなかったのに、体温だけを感じていると安心した。恋と愛情。同じで少し違うその差を、その時バーナビーは初めて理解する。ああ、これを愛しい、というのだと思った。しあわせだと言うのだと思った。
 恋は少しつらいけれど、愛しさはこんなにも安らかでやわらかいものなのか。子供の頃お気に入りだった毛布のように、虎徹の体温と鼓動はバーナビーを安心させる。
「ば…ばに」
「……なんですかこてつさん」
 もうすでにうとうととし始めていたバーナビーは、虎徹の呼びかけにとろりとした声で答えた。もう眠ってしまいたい。このまま眠りに落ちたらしあわせな夢が見れそうだった。けれど虎徹はバーナビーの腕の中で身じろぎして、居心地悪そうに訴えてくる。
「い、息かかる。くびすじ…」
「慣れてください……」
 俺の寝顔なんて慣れろ、と言った虎徹に対抗したわけではないが、そう言ったきりバーナビーはすうっと深い眠りの中に落ちていった。あたたかくて幸福な、満たされた夢の中へ────



 しあわせな気分で眠りに落ちたバーナビーは、翌朝目を覚ました時、ドキドキして一晩中寝られなかった虎徹に、
「俺はもうおまえと一緒には寝ない!」
と宣言されることをまだ知らなかった。




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