満たされた冷蔵庫に 比例するもの ────ジェイク・マルチネスを倒して。 バーナビーの復讐は達成されてしまった。両親を殺した男を探し出し、そのかたきを討つ──二十年間それだけを思ってきた目標が失われ、バーナビーはその達成感を味わうより先に途方にくれてしまった。 そのためだけに生きてきた。毎日24時間、そのことしか考えてこなかった。その先のことなど考えたこともなかった。目標を達成することで、バーナビーは生きていく理由を見失ってしまったのだ。 バーナビーはすっかり気が抜けて、うかうかと虎徹に『これからどうやって生きていったらいいのかわからない』とそう言ってしまったら、その日から彼にあちこち連れ回されるはめに陥った。 バーナビーが行ってみようと思ったこともないような場末の居酒屋に連れていかれ、初めて焼酎というものを口にした。やや薄汚れた感じのするその店でバーナビーは異様に浮き上がっていたけれど、その酒も料理も悪くない、とそう思った。酒の出る店だけでなく、いろんな店に引っ張っていかれた。何料理かもよくわからないスタンドで買った、よくわからないサンドを道端で食べることなど、バーナビーにとっては初めての経験だった。 食事だけではない。バーナビーひとりなら絶対見ないようなくだらない大衆映画や、スポーツ観戦、なぜだか動物園や遊園地にまで連れていかれた。僕はあなたの娘さんじゃないんですが、と言っても、そーだな、バニーちゃんは俺の相棒だもんな!となんだか嬉しそうに言われて、断ることもできなかった。いい大人が男二人で遊園地なんて馬鹿だろう、と思いはしたけれど、それはそれなりに楽しかったも事実だ。 虎徹の家に連れていかれて、クラシックばっかじゃなくてこういうのもいいぞ、などと言って、彼の趣味なのだろう、耳慣れない音楽をレコードで聞かされたりもした。音楽を聞きながら彼は鼻歌交じりにキッチンに立ち、ものすごく大ざっぱな、だけどやっぱり『悪くない』料理をつくってバーナビーに食べさせた。 生きていく意味を見失った青年は、仕方なくコンビを組んだはずのおじさんによって、いろんなものを与えられた。世界はこんなにもいろんなものであふれて、なにもかもが楽しくて美味しくてうつくしい。生きているっていいことだろう?と得意満面の笑みで言われている気がした。 生きる楽しさにあふれたおじさんは、もちろん仕事の時もバーナビーのそばにいた。シュテルンビルトのあらゆる場所で、さまざまな事件に二人で取り組んだ。彼は相変わらずドジで、ポイントよりも人命を優先していて、やっぱりバーナビーと意見のあわないことも多かったけれど、二人はなんだかんだと息の合ったバディとして、多くの事件を解決し、犯人を捕まえ、人を助けた。 バーナビーはいままで見もしなかった映画を観るようになり、虎徹の聞く音楽に耳を傾けるようになり、おしかけてくる彼に、食べさせてもらうだけでは悪いからと料理を覚え、自宅の冷蔵庫を食べ物で満たすようになった。彼がおいしいおいしいと言ってくれ食べてくれるのが嬉しくて、バーナビーの料理の腕はプロ顔負けになってしまった。 やがてバーナビーは、生きることは楽しいことだと思えるようになった。食べ物は美味しく、いままで知らなかった世界はうつくしく、そして明日なにをしようかと考えることは幸福だった。なにもなかったバーナビーの部屋には次第に物が増え、からっぽだった冷蔵庫は満たされる。 そしてある日バーナビーは気付くのだ。 シュテンビルトのあらゆる場所に、自分の部屋に、満たされた幸福のすべてに記憶された男の存在に。己が生きる意味を見いだしたそのすべては、おせっかいであたたかな男が与えてくれたものであることに。 (しあわせな思い出) (生きることの意味) (ねえだけど一度失われたそれは) (二度と失われないものなのか) 「───なんですって?」 目の前の上司である男が発したいくつかの言葉が、バーナビーの心臓につきささって呼吸を奪った。どうやって息をしていたのか一瞬でわからなくなって、呼吸をしないままかすれた声で問い返す。 「もう一度言ってください」 尋ねたくせにもう一度発せられた言葉はバーナビーの耳には届かなかった。ガンガンと耳鳴りがする。最初に発せられた言葉は本当はちゃんと聞こえていた。それがバーナビーの中でぐるぐると旋回して彼の脳をかき回す。 「あの男がヒーローをやめる?……やめさせる?」 生きている意味。幸福。満たされた…冷蔵庫。それらすべてに宿るもの。 「それは…どういう意味ですか」 ─────満たされた幸福を失う覚悟を、おまえは持っているか。 back |