贖罪 白い背中がこちらを向いている。 ベッドの上、下着すら身につけない全裸で四つんばいになり、背中をさしだしているバーナビーを虎徹は静かに見つめていた。 若々しいしなやかな背中はしかし、何本も走る赤いみみず腫れで彩られていた。真っ赤なその線はいくつか重なり合い、ひどいところは傷になってじくじくと体液を滲ませている。先ほどまではそこに手当てのためのガーゼや包帯をあてていたのだけれど、バーナビーは服を脱ぐと同時にその包帯を全部解いてしまった。けれど別段、虎徹はその傷の手当てをしてやるためにここにいるわけではなかった。 ベッドの上の全裸のバーナビーに対して、床にたつ虎徹の方は服を脱いでいない。ハンチングをかぶっていないだけであとはいつもの格好だった…そう、ただ靴と靴下を脱いで、素足で床に立っていた。 ここはバーナビーの寝室で、だからその床は本来靴を履いて行き来する場所だ。だからいつもならバーナビーが汚い、と怒るところだったが、彼は虎徹に背中を向けていて、彼の足など見ていなかった。 それに、見ていてもバーナビーはそれを怒ったりすることはないだろう。虎徹は彼のためにいま裸足でいるのだから。 「バニー…」 やさしい声でそう呼ぶと、虎徹は手にしていた細長い棒の先端でその背中をなぞった。それに、バーナビーの背中がわずかにしなう。 虎徹が持っている銀色のそれは、先端に細長いレザーをつけた乗馬鞭だった。グリップにも本革をつかったその短鞭はもう虎徹の手になじんでいる。握りやすい、いい鞭だ。グリップの先端にロゴが入っていて、乗馬をする人間にはすぐわかるブランドのものなのかも知れなかった。 虎徹はバーナビーの背中に残る傷口をなぞるようにその鞭を動かすと、ひゅっと息を吸いこんでそれを振り上げた。そして思いきりバーナビーの肌に向かって振り降ろす。 「っ……!」 ピシッ!と激しい音をたてて鞭の先端がバーナビーの肌を打つ。彼はびくんっと背中をふるわせたけれど、声をあげはしなかった。虎徹はそれを無表情に見下ろして、また腕を振り上げた。 一回、二回、三回……不規則に、激しく痛々しく鞭の音が響く。じわり、と鞭を握る手に汗がにじんだ。びくびくと跳ねるバーナビーの背中から目を反らしそうになりながら、虎徹はそれでも血を吹きはじめた彼の白い肌を無情に打ち続けた。 「ふ…っ……く───!」 バーナビーは打たれるたびシーツについた手をぐっと握りしめ、うめき声を口の中で噛み殺している。びくびくとふるえる指先と脚はまるで快感をこらえているようにも見えた。わずかにもれる吐息は、まるで嬌声のようだ。 よく見れば四つんばいになったバーナビーの脚の間で、彼の雄はわずかに上を向きはじめていた。虎徹に鞭をふるわれて、彼は興奮しているのだ。 けれどバーナビーは痛みに快感を覚えているわけではない。 虎徹に鞭打たれること、それそのものに興奮しているのではない。 罰せられているという事実…そしてその痛みと試練に耐える自分、というものに悦楽を感じているのだ。断罪と許し…試練の先に待つものをバーナビーは知っている。脳内麻薬。彼の精神と肉体が痛みの中に快楽を生み出す物質を分泌する。 「もういいよ、バニー。よく我慢したな」 二十回、どうにか踏ん張ってバーナビーを鞭打ってから、虎徹は鞭を床に放り出してやさしくそう声をかけた。そっとバーナビーの裸の肩に手をかけ、顔をあげさせる。バーナビーはゆっくりと体を起こすと、なにかを期待するような顔をして虎徹を見た。 「声、あげませんでした」 「そうだな。バニーはえらいな」 「えらい…ですか?がんばった僕を虎徹さんはゆるしてくれますか?」 「ああ、許すとも。こんなに痛い思いをしてこらえたおまえは、許されて当然だ」 「嬉しい」 くしゃりと髪を撫でてやると、子供のように嬉しそうな顔で笑う。そしてバーナビーはベッドの上を這うようにして虎徹の立っているそばに近寄ると、彼を見上げて甘えた口調で言った。 「虎徹さん、キスをしてもいいですか」 「……いいよ」 虎徹がそう短く許可してやると、バーナビーは四つんばいのままずるずるとベッドを降り、虎徹の足もとにうずくまった。そしてそのまま額づくようにして、虎徹の足の甲にくちづける。 「こてつさん……」 聖者にするようなキスは、すぐに色を変える。バーナビーは虎徹の足に吸い付き、足首をつかんで、ズボンを押し上げて脛に舌を這わせた。それ以上たどれないのに気付いてじれったそうに虎徹のベルトに手をのばすと、急いたしぐさでそれをゆるめ、ズボンを引き下げる。 「こてつさん…虎徹さん虎徹さん」 はあはあと息を荒げながら、バーナビーは虎徹の脚にすがりついてそこらじゅうにキスをした。膝に、ふとももに、ボクサーショーツにつつまれた性器の上に。 バーナビーの腰が無意識にへこへこと揺れているのを、みっともないとは思わない。犬のマーキングのように腰を押し付けられながら、虎徹はやさしい気持ちでバーナビーを見下ろした。 許されたことに喜ぶ青年。その喜びを自分のことのように噛みしめながら、虎徹はすがりついてくるバーナビーによって、そっとベッドの上に押し倒された。 「虎徹さん、僕はあなたの前から消えようと思います」 バーナビーがそう言ったのは、すべてが終ったあと、虎徹が入院している病室でのことだった。見舞いでもらったバナナを食べながら談笑して、いろいろありがとな!と言った虎徹に、彼は沈欝な顔でその言葉を口にしたのだ。 「あなたの体が治るまでは見守っていたい。だけどあなたが治っていろんな始末がついたら、僕はこの街やあなたの前からいなくなろうと思っています」 楓ちゃんやお母様もいますし、このさき僕の手は必要ないでしょうから、と悲しげな声で告げる。自分こそが虎徹のそばにいて支えていきたい、という顔をしながらそんなことを言うバーナビーに虎徹は混乱した。 「……俺のこと、いやになったか」 「そんなわけない」 バーナビーの言葉の意味がわからなくて、どこかぽかんとしたまま虎徹はそうつぶやいた。けれどその言葉を彼は否定する。いやになったのではないなら、どういうことなのかと思う。たしかにヒーローの根源がゆらいでこの先どうなるかわからなかったし、虎徹の能力のこともある。以前と全く同じではいられないかもしれなかったけれど、それでもどうしてバーナビーが姿を消すと言っているのかわからなかった。虎徹が田舎に帰るというのならわかる。けれどそれは永遠の別れのつもりはなかったし、楓にヒーローであったことがばれた今、こちらに残ってもいいかと思いはじめていたのに。 「じゃあ、なんで」 「───僕はあなたを忘れました」 虎徹のベッドのすぐ横のパイプ椅子に座っていたバーナビーは、そっと目を反らしてうつむくと、ふるえる声でそう言った。膝に置かれた手が苦しさをこらえるように強く握りしめられている。 「あなたを忘れて、よりによってあなたを攻撃した。あなたのことを憎しみの目で見つめた。誰よりも愛してるあなたを───僕は僕が許せない。僕はあなたの前に立つ資格なんてなんです」 「んな…おまえはマーベリックに記憶を書き換えられてただけだろ!?」 「それでも…僕はあなたを忘れてはいけなかった。マーベリックの力なんかで簡単に……絶対に傷つけたくない人を攻撃した!」 そう叫んで顔をあげたバーナビーの目には、涙が光っていた。その瞳の奥に虎徹は自分を攻撃するバーナビーの姿を見る。憎しみに満たされて睨みつけてくる、虎徹を忘れていたあの日のバーナビーの姿を。 「俺さ…おまえに忘れられてつらかったよ」 虎徹はあの日の絶望を忘れられない。他のヒーロー達は思い出してくれたのに、バーナビーだけが自分を知らない目で見つめた。今まで見たこともない憎しみの目を彼に向け、正義を信じて全力で虎徹を攻撃してきた。 「おまえが俺をサマンサさんのかたきだって言って、すごい目で睨んで…なにを言っても無駄で、俺の言葉なんて聞いてなくて」 最高の相棒だと思っていた男。一年と少し一番そばにいて、愛しくてしかたがない存在になった恋人。彼に敵意を向けられて、虎徹は悲しみよりも怒りとあわれみを感じた。マーベリックに記憶を操作されていいように扱われているバーナビーが可哀想で仕方がなかった。自分に向けられる敵意は本物じゃない。それを、誰よりもよく知っていたから。 「でもさ。おまえは思い出しただろう?自分で思い出してくれたじゃないか。全部終って、おまえの記憶も戻って、やっとつらいことは終ったと思ったのに、なのにおまえは俺からおまえを取り上げるのかよ」 「取り上げる、って……」 虎徹の言葉に、バーナビーは戸惑った顔を見せる。彼にはわからないのだ。虎徹にとって彼の幸福こそが願いだと。自分が受けた仕打ちなどもう終ってしまったことなのだ。過ぎたことならばそれを悔やむより、バーナビーに前を向いて歩いて欲しかった。しあわせそうな笑みを自分に見せて欲しかった。 償いたいと言うのなら、虎徹にとってそれが一番の癒しとなる。目の前からバーナビーがいなくなるなんて言語道断だった。そうすることで彼がしあわせになれるというなら別だが、今はそうではない。バーナビーは虎徹のそばにいることが彼の幸福だと全身で言いながら、離れようとしているのだ。 「やっと本当のおまえと話せるのに…」 虎徹の言葉に、バーナビーは目を泳がせる。彼は記憶を取り戻してからずっと、こうすることを心に決めていたのだろう。それを虎徹に否定されて、どうしていいのかわからなくなっているように見えた。信じていた自分の正しさの瓦解。途方にくれバーナビーはかわいそうだったが、いまここで折れるわけには行かなかった。 「でも僕は僕を許せない」 「それはおまえのわがままじゃないのか。おまえ自身の満足のために、おまえはまた俺を傷つけようとしてる」 「だってそれじゃ…僕はただしあわせなだけだ。あなたに甘やかされて…僕はあんなにひどいことをしたのに。あなたを傷つけたのに」 「おまえがしあわせでなにが悪い。俺はおまえにそばにいて欲しいんだ」 ひどいことを言っているのかも知れない、と思った。バーナビーの受けた心の傷は、虎徹がそばにいることで余計に忘れられずに苦しむことになるのかもしれない。彼はずっと自責の念を感じていなければならないのかもしれない。 だけど虎徹は彼を離せなかった。 今度こそ彼を本当の意味で幸福にしてやりたかった。 そしてできればそれを与えるのは、自分の手でありたいとそう強く思った。 思って、いたのだけれど─────── 異変に気付いたのは、虎徹が退院して数日後のことだった。 虎徹の面倒をみるためにシュテルンビルトに滞在していた楓と母はいったんオリエンタルタウンに帰り、虎徹はひとり暮らしの部屋に戻った。ヒーローTVの存続は危ぶまれ、ヒーローの存在もどうなるのかはわからなかったが、マーベリックの陰謀の餌食となってヒーローたちに追い回されながらも、自身の身の潔白を訴え続けた虎徹の姿は人々の記憶に残っている。鏑木・T・虎徹がワイルドタイガーのスーツを来てヒーロー達の前に立ったことも。 アポロンメディアに属し、マーベリックの八百長とも言える番組制作に一役買っていたとしても、ヒーローの中でワイルドタイガーだけはわかりやすく被害者だった。そしてマーベリックの野望を身をもって砕いた英雄とも言える。 そんな彼をメディアは放ってはおかなかった。能力減退を理由にヒーローを引退するつもりだった虎徹だったが、ヒーロー業界存続のために、まだシュテルンビルトを離れるわけにはいかなかった。楓の能力のこともあり、虎徹は彼女をヒーローアカデミーに入れるためにこちらに呼び寄せて一緒に住もうかと思いはじめていた。 そうすればバーナビーからも目を離さなくてすむ。 一度虎徹の前で姿を消す、と言った彼はとても危うく見えた。無理もない。二十一年間信じていたことが瓦解したのだ。せっかくこの一年彼はしあわせに過ごしてきたのに、それすらも幻だったという事実は彼を追いつめただろう。 出動することこそなかったが、さまざまな後処理や警察関係への証言、報道機関のインタビューなどを二人でこなした。CEOが逮捕されてもアポロンメディア自体はなくならない。むしろ社の人間は、自社の信用を取り戻すために真実の追究にやっきになった。都合の悪いことはすべてマーベリックの能力に押し付けるその姿勢は気に入らなかったが、彼の養子とも言えるバーナビーの立場を取り戻すために虎徹はそれを受け入れた。 バーナビーは被害者だ。それを、世間にも認めさせる必要があった。 そんな忙しい日々が始まって、また共にいる時間がふえた途端、虎徹はバーナビーの様子のおかしさに気付いた。彼の動きがどことなく不自然なのだ。歩く時、なにかを手に取る時、ささいなことでもバーナビーのしぐさは洗練されてうつくしい。きちんとしつけられた行儀のよさと姿勢の綺麗さ。それがどこか精彩をかいてぎこちなかった。 「おまえ、なんか動きおかしくないか?」 斎藤の研究室、検証のためにスーツを着て司法官の前でさまざまなことをしてみせた後のことだった。スーツを脱ぎ、アンダーも脱いで着替え終った虎徹の前で、バーナビーはアンダーを着たままくずくずとしていた。いつもてきぱきとしている彼らしくないことだ。自分に裸体を見せたくないのだと気付いて、虎徹はずっと感じていた違和感を口にした。 「そうですか?」 「なんか怪我してんのか?そういや俺だけ入院してたけど、おまえもあのとき結構やられたんじゃないのか。スーツが平気だったから大丈夫かと思ってたけど、骨とかどっかおかしくしてるんじゃ───」 「平気ですよ。ちゃんと医師の診断を受けて、大丈夫だと保証されてますから」 心配する虎徹に、バーナビーはやわらかく笑ってそう言ってみせた。あの状況下だ。虎徹が運び込まれ、一緒に病院に行ったバーナビーのことを医師が診ていないとも思えない。だからあの時の怪我がたいしたことがなかったのは本当かもしれない。けれどたぶん今バーナビーはどこかに怪我をしている。それは虎徹の直感だった。 「見せてみろ」 いつまでもアンダースーツを脱がないでいるバーナビーに、強い口調で虎徹は言った。彼のスーツのファスナーに手をのばし、無理やり脱がす勢いでそれを引き下ろそうとする。 「背中だよ。背中、なにかやっただろ」 すでにそれを確信している虎徹の口調に、バーナビーはあきらめたように息をついて自分でファスナーを降ろした。黒いアンダースーツの背中が開いて、現れたバーナビーの背中に虎徹は息を呑んだ。 「おまえ…これ────」 バーナビーの背中には、何本も真っ赤なみみず腫れが走っていた。なにかでひっかいた、とかそんなものではない。尖ったものを思いきり押し付けたか、それとも細くしなやかなもので打ち付けたか…そんな跡だった。それも一本に本ではない。数えきれないその跡で、白い肌は背中全体が真っ赤に染まっていた。 「自分でしたんです」 「自分で、っておまえ…」 「僕は断罪されるべきなんです。痛みを、苦しみを覚えるべきだ。だから毎日、自分で自分の背中を鞭で打ってるんです」 虎徹のほうに向き直ると、バーナビーはむしろ誇らしげにそれを告げた。褒めてもらえるのを待っているような、そんなどこか子供っぽい表情。 「僕は罪を償わなければ。あなたを忘れたという罪。あなたを攻撃したという罪。あなたの心を傷つけたという罪を」 歌うようなやわらかなその口調。バーナビーの瞳は嬉しそうだったけれど、真摯だ。まっすぐに虎徹を見つめ、心の内を全部さらすように彼にささやきかけてくる。 「でも自分だとどうしてもうまくできなくて…ちゃんと覚悟を決めているつもりなのに、無意識に加減してしまうんでしょうか。そんなに痛いことにはならないんですよ。もっとひどくしなければいけないのに…情けないですね」 「バニー…なんで……」 自分で自分の背を打っている、という青年の顔を凝視したまま、虎徹はゆらりとよろめいた。彼がそうした性癖の持ち主ではないことなど虎徹にはわかりきっている。バーナビーは彼の言葉通り、自分を断罪するためにそれをしているのだ。痛みを自分の肉体に与えることで、自分の犯した罪を贖おうとしている。彼が罪を犯した……傷つけた相手が、まるでそれを望んでいないとしても。 「そうだ、虎徹さん、あなたがやってくれませんか」 アンダースーツを脱いで傷ついた裸体を虎徹の目にさらしながら、バーナビーはにこやかにほほえんでそう言った。えっ…と思わず一歩下がった虎徹にまた一歩近づいて、陶酔したような声で言葉を続ける。 「あなたが僕を断罪してください。あなたを忘れた僕を…そうだ、どうして思いつかなかったんだろう。そうしてもらえばいいんだ。そうすれば僕は───ゆるされる気がする」 誰も責めてない。許さないなんて言っていない。『世間』の誰かはわからないが、少なくともバーナビーの近くにいる人間は誰も彼を裁こうとなんて思っていない。彼は被害者だ。二十一年の時を奪われた哀れな青年なのに。 「ねえ虎徹さん。僕を鞭で打ってください。鞭で打って、痛くして、僕に苦痛を与えてください」 そう言って虎徹を見るバーナビーの瞳はすがりつくようだった。 彼は必死に乞うている。許されることを。そして許されるために断罪されることを願っている。痛みを、苦しみを与えられなければ許されない。そう信じている。信じていて、だから──── だから。 虎徹は今日も白い背中に鞭をふるう。 自分の方が痛いような心地に陥りながら、必死にバーナビーに痛みを与えている。 どうして愛している男を鞭で打たなければならないのか。どうしてこんなにかわいそうな青年に痛みを与えなければならないのか。白くしなやかだった背中がケロイド状にただれていくのを見るたび、虎徹は泣き出したくなる。 それでも彼はバーナビーに毎日鞭をふるう。彼を断罪し、虎徹を忘れた罪を贖わせ、そして許しを与えてやるために。 「虎徹さん…」 ベッドの上に虎徹を押し倒して、バーナビーは真上からきらきらした目で彼を見下ろしてくる。嬉しそうな顏。こどものようになにかを期待する顏。ご褒美を欲しがるその顔に手を伸ばして、虎徹はそっと白い頬を撫でてやる。 「いい子だバニー…おまえは許されたよ」 「ゆるされた…ゆるしてもらえた?───こてつさんは?」 「バニーが痛いのをこらえてがんばったから許してやるよ」 やさしく言って笑う。わざと彼を責め、それから許しを与えて甘やかす。 「おまえが俺を忘れて、罵って、攻撃したこと、ちゃんと許してやる」 誰が許さないと言うのだろう。誰がバーナビーを断罪するというのだろう。虎徹はただただ痛いことなどなにもせずに彼を甘やかしてやりたい。しあわせにしてやりたい。奪われた二十一年の分も、彼に幸福になって欲しいのに。 「虎徹さん、うれしい」 嬉しい、と笑ってバーナビーは、今度こそ虎徹に恋人のキスをする。先ほどの信仰のようなキスとは色を異にする、甘くやさしいだけのそれ。今日の贖罪を終えた彼は、ご褒美を口にしてそれを甘くかみ砕くのだ。 「ん……ふ、っ────」 くちづけられながらシャツのボタンを外される。首筋に、胸元に吸い付かれて声が漏れた。恋人としての甘やかなひととき。惑乱する熱を感じて自然と腰が浮いた。快楽への期待と恋人にふれられる幸福感と、どうしようもなくわだかまる悲しみがいっぱいになって、思わず涙がこぼれそうになった。ふれてくる指が、くちびるが、自分の肌に落ちる金色の髪が愛しくてならない。愛しくてかわいくてどこまでも甘やかしてやりたいのに。 虎徹はバーナビーの背中に腕をまわし、そっとその背中にふれる。鞭で何度も打たれたそこは熱を持ち、やぶれた皮膚からはじくじくと血が吹き出していた。あえてその傷にふれ、虎徹はざりりとそこに爪をたてた。 「あ───っ」 バーナビーのくちびるから声が漏れた。悲鳴のようなそれはしかし、どこか甘い響きを帯びている。虎徹は指を動かして、血のにじんだ背中をさらに撫でた。 「ひっ…あ……」 「痛いか、バニー?」 「いたい…です。───でも」 痛みにふるえながら虎徹を抱きしめてバーナビーは笑う。しあわせそうに、嬉しそうに笑う。こんな夜のベッドで見るよりも、光の中で見るのがふさわしいような綺麗な笑顔。 「ゆるされてる感じがする。あなたに、かみさまに、世界に…僕は存在してもいいんだって言われてる気がする」 言いながら彼は虎徹の腕をたどるようにして自分の背中に手を回す。虎徹の手に手を重ねて、また嬉しそうに笑った。 「この傷はきっとそのうちもう二度と消えなくなる。この痛みはずっとなくならなくなる。そうしたらねえ、僕は絶対にあなたのことを忘れたりなんてしない。この痛みを、傷を与えてくれたやさしいあなたのことをけして忘れない」 絶対に、と繰り返してバーナビーは自分の背中から手を離した。虎徹の両腕を自分の背に回させてから、ぎゅうっと彼を抱きしめてくる。 「虎徹さん虎徹さん虎徹さん……あいしています」 「俺も…バニー」 ぴたりとくっついてくるあたたかな体。耳元にふれるくちびるも、ふれあった肌も、こすれている股間も、どこもかしこも熱を持っている。愛しい男の背中に腕を回して、虎徹はそこに爪を立てる。爪を立てて声をあげさせ、それから甘い声でささやいた。 「俺も、おまえのことを愛している」 ────おまえの望むことを全部かなえてやりたくなるほどに。 ささやきを呑み込んで、虎徹はそっと目を閉じた。 自分の胸の奥の痛みを隠すように、世界から視界を遮断したのだった。 back |