その儀式は形骸だけの意味のないものだった。
少なくともルルーシュにとって、そこで行われる茶番のような所作のすべてはどうでもいいできごとにすぎない。
並み居る愚かな貴族たちに視線を巡らせ、それからルルーシュは己の足もとへと視線を落とした。そこにひざまずく、まだ少年と言っていい一人の男。ルルーシュの幼なじみにして、最大の味方…枢木スザクは頭をたれてルルーシュの言葉を待っている。
ルルーシュの騎士となるための正装に身を包んだその姿は毅然としていて、その姿を見るというためだけならひょっとしてこの儀式にも意味はないことはないのか、とルルーシュは少しだけ気分を持ち直した。
騎士就任の儀式は、その存在を内外に知らしめる意味を持つ。けれどイレブンであるスザクを騎士として公表することは、頭にクモの巣のはっているおろかな貴族どもの間に波風をたてるだけに過ぎなかった。騎士として優遇したとて、スザクに対する侮りが緩和されるわけではない。
「枢木スザク、汝ここに騎士の誓約をたて、ブリタニアの騎士として戦うことを願うか」
「イエス・ユア・ハイネス」
決まり通りの言葉と所作を進める間にも、見守る貴族たちの間でささやきが交わされる。聞こえよがしの、聞きとがめられることなど恐れてもいないような言葉の数々。
「イレブンごときをひきたてるなど…」
「なんでもルルーシュ様は幼少の頃、ここ、エリア11にいらしたとか」
「まあ、道理でイレブンなどに肩入れなさること」
「しかし栄光あるブリタニア皇族の騎士にイレブンなどとは…」
「所詮は下賤の血と言うことですよ」
そのささやきを黙らせるだけの力を、今はまだルルーシュは持っていない。エリア11の総督の地位を得て、ブリタニア皇族の中でもそれなりの位置につけることができても、貴族のささやきひとつ消しさることができない。
けれどいずれ…と心の中でルルーシュはささやいた。こんな茶番も、愚かな貴族たちの思い上がりも、全部消し去るほどの圧倒的な力を手に入れる。誰にも文句を言わせない、最上の場所に立つのだと。
「汝、我欲を捨て、大いなる正義のために剣となり楯となることを望むか」
「イエス・ユア・ハイネス」
ルルーシュにとって、貴族に見せるだけのこんな儀式など意味はない。彼にはただ、スザクが自分の騎士になると言ってくれたこと、未来を約束してくれたことこそが意味がある。その約束は誰に知らせずとも、二人が知っていればいい。
だけど、とスザクに剣を渡されながら、ルルーシュはほんの少し表情を曇らせた。これでよかったのだろうか───本当に。
スザクの方に向かってのばされた剣。裏切ったならば殺せと、そうした誓いを含む儀式。そんな風に命を差し出させて、スザクを自分のものにして、それでよかったのだろうか。
自分はいい。自分の求める場所に向かって、一歩ずつ思う通りに近づいていっている。総督という地位を得た。思い掛けない力を得た。誰よりも心強い味方を得た。けれどスザクはどうなのだろうか。日本人でありながら、憎き敵であるブリタニア皇族の騎士にひきたてられた彼は。
ルルーシュはそんなじりじりするような焦燥を抱えて、立ち上がったスザクを祝福した。スザクは振り返る寸前、ルルーシュにだけ見えるようにふわりと笑った。その笑みはあまりにもあざやかで、ルルーシュは思わず途切れがちな拍手に包まれるスザクの背中を見つめ続けていた。
彼が檀上を降り、儀式の場を去るまでずっと。背中からその心の内側を計るように。
ルルーシュがエリア11総督として居住しているのは、宮殿のような華麗な屋敷ではなく、軍部に設置された仮の邸宅だった。平民の屋敷よりは格式高く作られてはいるが、ちょっとした貴族の屋敷よりはるかに簡素なものだった。
総督としてそんな所に住まわれるのは、と苦言を吐かれもしたが、ルルーシュは軍部の中以外に住むつもりはなかった。なにかあったとき自らすぐに出動できるような位置にいることが、総督として当然のことだと思っている。ナナリーには不便をかけているが、どうせならここに一緒にいた方が守りやすいと思ったのだ。
それに、どうせ仮の場所だ、とルルーシュは思う。
長くここにいるつもりはない。地盤を固めたら、すぐに本国に戻る。そして至尊の地位をかけてルルーシュは戦うのだ。
ナナリーのために。───スザクを連れて。
「およびですか、殿下」
ルルーシュが自分のその思いにぎゅっと手を握りしめた瞬間、ドアが控えめにノックされて、彼が待っていた人物が入ってくる。ルルーシュは影のある表情をぬぐい去って、パッと明るい笑みを浮かべてそちらを振り返った。
「スザク」
そう呼びかけてから、ふと気づいたようにルルーシュは眉を寄せる。まだ騎士の正装でいるスザクに近づいてその目を見ると、言い聞かせるようにきつく言った。
「二人の時はルルーシュと言え」
「ルルーシュ…さま」
「ルルーシュ、だ」
「……ルルーシュ」
ようやくそう言ったスザクに、ルルーシュは笑って見せた。その表情を見て、スザクは逆に困ったように眉を寄せる。どうしてそんな顔をするのか…そんな顔をさせたいわけではないのに、とルルーシュは再び表情をくもらせた。
スザクには笑っていて欲しかった。なんの屈託も無く、力強く、太陽のように明るく笑っていて欲しかった。彼をこちら側に引き込んだのはルルーシュ自身だ。だからそんな風に思ってしまうのは、あまりにもわがままなのかもしれない。けれど、スザクには変わらないでいて欲しい。自分のように闇の方へと引き寄せられずに、日の当たる場所にいて欲しいと思うのだ。
「なにか…思い悩んでいらっしゃるのですか」
ルルーシュの表情を注意深く見つめて、スザクがそう尋ねてくる。その他人行儀な丁寧な口調にせつなくなりながら、ルルーシュはスザクを見返すことができなくてうつむいた。言ってもどうしようもない、と思うのに思わず小さな声でつぶやきを落としてしまう。
「儀式が終わったばかりだが、私は……俺は後悔してる」
なにを、とスザクは聞かなかった。視界の端に笑みの形を刻んだまま止まっているスザクの口もとを写しながら、ルルーシュはひっそりと言葉を続ける。
「おまえを俺の騎士にしたこと」
「───私が騎士にふさわしくないということなら…」
「そんなんじゃない。わかってるだろう」
身を引くような言葉を口にしたスザクの上着をとっさにつかんで、ルルーシュはわずかに激高した声で言った。そして声をあらげてしまったことを恥じて、またうつむきながらささやく。
「……俺はおまえになにも与えてやれない。俺はおまえをもらったのに、俺はなにも返せない」
「返す必要などありません」
くちびるを噛んだルルーシュにやさしい声が言った。顔を上げればスザクはやわらかく微笑んでいて、彼の上着をつかんだルルーシュの手をそっと取り上げる。そのまま引きはがされるのかと思った手は、けれどスザクの手の中に包まれた。
スザクは大切そうに両手の中にルルーシュの手を握りしめて、静かな声で告げる。
「あなたはなにも返すことなどないのです。私が、あなたのものなのですから。───連れていってくださるんでしょう?高みへ」
「おまえはそんなことを望んでいないだろう?」
ずっと昔に約束した言葉を繰り返されて、ルルーシュはスザクの手に包まれた手をぎゅっと握りしめる。
『高みを見せてやるよ』
『スザク、誰にも見ることのできないような世界の高みを』
そんな言葉が相手の心を捕らえるだろうと信じた自分は、なんと愚かな子供だったのだろう。ルルーシュの中には世界への野望があって、それを叶える力が自分の中にあると信じていて、そして彼は誰もがそれを望むだろうと思う傲慢な子供だった。
いつか高みを見せると言って、それだけでずっとスザクを縛り続けていた。子供時代のあの頃も、会えなかった日々にも、そして再会してからも。
ルルーシュは小さく首を振ると、泣きそうになるのをどうにかこらえて言葉を続けた。
「おまえはなんにも望んでない。高みを見たいなんて思ってもいないだろう?おまえはただ、俺の望みに巻き込まれて、それを叶えようとしてくれているだけで…」
「……望みならあります」
ルルーシュが絞り出すように言った言葉に、やさしい口調で、けれどはっきりとスザクは言った。その意志の感じられる強い言葉に、思わずルルーシュは顔を上げる。その視線を、スザクのひた向きな瞳が捕らえた。目をそらすことができないような、そんな真摯な瞳。
「私はそれほど無欲ではない。ルルーシュ様、私にも望みはあります」
「……なんだ?」
ルルーシュはまばたきさえできずにスザクの目を見返して、なんとか声を出した。喉が急にカラカラにかわいていくような気がした。スザクの瞳。あつい、熱を宿したその色。
「言って欲しい」
「私をすべてあなたに渡すから、あなたの望むどんなことでもなしとげるから……だからルルーシュさま、あなたをくださいませんか」
スザクはルルーシュを見つめてそう言って、それから自分の言葉に困惑したように、ふと苦笑した。そして自分を嘲笑うように目を細めて、少し気弱にもう一度繰り返した。
「ほんの少しでいい…全部などとは言いません。あなたの一部を私にください」
「言い直せ」
ルルーシュはスザクを見つめて、彼に握りしめられた手をふるわせながらきっぱりとそう言った。指先が燃えるように熱かった。ふれあったところから炎が燃え広がるかと思った。喉が渇いてカラカラで…だから水を求めるようにルルーシュは必死に言葉を継いだ。
「そんな言い方じゃ、だめだ…言い直せ」
ルルーシュのその言葉にスザクは困ったように眉を寄せて、それから、あっ…と気づいたようにふと瞳をやわらげた。ルルーシュの手を握り直し、それからスザクはうっとりとその言葉をもう一度紡いだ。
「ルルーシュ、僕は君が欲しい」
「──────うん」
スザクにとられた手にじんわりと熱を感じながら、ルルーシュは彼の目を見つめてそっとうなずいた。
「俺を、やるよ、スザク。おまえが欲しがってくれるなら、全部…」
ルルーシュはそう言ってスザクの手を一度ふりはらうと、改めて彼の腕を取った。そして面食らうスザクを引き寄せて、そのくちびるにそっとキスをした。
「『約束』には、『儀式』がいるだろう?」
「ルルーシュ」
スザクはルルーシュのその行動に顔を赤くして、指先でくちびるにふれている。その素の顔がおかしくて、そしてとても嬉しくて、ルルーシュは晴れやかに笑った。その笑みにスザクが視線をくぎ付けにされていることなど気づかずに。
「俺はずっとおまえのものだ。あの約束をしたときから…『儀式』をしたときから」
子供の頃の『儀式』と今日の『儀式』でルルーシュはスザクを手に入れた。そして同時に彼自身スザクのものになる。互いが互いのもので、だから二人がそこにあるのは必然だと思った。出会いも再会も運命なのだと信じられた。
晴れやかに笑って彼を見るルルーシュに、スザクは少しだけ困ったように、けれど幸福そうにほほえんでそっと手を伸ばした。花に止まった蝶にふれようとするようにそっと、おそるおそるルルーシュの髪にふれる。
その手をルルーシュは体の中を満たす幸福感と共に受け入れる。目を閉じて捕まえられるのを待っている。スザクの手の中に捕らわれるのを。彼のものになるのを。
「僕は君が欲しかった。ずっとずっと…出会った時から」
そう言ってスザクはルルーシュにもう一度キスをした。ずっと昔、ルルーシュが彼にしたような、約束のキスを────
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