その少年とスザクの出会いは、おそらく最悪な部類になるだろう。
 その日、彼らがやってくることをスザクは知っていた。知っていてそこで待っていたのだ。枢木家のはずれにある蔵。スザクが枢木スザクではなく自分自身であれる数少ない場所が、その人物たちのせいで失われるのだと思ったから。
 ブリタニアから人質としてやってくる、スザクと同年代の皇子と皇女。その二人が『スザクの』蔵に住むと聞いて、スザクはいてもたってもいられなかった。ブリタニア人といえば野蛮で、ただ力だけで道理を通そうとする愚かな人種だ。その筆頭とも言える皇族が枢木の家に来るなんて、それもスザクの場所を侵すなんて許せないことだった。
 父親の立場はスザクとてわかってはいるから、追い返すことはできない。それでもスザクはその皇子たちに自分の不快を思い知らせなければいられなかった。バカなブリキ野郎に、まず立場を思い知らせてやろうと思ったのだ。
 スザクは蔵の中で彼らを待ち伏せしていた。野蛮なブリキ野郎を叩きのめすつもりでそこにひそんでいたのだ。
 けれど。
「すてきなところだよ」
 スザクの目の前にあらわれた少年は、彼が想像していたような人物ではなかった。妹であろう少女の乗った車イスを押して、よろめきながら蔵の中に入ってきた少年。
 彼は想像していたよりずっと小さく、細く、そして───スザクがいままで見たどの人間よりも、とてもうつくしかった。
「雪のように真っ白い壁と、花をあしらった飾り窓があって…」
 そのうつくしい少年は痛みを覚えているような表情で蔵の中を見回し、そこにある光景とはまるで異なることを妹に説明する。その声は、その表情の方が嘘だと言うようにとてもやさしかった。
 人形のように白い肌。暗い土蔵の中を見つめ、背後からの光を受けてほんのりと輝く紫の瞳。ブリタニア人特有なのか、それとも年頃の問題なのか、ややバランスを欠いて見える細い肢体はそのアンバランスさゆえにかえってうつくしかった。
 単一民族である日本で生まれ育ったスザクにとって、それは異様と言っていい容姿だった。同じ人間とも思えない。人形のような色彩と形。
 けれどスザクは、それを気持ち悪いと思うよりも先に、きれいだと感じた。ゲスな『ブリキ野郎』にそんな風に感じるなんておかしいけれど、お祭りの屋台で手に入れた光るビー玉みたいに、その少年の目は宝物のようにきれいだった。
 その時スザクのなかにわきおこった激しい感情はなんだっただろうか。怒りのような、恐怖のような、腹の底からワッとわきあがる抑え難い衝動。
「誰だ!」
 その少年の誰何の声にスザクはびくりとふるえた。当たり前だがそんなものに怯えたわけではない。ただ、予想外だったのだ。スザクにそんな風に険しい声で呼びかけて来る奴なんて誰もいない。スザクは『枢木のこども』で、王様だったから。
「出てこい、そこにいるやつ」
 続けて発せられる強い響きの声に、スザクはぞくぞくした。突き上げる衝動の意味を知らぬまま、彼はその少年たちの前に歩み出る。
「えらそうに言うな」
 叩きのめさなければ、と思った。自分の心を騒がせるこの少年を。ブリタニアから寄越された、この悪魔の先兵を。
「ここは俺の場所だったんだぞ。もともと」
「君の…?」
「やっぱりブリタニア人ってずうずうしいんだな。日本まで植民地にするつもりか」
 少年はかばうように妹の前に立つと、不審げにスザクを見つめる。その臆さない目にカッとして、スザクは少年をにらみつけると低い声でそう言った。けれど少年はそれにもひるまず、かえって彼に言い返してきたのだ。
「日本だって実効支配はしている。後進国を経済的に」
「えっと…?」
 その少年の発した言葉の意味が、スザクにはよくわからなかった。スザクとて一国の首相の息子であり、物を知らぬ子供ではない。けれど自国を批判するその言葉を彼は理解できなかった。そんなスザクを見て、少年はどこかあわれむような表情で静かに言葉を続ける。
「日本もブリタニアもたいして変わらないってことさ」
「嘘だ!」
 その言葉の内容よりもむしろ、少年のその声色にカッとしてスザクは反射的に叫んだ。少年はそれにもひるまず、負けじと彼に言い返してくる。
「嘘じゃない。君の父親にでも聞いてみろよ」
「おまえはうそつきだ。なにが白い壁だ。この部屋のどこに飾り窓があるっていうんだ」
「やめろ!」
 カッとしたスザクは嘲笑うようにそう言った。少年が妹に説明した言葉。そんなすぐわかる嘘をついてなんの意味があるのだろう。その理由も考えずに、スザクは少年の嘘をあげつらってみせた。そしてその言葉をかきけしたいみたいに、少年は動揺してスザクにつかみかかってきた。
「ハッ!」
 武道などなにもやったことがないようにみえる、スキだらけのその細い体をスザクはあっさりと投げ飛ばした。痛快だった。枢木の名にひるまずとも、この少年もスザクのその力には屈するだろうと思った。枢木の名と同年代のだれもかなわない彼の身体能力。それにひれふさない人間など、どこにもいないのだから。
「どうだ、ブリキ野郎め!日本人をなめるな」
 叫びながら、スザクはその少年に殴る蹴るの暴行を加えた。臆さずスザクを見つめ、屈しない目を向けてきた少年があっさりと自分にやられていることに征服感を刺激されて、スザクの暴力はやまない。普段の彼はむやみやたらと暴力を振るうたちではない。それなのに自分をとめられなかった。彼に殴られている少年が、それでもけして、ただ殴られているようには見えなかったからかも知れない。
「やめろ、この野蛮人…!」
 その少年の発した言葉に、スザクはカッとした。それはこちらのセリフのはずだ。力を誇示することしかできない、愚かなブリキ野郎。それを見下していたのは自分であったはずだ。なのに、ブリタニア人である少年は、殴られながらも蔑むような目でスザクを見ている。
 暴力にさらされながら、彼は少しもスザクに屈していない。枢木の名にも、スザクの力にも屈しない少年。そんな存在は初めてだった。
 頭の奥がくらくらした。予想と違う少年のひ弱そうな細い肢体、見たこともないうつくしい瞳、それなのにその目はけしてスザクに屈することなく、彼の愚かさを嘲笑っているようにさえ見えた。だからスザクの衝動は止まらなかった。これを叩きのめさなければならない。この存在は自分を壊す。いままでの自分を壊してしまうから、とそう本能で思った。
「やめてください!」
 スザクのその衝動を止めたのは、小さな…まだ幼女と言っていい女の子の声だった。おそらくはスザクが殴っていた少年の妹。ブリタニア皇族の一員であるはずの少女。
「どなたかわかりませんが、私のできることならなんでもしますから」
 可憐な少女の声に、スザクはようやく自分を取り戻す。自分より幼い、どうみてもなんの力も持たない少女。それに向かってふるう力を、スザクは持っていない。さすがに理性を取り戻して、自分のした行為にハッとした。
 彼女の姿としぐさを見て、スザクは初めてその子の目が見えていないことに気づく。神社までの階段を少年に背負われ、今は車イスに座っている少女。そんな彼女の姿と、自分が殴りつけた少年の見上げてくる目を見て、スザクはカアッと体が熱くなるのを感じた。
 それは羞恥だっただろうか。
 ブリタニアの皇族が来ると聞いて、そして予想外のその姿を見て、動揺してしまった自分への恥ずかしさ。明らかに自分より力を持たないものに向かって暴力をふるったのだということに、その時ようやくスザクは気づいたのだ。
「ごめん」
 ひとことそう言うと、スザクは蔵を後にして駆け出した。走るスザクの脳裏に、あの少年の姿が甦る。スザクが見たこともないきれいな色の目で、彼をまっすぐに見据えてきた。彼は反撃する力も持たないくせに、妹をかばい、スザクに向かって来た。
 あの妹のために、あのきれいな目をした少年は嘘をついたのだ。目の見えない小さな妹。なんの力も持たない、持とうとも思っていない力弱い存在。
(どうして)
(どうして刃向かってくる)
(力も持たなくせに)
(弱いくせに)
(ヒトジチのくせに)
(妹のため…?)
(それならどうして俺に媚びない)
(どうして───)
 走りながら、スザクはけして自分に屈しなかったあの少年の態度を思って混乱していく。異国の皇子さま。気位の高い…野蛮なだけのはずの人間。
 あの土蔵はスザクの場所だった。スザクの秘密基地のひとつ。彼がひとりになれる特別な場所だ。けれどそうは言っても、あの場所が普段暮らすのに向かない場所だということはスザクにもわかる。
 そんな場所に押し込められるという事実を、あの少年は妹に知らせたくなかった。実際にはそこがどんな場所であろうとも、目の見えない妹に、うつくしい幻想を見せていたかったのだろうか。
 そうした感情はスザクにも理解できた。
 人形みたいな容貌を持つ、ブリタニアというスザクの理解の及ばない異国の皇子。まるで違う生き物のように感じたそれが、自分の理解できる感情を持つということに、スザクは動揺した。
 あんなにうつくしい生き物が、自分と同じ感情を持ち、そして自分に屈することなく見返してくるというその事実。それに、スザクはどこか感動のようなものをいだいたのだった。




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