その日々はうつくしかった。三人で過ごしたその短い日々。それはいつも光の中にあり、互いのぬくもりの中にあり、少なくともスザクは、その日々が終ることなど考えもしなかった。
ナナリーを挟んで、スザクとルルーシュは常に共にあった。スザクは二人を守ると言った己の言葉のままに兄妹のかたわらにあり、ルルーシュはそんなスザクに世界を教えた。この狭い日本の片隅で語られる世界の話。それもまた、狭い世界の話でしかないのだということに、誰も気づかぬまま。
そしてある日、三人の完全な世界は崩壊する。
戦争という不穏な二文字を引き連れて。
スザクは走っていた。日が暮れた枢木神社の敷地内、本当なら暗くなってからは明かりがなくて危険だから、と出歩くことなどない場所を、彼は迷いもなく走っていた。
目指す先はルルーシュたちのいる土蔵だ。早く早く早く!手遅れになる前に!
「ルルーシュ!」
叫びながら飛び込んだスザクは、そこで自分の行動がすでに手遅れになったことを知る。土蔵の床には、ルルーシュが倒れていた。そしてナナリーの姿がない。この土蔵以外の場所で、ルルーシュがナナリーと離れるはずもないのに!
「ルルーシュ」
スザクが駆け寄って助け起こすと、ルルーシュはわずかにうめいてまぶたをあげた。なにか薬を使われたのか、動きは緩慢だったが、意識はあるようだ。
スザクの姿を認めると、力を振り絞るようにしてその肩のあたりを必死につかんでくる。
「ナナリーが…連れていかれ、た…」
助けてくれ、とその瞳が言っていた。ナナリーは、ナナリーだけは、どうしても、とすがるように。そしてルルーシュはがくりと顎を落とし、うめくようにつぶやく。
「やっぱり、こうなることを見越して…!」
ルルーシュはスザクに向かってそう言っているのではない。なにかを、だれかを呪うようにそのうめきを発しているのだ。
そしてスザクには、ナナリーをさらった人間に心当たりがあった。あまりにもありすぎた。
戦争の話をしていた自分の父親。日本という国そのものへの裏切り。人質という言葉と取引相手、先払い、という断片的な言葉。ナナリーを連れ去ったのはスザクの父親なのだ。戦争を起こすために、国を裏切って自分が権力を握るために、あの男はいま動いている。
「俺がナナリーを助ける」
スザクはルルーシュを腕の中からそっと降ろすと、決意を固めて立ち上がった。ルルーシュはそれでもまだ床から体を起こそうとしていたけれど、それをスザクはしぐさで止める。
「おまえはそこにいろ、ルルーシュ」
そう言い置くと、スザクは外へと駆け出した。今度こそ手遅れにならないよう、ルルーシュたちを守るという誓約を果たすために、彼は闇の中を走り出したのだ。
スザクがたどり着いた先には、やはりナナリーがいた。ナナリーとそして、スザクの父親がいた。彼が何をしようとしているかスザクは知っている。
それは、許されないことだ。けして、許されないことだ。誰が許してもスザクが許さない。そう、スザクは心に決めていた。
「なんの用だスザク」
ナナリーに向かってなにかを話していたらしい父は、ノックもせずにいきなりドアを開けて飛び込んできたスザクの姿を見て眉を寄せた。よりにもよってこんな時に、とその表情にはあからさまな不快が浮かんでいる。
「私は大事な用があるんだ。子供は部屋に行っていなさい」
「ルルーシュとナナリーに手を出すな」
虫でも追い払うようなその言葉など聞こえないように、スザクはおもむろにそう言った。その言葉に父はさらに顔をしかめて、スザクの言葉の内容などまるで問題にしていないかのように叱責する。
「なんという口のきき方をしている。父親にそんな言葉遣いをするようなしつけはしておらん」
「二人に手を出すなら」
自分の言葉など聞きもしない父親を見て、スザクは心の中に冷ややかさを増していく。これは、要らないものだ。父親とか血縁だとかそんなものは関係がない。これは存在してはいけないものだ。
「父さんは生きていてはいけない」
そうスザクは宣告した。ナナリーに手を出すのなら、ルルーシュを傷つけるのなら、そんなものは己の父親でもあっても存在してはならないのだと。
「ルルーシュを傷つけるのは許さない」
言いながらスザクは表情も変えずに、後ろ手に握っていたものを前に差し出した。そしてそのまま、なんの躊躇もなくそれで父親の身体を刺し貫く。
「なっ……ス…ザク…!」
ドスン、と鈍い音が響いた。それは日本刀が人の体を刺し貫く音だ。藤堂がうかつにも道場に置き去りにした刀剣、それを使って、スザクは己の父親を刺したのだ。
「ス、ザ…ク……!」
日本の頂点にあるはずの枢木ゲンブ首相は、あるいはこの先すべての権力を握ったかも知れない男は、その一人息子の手によってその時絶命した。己の息子を突き動かしたのがどんな感情だったのか、彼はもはや知ることはない。二度と…永遠に────
「スザクさん?どうしたんです、スザクさん」
自分の目の前で起きていることがわからず、ナナリーが不安そうな声をあげる。スザクは父親を刺した刀を床に捨てると、無理に笑みを作ってナナリーの方へと近づいた。
「大丈夫だよ、ナナリ……」
彼女を安心させようと口を開きかけて、スザクはその先の言葉を失う。あげた視線の先、ナナリーの向こう側に、半分開いたドアを見たから。そしてそのドアの向こう側には、呆然とするルルーシュの姿があった。薬の作用でふらふらになりながらも、ドアにしがみついてスザクを見ている。
「ルルーシュ……」
「お兄さま?」
スザクの言葉に、ナナリーが嬉しそうにドアの方を振り返る。ドアの影から出たルルーシュはゆっくりとナナリーのもとに歩み寄りながら、目はじっとスザクの方を見ていた。
恐れではない、責めるのでもない、その瞳は痛みと悲しみと、そしてその下に隠された、ほのかな喜びのようなものをにじませていたのだった。
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