愛人契約4-2








 指定された場所は、予想通りマンションだった。それも、下層には高級ブランドやレストランが入った、おそらくシュテルンビルト最高クラスのマンションだ。エントランスを入るとコンシェルジュが常駐しているようで、なぜか口を開く前に『鏑木様ですね』と声をかけられる。
 虎徹が気圧されて黙ってうなずくと、その男性コンシェルジュはブルックス様からうかがっております、と言って、虎徹に身分証の提示と指紋・網膜パターンの登録を頼んできた。そうしないと入れないのか、と思って虎徹はセキュリティの高さに驚く。
 どうにか個体情報を登録してエレベーターに案内される。中に入ったらパネルに指を当ててくださいと告げられてエレベーターに乗ると、パネルと開閉ボタン、あとは非常用の呼びだしボタンしかなかった。パネルに指を押し当てると、ぐんっとエレベーターが動きはじめる。情報が登録されている階にしか止まらないのだろう。
 エレベータが停止して降りると、そこはガラス張りの小さなホールになっていた。驚いたことにガラスの外には木が見えていて、そこは小さな庭のようになっている。そのことでそこが最上階なのだとわかった。いわゆるペントハウスだ。
 ホールの向こうに、ポツリと豪奢な扉があった。おそるおそる歩み寄ってインターフォンらしきものにふれると、マイク越しにバーナビーの声で『指紋認証で入れます。どうぞ』と促される。戸惑いながらドアの感知部分に指を押し付けると、カチリと扉が開いた。
 中に入るとまた小さなホールがあり、その先に照明を落とした廊下がある。廊下の向こう、突き当たりの扉だけが開いていた。ゆっくりと奥に進むと、そこは広々とした寝室だった。壁一面がガラス張りで、その向こうにシュテルンビルトの夜景が見えている。バーナビーは窓の手前にあるソファに座って夜景を見ていたが、虎徹の気配にこちらを振り返った。
「来ましたね」
 相変わらず間接照明が好きなのか、壁を照らす薄暗い明かりだけの中、バーナビーはゆっくりと立ち上がって虎徹の方に近づいてくる。こちらを見ているバーナビーの視線とすぐ横にある大きなベッドに気圧されて思わず後ずさりそうになったけれど、ぐっとこらえてバーナビーを見返した。夜目にも緑の瞳の色ははっきりと見えていて、ほんのわずかだけ目を反らす。
「五分遅れていますよ。時間には正確に」
「下で…手間取って」
「ああ、個体情報の登録ですね。これであなたはここに出入り自由になりましたから。ここは自由に使ってくれていいですよ。愛人への『手当て』です……もっとも、今日試してみてお互いに大丈夫だと思ったら、ですけど」
 その言葉でバーナビーはここに住んでいるわけではないのだと知れた。彼の持っている部屋のひとつを、『愛人』である間虎徹に使わせてくれるつもりらしい。けれど今日これから『テスト』があるのなら、まずそんなことにはならないだろう、と思った。
「……シャワー浴びてきましたか?」
「着替える前に…」
 来る前に考えていたのとは違って、バーナビーは虎徹が来たことに困惑はしていないように見えた。その顔はやわらかくほほえんでいて、それは彼がカメラの前でいつもつけていた仮面と同じで、その心の内をうかがわせない。その笑みのままバーナビーが自分に手を伸ばしてくるのを見て、急に身がすくむ思いがした。
「なあ…ほんとにすんの?俺、もう四十も越してるんだけど」
「僕が三十になったので、そうでしょうね」
「力仕事してるからそんなにひどくねーとは思うけど、腹だって出てきたし、肌のはりもねえし…」
 五年前とは違う。虎徹自身が衰えたことそのものよりも、バーナビーはあれから綺麗でやわらかな女の肌を知った。噂になったどの女も、うつくしい極上の女達だった。そんな女達とこんなしょぼくれた中年では比べる対象にもならない。だいたいそもそも男だ。やわらかい胸も、濡れた膣も持たない。
「じゃあ確認させてください」
 虎徹の言葉などなにも気にしてないように、バーナビーはスッと彼のシャツに手をのばしてボタンを外しはじめる。虎徹は思わずその手をつかんで止めてしまった。
 呆れられると思った。やっぱり五年前に夢中になっていたのは幻想だったのだと、そうわからせるために来たようなものだ。四十もすぎた男が、こんな綺麗な男の愛人になんてなれるはずもない。それをはっきりさせるためにここに来た。
 そう思うのに、幻滅されるだろうと思うと体がすくんだ。虎徹にとって五年前までのバーナビーとの日々は、そっと大事に取っておきたい記憶だった。それを壊してしまうことが怖かった。
「いやなら無理にとはいいませんよ?」
 ひどくやわらかな声でバーナビーが言う。金を貸すのと引き換えに愛人になれと言った男の口調とは思えなかった。やはりこれはバーナビーの遠回しな断りの方法なのだろうか。
 ぐるぐるとそう考えてうつむいていたけれど、虎徹はバーナビーの手を離そうとはしなかった。ぎゅっとそれを握ると、バーナビーがぴくりと反応する。彫像のように綺麗な白い手。その薬指に銀色の指輪がはまっているのを見て、ぞくりとした。
 この男はもう他の誰かのものだ。だから───だけど。
 虎徹はバーナビーの手を取り上げると、ゆっくりとそれを自分の口もとに運んだ。そしてその指先をくちびるに含み、ぴちゃりと音をたてて舐め、そっと視線だけでバーナビーを見上げる。
「─────」
 一瞬の後、バーナビーの指は勢いよく虎徹のくちびるから引き抜かれた。目的を忘れて舐めることに集中しかけていた虎徹は抗議の声を上げかけたけれど、いきなりベッドに押し倒されて言葉を発することはできなかった。
 バーナビーにやんわりとのしかかられ、頬にふれられる。ベッドサイドにカチャリと眼鏡を置く音がして、バーナビーの綺麗な顔が真上から見下ろしていた。ガラス越しではない緑の瞳に思わず見とれた。その瞳に自分だけが映っているという事実にぞくぞくする。
「キス…すんの」
「するでしょう、それは」
 至近距離で見てもどこまでも綺麗な顔が近づいてくるのに気がついて問えば、当たり前だというように返される。
 たしかに虎徹は金で体を売ろうとしているけれど、別に娼婦ではない。そもそも娼婦がキスをしないなんて都市伝説のレベルだ。キスなんて当たり前か、とひそりと笑う。キスは性行為の一部で、だけどそれだけとは言えなくて、なんとなくドキドキする。
 バーナビーのくちびるは一度戸惑うように軽く虎徹のそれにふれて、それからぎゅっと押し付けるように強く重なってきた。
「ん……」
 くちびるを軽く吸われる。すぐ内側を舌先でなぞられる。下くちびるをやんわりと噛まれる。
 ああ、バーナビーのキスだ、と思った。バーナビーの味がする。バーナビーの熱を感じる。くちびるのやわらかさも温度もそのままだった。きちんと手入れされた、荒れたところのないくちびる。
 小さく口を開けば舌が入り込んできて上顎を舐められた。思わずぴくんっと体をふるわせてしまって、張りあうように虎徹もまたバーナビーの舌を追いかける。ぴちゃ、ぴちゃ、と音をたてて舌が絡み合った。舌の奥の方をざらりと舐められてぞくぞくと背筋をふるわせる。
 バーナビーの体から力が抜けて、のしかかってきていた胸がぴったりとふれあう。少し重かったけれど、ふれている体の熱がたまらなく気持ちよかった。まだ二人とも服を着たままで、だからシャツ二枚分がひどく邪魔に感じられる。
 直接肌にふれたくてバーナビーの胸元にふれると、押しのけようとしていると勘違いしたのか、くちびるが離れていった。熱を失った空虚さに思わずぬれたくちびるを見つめてしまうと、バーナビーはくすりと笑ってみじろいだ。
「っ……!」
 脚の間に膝を入れられてぐっと押し付けられ、体がびくんっと跳ねた。虎徹の股間のものはゴリッと音がしそうなほどはっきりと勃ちあがっていた。
「キスだけで勃ってますけど。最近セックスしてなかったんですか?」
「最近もなにも…してねえよ。相手いないし」
 あれから、とは言わなかったがおそらく意味は伝わっただろう。五年前バーナビーに黙って彼の部屋から出ていったあの日から、誰とも寝ていない。そんな相手もいない、ということもあったけれど、そもそもそんな気には全くなれなかった。
 バーナビーは虎徹のその言葉を聞いて、なんとなく微妙な顔をする。悪かったな相手もいないしょぼくれた中年男で、と思ったけれど、自分にのしかかってきているバーナビーの体の変化に気付いてにっ、と笑った。
「おまえだって勃ってんじゃねーか。相変わらずキス好きだね、バニーちゃん」
「性癖なんてそうそう変わるものじゃないでしょう」
 虎徹の言葉の内容にか、それとももしかして『バニーちゃん』と呼んだことに対してか、バーナビーはムッとした顔をする。そのやや子供っぽい表情に少し安堵した。あまりにも整った顔立ちは無表情でいると作り物のように見える。再会してからバーナビーが虎徹に見せていたのはずっと作られた表情で、そこに感情を見いだせなくて怖かった。
 それでもいまほんの少し緩んだ表情を見れば、彼の根源など変わっていないのだと思える。立場も感情も虎徹に対する態度も、なにもかもが昔とは違っていたとしても。
 虎徹はゆるんだ空気に後押しされるようにして、自分でシャツのボタンを外しはじめた。幻滅されるならとっとと済ませたい、とそう思ってのことだったけれど、ボタンにかけた手をバーナビーのそれに奪われる。バーナビーは虎徹の手を自分のシャツに押し当てると、自分は途中になっていた虎徹のシャツのボタンを外していく。
 お互いの服を脱がせあうということか、と理解して虎徹もバーナビーのシャツのボタンを外していったけれど、向かい合って手を交差しているこの状況にいたたまれなくなる。互いの服を脱がせるのなんて、恋人であった頃しょっちゅうしていた。それはキスをしてくすくすと笑いながら、あるいはその先にあるものへの期待に体を熱くしながら、戯れのようにしたしぐさだ。それをこの感情を伴わない行為の中で行なうのは、落ち着かない気持ちにさせられる。
 虎徹が彼のシャツのボタンを全部外し終える頃には、バーナビーは虎徹のベルトをゆるめ、くつろげたズボンの間の下腹からはだけた胸元までをなぞっていた。着たままだったジャケットごとシャツを肩から抜いてベッドの下に落とすと、虎徹の胸元に指をはわせながら目を細める。
「……少し痩せましたね」
「そうか?あんま変わってねえと思うけど…筋肉は落ちたかな」
「肌は相変わらずさわりごこちがいい…」
 検分するようなバーナビーの手の動きと視線にぞわぞわした。自分の体がどうだろうとさして気にしたことはない。せいぜい太ったか痩せたかくらいで、そもそも人に見られることもないし、もちろん手入れなどしているわけもない。そんな体を値踏みされるのはいたたまれなかった。
 虎徹の含羞など気付かないように、バーナビーは彼の胸元をなぞり、自分の手の動きを追うようにして顔を伏せると、虎徹の肌にくちびるを寄せる。ちゅっ、と吸い付かれて肌がふるえた。ちらりと視線を落とせば、バーナビーの彫像のように整ったくちびるが自分の肌をなぞっていて、その淫猥な光景に背筋がぞくりとする。
 確かめるようにふれていくバーナビーのくちびるからは、わずかに荒い息が漏れていて、こんな体でも少しは興奮してくれているのかとほっとした。あんな綺麗な女達とつきあっていて、こんなおっさんにも興奮するのかとおもったけれど、ふれることで興奮するのは男の性というものだろう。
「っ、そこ……!」
 肩に残る傷跡に吸い付かれて思わず声が出た。バーナビーとヒーローアカデミーを訪問した時、ルナティックと対峙してつけられた傷だ。青い高温の炎で負った傷は裂傷となり、あれから六年経った今も虎徹の肌の上に残っている。
「傷跡、残りましたね」
「一年経って消えないもん、五年経っても消えねえ…だろっ……」
「僕の付けた傷だ」
「ちが……あっ、ひあっ…!」
 おまえじゃない、俺に怪我を負わせたのはルナティックだとそう言おうとしたけれど、そこに軽く噛みつかれて体が跳ねた。痛いわけではなかったが、バーナビーにふれられることに緊張して敏感になっている肌に、その刺激は強すぎる。噛みついた場所をなだめるように舐められて簡単に息が上がった。
「ブランクがあるわりに感じやすいですね」
「っ……ふ…」
 反論をしようと思っても、やわやわと勃ちあがっている乳首を指先でいじられて、あらぬ声が漏れそうで口を開けない。性器はともかく、そんなところなどこの五年間気にしたこともなかった。自分でさわったこともなかったし、こんな風にぬれた舌で舐められるのなど久しぶりすぎて、その感覚を受け止めきれない。
「こんな体で、本当に誰ともしてなかったんですか?ちょっとさわっただけで、もうこんなになってるじゃないですか」
 バーナビーはそれが勃ち上がっていることを教えるように乳首をいじり、さらには虎徹の脚の間に膝を入れて、ぐりっと股間を刺激した。前をくつろげられただけのそこは、もしかしたら前立ての間から見えている下着に恥ずかしい染みを作ってしまっているのではないかと思えるほど、はっきりと勃ちあがっている。ほんの少し下着をずりさげれば、勢いよく飛び出してきそうだ。
「ひ…ひさしぶり、だから」
「こんなんじゃ、シャツにこすれただけで感じるんじゃないですか?力仕事してたって言いましたけど、仕事しながら勃たせてたりしたんですか?ここを…こんな風に」
「っ……あっ」
 舐められて濡れている乳首をきゅっとつままれて、胸ではなく腰が揺れた。そのあまりに正直な体の反応に赤面する。全身の感覚が全部そこに集中していて、感じすぎてどうにかなりそうだった。きゅうっと小さな粒をつぶすように強くつままれれると、まともな呼吸さえできなかった。
「ばにっ…イタイ……」
「痛い、じゃないでしょう。あなたが感じすぎなんです」
 つままれたところがズクズクと熱をもって痛みを感じる。すすり泣くようにして訴えた虎徹を嘲笑うような目で見下ろして、バーナビーは冷たく笑った。
「答えてくださいよ」
「な…に……?」
「本当は誰かに抱かれてたんでしょう?淫乱なあなたのことだ。こんな風にさわらせて、あんあん声をあげてたんじゃないですか?」
「してな…」
 淫乱ってなんだ。そんな風に思われていたのか、とカッとした。たしかにバーナビーと寝ていた頃、自分は中年の男のくせにどうだと思うほど感じやすく、こらえきれずに馬鹿みたいな声をあげていた。それまで男としての快感しかしらなかった虎徹に、そんな恥ずかしいことを教えたのはバーナビーだ。
 けれど、いくらなんでもいい年して恥ずかしすぎる、とどうにかこらえようとしていた虎徹の我慢の糸を切ったのはバーナビーだ。あなたが感じてるところが見たい、声を聞きたいと何度も何度もねだられて、ほだされるようにして感じている様を見せるようになった。それなのに淫乱だと思われていたのか。やはり以前から、バーナビーは虎徹のことをうとましく思っていたのだと知って、愕然とする。
「だれともしてない…さわらせても、ない」
 そっと大事にしていた五年前のことが壊れて行く気がして、せつなくなりながら虎徹は首を振った。なにを誤解しているのか知らないが、誰ともしてないのは事実だ。女ならまだしも、こんな中年の男の体にこんな風にふれてくる相手などいるわけもない。
 そう思って否定したのに、バーナビーはなおも疑わしげな顔をして指をすべらせてくる。
「本当に?───ここに」
「う、あっ…」
「入れられてよがってたんじゃないですか?大きいので奥をこすられるの、大好きだったじゃないですか」
 脚の間に手を差し入れられ、ズボン越しに後ろをくるりとなぞられて、おもわず、ひっ、と声が漏れた。刺激というほどのこともない刺激に、簡単に感じる自分がなさけなかった。五年間忘れていたはずなのに、バーナビーの指はあっという間に虎徹を溶かしてしまった。バーナビーにとってはこれは『テスト』であり、ある意味ビジネスにしか過ぎないのに。
「してない……俺は」
 それ以上は耐えられなくて、虎徹は両手で自分の顔を隠しながら細い声で続けた。
「おまえ以外、知らない」
 顔を隠していたから、その言葉にバーナビーがどんな表情をしたのかはわからなかった。ただ虎徹がそう言うと、バーナビーはぴたりと手の動きを止めて体を起こしてしまった。そのままなんの反応もなかったから、気がそがれたのだろうかと思っておそるおそる顔の前から手を離すと、バーナビーはベルトを緩めて下肢の衣服を脱ごうとしているところだった。やめるんじゃなかったのか、と思って見ていると、ややいらだったような口調で言われる。
「なに見てるんです?あなたも脱いで」
「あ…うん……」
 バーナビーの体が全部あらわになるのを見つめていてしまっている自分に気がついて、あわてて目をそらした。ベッドに転がったままごそごそと動いて、なんとかズボンと下着を脱ぎ去る。全裸になった虎徹を見下ろして、やはり全裸になったバーナビーはサイドボードにおいてあった丸いケースを手に取った。彼が蓋をあけると、そこからふわりとココナッツのような甘い香りが広がる。
「なんだ…?甘い匂いする」
「ボディバターですよ。ジェルの用意はなかったので」
 平然とそう言って、バーナビーはケースの中身を指ですくった。名称の通りバターのようなそれを、虎徹の脚の間に塗り付けようとする。
「っ…自分でする」
 潤滑剤のかわりかと気がついて、虎徹はバーナビーの手からそれを取ろうとしたけれど、あっさりとかわされた。イニシアチブをとられているのがいたたまれない。このままボディバターとやらを塗りこめられたら、またバーナビーが幻滅するような姿を見せてしまうのは明らかだった。
「ああ、そうですね…次からは自分で準備しておいてください。僕が来るまでには必ずここをほぐして、ジェルを塗りこめておいてくださいね。……すぐできるように」
 次があるのか、と一瞬考えてからその思いを振り払う。なにをあさましく期待しているのか。バーナビーが愛人になれと言ったのはいやがらせにすぎないのだろうに。虎徹がそれに乗ったのは意地を張ったからでも期待したからでもなく、楓のためだったはずだ。娘のために、ひっこみがつかなくなったバーナビーの失敗につけこんでいる。
 お互いに望んでもいない行為だ。次なんてきっとない。
 そしてそう自分に言い聞かせれば言い聞かせるほど、ふれてくる指にひどく感じた。甘い匂いのするクリームを脚の間にぬりたくられ、この五年間自分でもまともにさわったことのない場所を、うつくしい白い指でなぞられて体がふるえる。一度だけだと思うからかも知れない。部屋中に広がる甘い匂いに酔いそうだった。
「女性と違って濡れないのは面倒ですね」
「だから自分でするって言ってんだろ!」
「今日はあなたの具合を確認したいので。それに、あなたには他にして欲しいことがありますし」
 そう言うと、バーナビーは体を入れ替えて体勢を変えた。浅く挿入されていた指を引き抜かれてほっとしたものの、次に取らされた体勢に気付いて慌てる。
「なっ……コレ…」
 気付けば虎徹は体をひっくり返され、バーナビーの顔を跨ぐような体勢を取らされていた。四つんばいでバーナビーの顔をまたぎ、そして目の前にはバーナビーの股間がある。これはいわゆるシックスナインという奴ではないだろうか、と気付いて赤面した。そういえば以前バーナビーはこれをやってみたいと言っていた気がする。まさかそれを実現しようとしているわけではないだろうが、五年の間にそういう性癖を覚えたのだろうか。
「なんだこれ…いやがらせかよ」
「なぜです?……いやならやめますけど」
 言いながら腰を引き寄せられ、緩く勃ちあがっていたものを口に含まれて、かすかに甘い声が漏れた。うわやばい、と思ってごまかすように虎徹もまた、バーナビーのものにくらいついた。
 やや色の濃い金色の毛をなぞって手に余るほど大きなものをつかむと、ひくりとそれがふるえる。いじられれば男は反応するものだし、顔も見えていないいまなら与えられる快感は相手が男でも一緒だろう、と思って少し気が楽になった。根元をゆるくこすりながら先端を口に含むと、じわりと先走りの液がにじむ。素直なその反応が嬉しくて、虎徹はそれを愛撫することに夢中になった。自分がどんな体勢をしているか、バーナビーの目にどんな風に映っているのかをしばし忘れた。
 けれど忘れていられたのはほんの短い間だけだった。しばらく無言でちゅくちゅくと互いのものをいじった後、性器ではない場所に刺激を感じて虎徹はびくんっと腰を跳ねさせた。
「ちょっ…あっ、ちょっと待っ……」
「あんまり腰、ゆらさないでください。うまくできない」
「待て。待てってば…そっち自分で……せめて一緒にすん、なっ……」
 もはや完全に勃ちあがったものを舐めあげられながら、両手で割れ目を押し拡げるように尻を揉まれ、その間に指を差し入れられて腰が揺れた。バーナビーの指は、ボディーバターとやらを塗りこめるように入口をくりくりとなぞっている。こんな恥ずかしい体勢で前も後ろも同時になぶられて、五年ぶりの体にはあまりに刺激が強すぎた。
 体制的に尻のすぼまりまでは見えてはいないと思うが、バーナビーの視界に映る光景がどんなものかを想像すると、恥ずかしくてみっともなくて身が縮まる気がした。なんで好き好んでこんな格好をさせるんだ、と考えるに、やっぱりいやがらせなのかと思う。何度もいやならやめる、と口にしたように、無理だからやめろと言わせたいのかも知れない。
 虎徹にはそうする気などなかったけれど。
(楓のためだ…から)
 自分でも言い訳に聞えることを心の中でつぶやくと、羞恥をどうにか押し込めてバーナビーのものを愛撫することに専念しようとする。後ろを指でいじられて腰が揺れたが、なるべくそちらに意識をやらないように気をつけた。一方的にされるのは趣味ではない。バーナビーの方も追いつめてやろうとそう思ったのだけれど。
「もう少し腰を落としてください」
「え……ちょ、うわっ……やっ───!」
 ぐいっと腰を引かれ、ほとんどバーナビーの顔に尻を押し付けるような形になって、慌てる間もなくぬるりとあらぬところに舌の感触を感じた。入口を舐められたのだ、と気付いて、思わずバカ野郎!と怒鳴りながら必死に腰をあげる。
 バーナビーはあえてそれを追わずに、不機嫌な声で言った。
「まずい」
「当たり前だろぉ…んなとこ」
「場所の問題じゃないです。ボディバターなんか使うんじゃなかった。甘い匂いがしますけど、やっぱり口にするのは駄目ですね」
 語る口調は淡々としていた。おまえそれをどんな顔で言ってるんだ、と思ったけれど、腕の間から見てもバーナビーの顔はよく見えなかった。バーナビーは変わらない口調でしれっと言葉を続ける。
「指だけにしておきます」
「っ…あっ……!」
 さきほどまでゆるゆると入口あたりをいじっていた指が、遠慮仮借なく虎徹の中に入ってくる。ぬっ、ぬっ、と軽く揺らしながら奥まで突き入れられ、きゅっと軽く中で曲げられて、もぞもぞと腰が揺れる。
「少しきつい…ですね。力まないで。もう少しボディバターを増やしますから」
「力まないでって…無理……あっ、あっ…!ゆび増やすな…まだっ───!」
「ほら、こっちに集中して」
 言いながら前を舐められて、下腹にカッと熱が集中する。熱を口腔深くまで含まれて舌を絡められながら、後ろに指を出し入れされる。中に何本入っているのかもうわからない。かすめるように気持ちのいいところをひっかかれ、けれど決定的な刺激は与えられずに中を拡げられる。
「ひゃ…あ、あああ……う────」
 止めどなく嬌声をあふれさせるくちびるはバーナビーのものを含むどころではなく、虎徹はただそれを手に握ったままひくひくと体をふるわせていた。何度か手で刺激しようと指を動かすものの、バーナビーの舌と指の動きに意識を持っていかれてどうにもできない。
「気持ちいい?」
 がくがくとうなずいたけれど、反対をむいているバーナビーには見えていないかも知れなかった。口を開けばあられもない声が漏れそうで、虎徹はぎゅっとくちびるを噛みしめる。
「腰、揺れてますよ?口に入れてじゅぽじゅぽして欲しいんですか?それともこっちを激しくして欲しい?」
「あっ…ああっ……!」
 先端をくりくりと舐められながら指の動きを激しくされて、頭の中が真っ白になる気がした。バーナビーの馬鹿にしたような言葉にさえ煽られる。蔑まれていると感じたけれど、その声にもたしかに熱があったからかもしれない。こんな馬鹿みたいな痴態に、バーナビーも興奮している。
「うあっ…だめ、だ…ばに。もう、イク───」
 あえぐようにそう言って腰をあげようとしたけれど、下からぐっとつかまれて逃げられなかった。止めることもできずに、小さく腰をふるわせながらバーナビーの口の中で達した。
「っ…あ……なんで……」
 腕の間から見下ろせば、バーナビーの喉が動いて自分のものを嚥下するのが見えて、信じられない思いで首を振る。けれどバーナビーはそれを気にした風もなく、まったく違うことを口にした。
「こらえ性のないひとですね。ひとりで気持ちよくなって…僕を気持ちよくするのがあなたの仕事でしょう?」
「え…俺!?は、あ…あの、ちゃんとすっから……」
 それは俺のせいなのか、と半ば本気で思いつつ、反論することの無為を悟って、虎徹は再びバーナビーのものへの愛撫を再開しようとする。けれどバーナビーは体を起こすと、四つんばいになっていた虎徹の腕を引いてそれを阻止した。
「それはもういいです」
 言われて、腕をずるずると引っ張られる。えっ、えっ、と思いながらも、腕をひっぱられれば体勢を維持できず、這うようにしてバーナビーの方に向き直った。四つんばいのまま彼の上に乗りかかるようになった虎徹の腰をバーナビーは抱え直して、気がつけば虎徹はあおむけになった彼の膝の上に乗っていた。
「こっちでよくしてください」
 ね?と付け足された言葉自体はかわいらしかったけれど、こちらを見上げるバーナビーの目は熱を帯びていて少しも笑っていなかった。膝の上に乗せられてバーナビーが軽く腰を揺さぶれば、先ほど虎徹が愛撫していたものが尻の後ろを擦った。甘い匂いを放つボディバターを塗りこめられた秘孔。女ではない虎徹が、女のようにバーナビーを受け入れて、快楽を与えるために慣らされた性器。
「ほら…僕を気持ちよくしてくださいよ」
 できるものなら、と続きそうなその口調に負けず嫌いの気質を刺激されて、じゃあ気持ちよくしてやるよ吠え面かくなよ、と勢いだけで思う。
 しかしそう思いはしたものの、五年ぶりの行為だ。受け入れる場所はバーナビーの指に拡げられてずいぶんやわらかくなっていると言っても、指と彼のものとでは大きさが全く違う。虎徹はバーナビーの腹に手をついて腰を上げると、入るだろうか、と思いながら入口に先端を押し付けて軽く腰を揺らした。
「ん……」
 先走りに濡れたバーナビーのものと、ボディバターを塗りこめられた場所がこすれて、くちゅくちゅとかすかな音をたてる。慣らすように浅く挿入しては息を吐いて中を拡げるように小さく腰を振った。熱を受け入れようとして、そこがひくひくと開閉するのがわかる。体はバーナビーに貫かれる快感を覚えているのだ。
「……焦らしてるんですか?」
「待ちきれねーの、バニーちゃん?」
 入れる気配のない虎徹に焦れたようにバーナビーが眉を寄せる。それに、怯えているのを悟られないように、虎徹は挑発的ににっと笑って見せた。五年前ならこう言えば、ねだるように待ちきれないとささやくか、子供扱いしないでくださいと怒るかだったけれど、今のバーナビーは違った。
 彼は、熱を孕んだ男くさい表情でやわらかく笑ったのだ。
「待つのは得意になりましたよ」
 そう言って、するりと虎徹の腰から太股までをなぞった。そしてあやすように脚の内側を何度か撫でられれば、言葉の意味さえ考えられずに立てていた膝がふるえる。力が抜けたせいでくっ、と中にバーナビーのものを呑み込んでしまい、上がりそうになる声を押し殺して、虎徹はそのままゆっくりと腰を降ろしていった。
「あっ……っ、く…ん────」
 丸い切っ先がめりめりと裂くように自分の中に入ってくる。息ができなかった。もっと中まで受け入れようとするのに、すさまじい圧迫感に自分ではどうしてもそれ以上進めることができない。押し拡げればなんとかなるかと腰を揺らしてみても、その刺激を受け止められずに声にならない悲鳴が漏れた。
「は……あ、う……んっ…」
「っ…どうしてそこを押さえてるんです」
 自分の下腹に手を置いて腰を揺らす虎徹を見て、さすがにせっぱつまった声でバーナビーが問う。内側に感じるバーナビーのものはもうガチガチで、こんな中途半端な挿入は彼もつらいのだろう。わかってはいたがどうにも無理で、腹部を押さえたまま虎徹はへらりと笑った。
「ん…どの、へんまで…入ってっかな、っておも…て……」
「まだ半分も入ってませんよっ…!」
「じゃ、このへん…?」
「っ…あなたはっ……!」
 腹部に添えていた手を少し下にずらすと、バーナビーが舌打ちしてその手をつかんできた。その手をぎゅっと握り返して初めて、いままで自分は接触がなくて少しさみしかったのだと気付く。ねだるように逆の手も差し出せば、バーナビーはそちらも握ってくれて安心した。
「バニぃ…」
 バーナビーの手をぎゅうっと握って、さらに少しだけ腰を進めた。もう中はいっぱいな気がしていたけれど、虎徹の腰は浮いたままだったからまだ全部は入っていないのだろう。深呼吸して体の力を抜こうと思っても、ハアハアと息が荒くなるばかりでうまくいかない。
「はいんね、え……」
「入るでしょう?ほら」
「ひっ、あっ……!」
 下から小さく突き上げられて、ずんっ、と脳天まで突き抜けるような痛みが走った。下肢が熱い。バーナビーを受け入れようとしている場所が、こらえきれないようにひくひくとふるえる。
「ひ…た……む、無理……」
 ぎゅっとバーナビーの手を握ってふるふると首を振ると、はあっ、と深い息を吐かれた。失望をたたえたそれに一瞬泣きそうになったけれど、すぐになにかを考える余裕などなくなってしまった。
「仕方ありませんね…」
「んっ────!」
 ささやきと共に、腰をつかまれてぐるんとまた体勢を入れ替えられた。半ば挿入したまま仰向けで脚を開かされ、その間にバーナビーの体が遠慮仮借なく入ってくる。
「ああっ…あっ、ひ、うっ……!」
 小さく揺さぶられながら、けれど躊躇することなく中を切り裂くようにして熱が入ってくる。自分で入れようとするよりはましだったけれど、すさまじい痛みに喉が震える。
 久しぶりの挿入は思っていたよりきつかった。バーナビーに遠慮がない分、初めての時よりきつかったのではないかと思うほどだ。体が侵入してくるものを異物として認識して拒絶しようとしている。けれど体ではないどこかがその熱を悦んでいた。いま、バーナビーが自分の中にいる。脈打つ熱は彼が興奮している証しだった。
「きつい…ですね」
「うあっ…ま、まだうごく、なっ…」
「本当にしてなかったんですね。食いちぎられそうだ。……力を抜いて」
「む…り……ああっ、ひっ───!」
 あやすように前をいじられて、確かにそれを快感と感じるのに、感覚が飽和しすぎてそれはそれでつらい。それでもどうにか力が少し抜けたところで腰を揺らされて、いっぱいになった内側をこすられて悲鳴を上げた。
「うご…うごく、なっ…」
「それこそ無理です」
「っ…あ、ああっ……」
 押しのけようとして伸ばした手をシーツの上に縫い止められ、ずんっ、と奥を突かれて体が跳ねた。背中を反らせば余計に中にいるバーナビーをきゅっと締めつけてしまって、またびくびくと下腹がふるえる。
「ひあっ…あ、ああっ…く───」
 きついのに、揺さぶられるたび甘ったるい声が漏れた。どう聞いてもどこにも苦痛のまじらないその声は、快楽にどっぷりとつかった嬌声そのものだ。自分でも気持ち悪いと思って声を抑えようとしても、時折こぼれてしまうのは止められなかった。
 ひいているのではないかと思ってバーナビーを見上げると、なにかをこらえるような顔をしてこちらを見下ろしていた。雄くさいその顔と強い視線に縫い止められる。五年前の彼がしていた、溺れるような必死な顔とはまた違う。それは虎徹の知らない表情だった。なにを思っているのかもわからないのに、なぜか心臓をわしづかみにされるような心地になる表情。
「っ……」
 ハッ、ハッ、ハッ、と互いの獣のような吐息と時折ベッドがきしむ音だけが響く。間違いなくいま虎徹はバーナビーとセックスしている。五年前に置き去りにしてきた青年は虎徹のいないところで大人になって、いま彼を抱いている。
 これは本当ならなかったはずの邂逅だ。ひどいことをしている、と思った。ひどいことをさせている。虎徹はかつての思い出を壊すことをおそれたけれど、バーナビーもそうだったかもしれない。虎徹は彼に、やわらかな心を持った青年だった頃の思い出を壊させているのかもしれなかった。
 彼を置き去りにしておいて、もういまさらかもしれないけれど────
「んんっ───!」
 中をいっぱいにされて擦られて、充実感に指先まで熱くなった。
 バーナビーを気持ちよくしてやらなければ、と思う。そうしろと言われて応えたこともあったが、女の体の方が何倍も気持ちがいいだろうに、こんなしょぼくれた男を抱いている彼にせめて少しは快楽をやりたかった。バーナビーはどこが好きだっただろう。どんな風にすると気持ちよさそうにしていただろうか。考えたけれどよく思い出せない。かつて抱かれていた頃、バーナビーはいつだって必死で虎徹はそんな彼に翻弄されるばかりで、最後の方は意識も朦朧としていて自分がどうしていたかもよく覚えていなかったのだ。
 髪をなでて名前を呼んでやると、嬉しそうな顔をしていた気がする。こどもか、小動物のようだと思ったものだ。気持ちいいかどうかはともかく、虎徹もそうした時のバーナビーの顔が好きだったから、そっと彼の髪に手を伸ばしていた。
 髪をくしゃくしゃとかき混ぜて、ぎゅっと顔を引き寄せる。ゆさぶられながらバーナビーの耳にくちびるを寄せて、名前を呼んだ。
「バニー……」
 出た声の甘さに自分で驚いた。四十も過ぎた男が甘えるような声を出して気持ちが悪い、と思ったけれど、一度出してしまうとそれは止まらなかった。
「んっ、あ……ばに…っ───!」
「っ……!」
 指先にからむ髪の感触が気持ちよかった。手入れされたやわらかな髪。絡みやすいからとくしゃくしゃにするとよく怒られたけれど、怒る顔が紅潮していてうれしそうで、かわいくなって余計になでてしまっていた。その髪がいまは虎徹の官能をくすぐる。
「バニー…あ、奥にっ───バニー、バニーっ、ばに……!」
 耳元で何度も名前を呼ぶと、バーナビーが眉を寄せて舌打ちする。やばいやっぱり気持ち悪いと思われた、と怯えていると、それを裏付けるように、バーナビーの髪に触れていた手をいまいましげに引きはがされた。
「気が散るんで、大人しくしていてください」
 いらだった声で言われて、虎徹はおとなしく髪にふれることをあきらめた。
 背中を抱くのも駄目だろうか、と思っておずおずと腕を伸ばすと、それは拒まれない。
「ば……んっ…」
 バニー、と呼びかけて、けれどどれが彼の気にさわったのかわからずに、虎徹はこぼれおちそうになる声を噛み殺した。ただ噛み殺せなかった意味のないあえぎ声と、吐息だけが薄闇の中に満ちた。








next

back