愛人契約5 目を覚ますとバーナビーはいなかった。 ひんやりとしたシーツの上でまどろみながらぼんやりと目を開けると、壁一面の窓にはスクリーンが降ろされていて、そこから漏れる光が虎徹の目を刺した。スクリーンを通してなお強いその光に、もうそれなりの時間になってしまっていることが察せられる。 (ああそうか。昨日…) 見たことのない部屋の情景に数秒状況を把握し損ねた虎徹は、全裸のままのそりとベッドに起き上がって昨夜のことを思い起こした。そうだ、昨日自分はバーナビーと寝た。『愛人』になるテストだと言う彼に抱かれ、声が嗄れるまで揺さぶられて何度も中に出された。バーナビーも今はもうそれなりの年齢であるはずなのに回数を覚えていないくらいされて、朦朧としながらそりゃあ愛人の数人も必要だろう、と埒もないことを考えたほどだ。 別れてから五年経ってバーナビーが女を知った今、抱かれればあっという間に幻滅されてしまうだろうとそう思ったけれど、一度で終らなかったのだから少なくとも性的な意味ではその心配は無用のものだったようだ。ただ単に面倒のない、好き勝手していい相手として認識されただけだったかもしれないけれど。 (そういやあいつゴムもしなかった…) 眉を寄せて下腹や後ろをさぐってみると、バーナビーが拭いてくれたのか表面上は綺麗になっている。けれど中に違和感があるから、奥に出されたものはそのままなのだろう。早くシャワーを浴びて処理をしないと…と思って昨夜脱ぎ落としたはずの自分の服を目で探したが、寝室の中にはどこにもないように見えた。 窓際のソファの横にあるテーブルの上に、時計とブレスレットがある。よく見ればその下に、なにかが置かれているのが見えた。裸のまま立ち上がってそれを見に行く。 「小切手…?」 それは昨日アポロンメディアに訪ねていった時、バーナビーに渡されたものと同じ様式の小切手だった。額面の欄には30万シュテルンドルと記されている。先払いで渡された分と合わせれば50万になる。40万シュテルンドルでいいと言ったはずだが、10万ドルも上乗せされているのはバーナビーが昨夜の行為に満足したあかしだっただろうか。たしかに虎徹は、できれば50万ドルあったら助かるとは思っていたのだけれど。 「テストは合格したってことか…?」 一夜限りのことになるだろうと思っていたけれど、どうも虎徹は最初に言われた通りバーナビーの『愛人』になることになったらしい。テーブルの上には小切手の他にゴールドのクレジットカードと、流れるような字のメモが置かれている。うつくしい筆致のそれはバーナビーの字だ。五年経っても、字はほとんど変わっていない。カードはいつどうやって作ったのか、虎徹の名前が刻印されていた。 メモには、この部屋は自由に使っていいが他人は入れないこと、食事は下層のレストランからルームサービスがとれること、必要なものがあればカードで買えばバーナビーの口座から落ちること、昼間は自由にしていいが夜の7時には部屋に戻っていること、戻ったらいつバーナビーが来てもいいように準備しておくこと…と記されている。 「愛人としてのお約束、か…」 メモを二度読み返して、虎徹は小さく口を歪めて笑った。 抱けばきっとバーナビーは虎徹に幻滅するだろうと思った。過去のことなどただの幻想に過ぎなのだと思い知るのだろうと思っていた。愛人にしようというのなら、まだ幻滅されてはいないのかもしれない。けれどこれはきっと、むしろ過去の思い出を壊していく行為だった。 虎徹はバーナビーのかつての想いを裏切り、そのことで復讐されている。バーナビーにではない。自分の愚かさにだ。 虎徹は深く息をつくと、気を取り直して再び自分の服を探しはじめた。腕時計とブレスレットはあったけれど、服や下着は部屋のどこにもなかった。脱ぎ落としたはずの靴さえなくて、なぜかそのかわりにホテルにあるようなタオル地のスリッパが置かれている。 虎徹は少し躊躇したが、部屋の中だし誰もいないしまあいいか、と全裸のままそのスリッパだけを履いて寝室を出ると、他の部屋を物色することにする。いったん廊下に出てみると、部屋はもといた寝室以外に三つあるようだった。バタンバタンと一つずつ扉をあけると、クローゼットがわりになっているのか服だけが置かれた部屋があったが、そこにあったのはバーナビーのものと思われる高そうなスーツだけで、虎徹の着てきた服はなかった。もう一つの部屋は本や資料のようなものが置かれて人のいる余地がない。そしてもう一つの部屋は広々としたリビングで、寝室と同じように壁一面が窓になっていた。 窓の外は、昨夜エレベーターホールから見た場所なのだろう。ささやかに木々がしげり、瀟洒な庭になっていた。窓の一角が切り取られたように扉になっていて、外に出ることもできるようだ。モデルルームのような生活感のない応接セットがおかれ、別の場所には華奢なテーブルと椅子が置かれていたが、それでもなお空間がありあまるほどその部屋は広かった。奥まった場所に半透明の壁があり、その奥を覗けば、使っている気配のない最新の機器を備えたキッチンがある。 ホームパーティでもできそうな部屋だったが、バーナビーはここでも仕事をするらしい。景色と窓の外の緑が見える場所に立派な執務机があった。重厚なそれはガラスの外に見えているうららかな庭とは不似合いで、わざわざこんなところに仕事を持ち帰らなくてもいいだろうに、と虎徹は眉を寄せた。 バーナビーがこの部屋をどんな風に使っているのかはわからなかったが、住んでいるわけではないのなら、自宅まで戻る時間がない時のためのホテルがわりなのかもしれない。たしかにここはアポロンメディアからかなり近い。そしてそうやって時間を短縮してもなお仕事を持ち帰ってくるのだとしたら、バーナビーは相当に多忙なようだ。 「社長になってまだ一年だもんなあ…」 それでフラストレーションがたまったとしても、女相手だとデートだ食事だと面倒なのだろう。そうしたこともあって、金に困った虎徹を愛人にしてやってもいいと思ったのかも知れなかった。 「で……俺の服どこ行ったのよ…」 虎徹はさらにすべての部屋をくまなく探し回り、バスルームやトイレまで見て回って、それでも自分の下着すらみつけられずに呆然とする。洗濯でもしてくれたのかと思ったが、驚くべきことにその部屋には洗濯機も、もちろん乾燥機も存在していなかった。バーナビーはここに住んでいるわけではないのだから必要ないのかもしれなかったが、それでも泊まった時の服はどうしているのだろう。 「まさか下着までクリーニングだしてるんじゃないだろうな…」 ありえそうな気がした。というよりたぶんそれが正解だろう。なんとなくこのマンションに住む住人が洗濯をしている気がしない。それを一手に引き受けるランドリーサービスでもあるのかもしれなかった。 虎徹の服もクリーニングに出されているのだろうか。しかし替わりのものがない今、それが戻ってこなければ外にでかけることもできないのだが、いつ返ってくるのだろう。楓の面会時間に間に合うだろうか。そもそも本当にクリーニングに出されているのか? そう思って困惑しながらも、とりあえず体の奥に残ったものを処理してしまわなければ、と思ってシャワーを浴びた。やたらと広い最新の機器の整ったバスルームは落ち着かない。なぜか脱衣所にワッフル生地のローブとタグのついたままの下着だけはあったから、とりあえずそれを身につけることにする。しばらく待ってみて服がクリーニングから戻ってこないようなら、高そうで困惑するがバーナビーの服を適当に見繕ってでかけよう、とそう思った時だった。 バスルームの扉の横で、ルルルルッとやわらかな音をたてて電話が鳴り出したのだ。電話、というよりそれはインターフォンかなにかのようだった。虎徹は一瞬躊躇したが、もしかしたらクリーニングができたという連絡かも知れないと思ってそれをとる。はい、と名前も名乗らずに取っただけで相手はおだやかな声で話し出す。声からして昨日入口で会ったコンシェルジュのようだった。 「鏑木様、テーラーが来ておりますが、通してよろしかったでしょうか?」 「は?テーラー…?えっと、バーナビ…部屋のオーナーは不在なんですが」 「はい、ブルックス様から鏑木様の衣服を仕立てるよう言いつけられたとのことです。サイズを測りたいと申しております」 よくわからないまま、はあ、と返事をすると、しばらくして玄関のチャイムが鳴った。その音を聞いて初めて、自分が応対に出られるような格好ではないことに気付く。慌ててインターフォンに出て、正直に自分の状態を言った。モニターの向こうのきっちりとスーツを着込んだ壮年の男は、柔和な笑みを浮かべてうなずいた。 『結構ですよ。サイズを測りますから、薄着の方が助かります』 そう言われてしまえば追い返すのも申し訳なくて、ローブ姿で扉を開けた。先ほどモニターで見た男と、もう一人やや若い男が礼をしながら入ってくる。リビングに通すと、鏑木様ですねと確認されて、二人がかりでさっさと全身のサイズを測られた。 俺の服は、と思ったけれど、この人物に聞いても仕方がないだろう。そう思ったけれどその男は、虎徹の疑問の直接の答えではなかったが彼の困惑を取り去ることを言ってくれる。 「すぐに着られるものを何着かとうかがっていますので、既製のものになりますがこちらをおいてまいります」 若い方の男が持っていた鞄から、壮年の男がサイズと色を確認して虎徹に服を渡してくれた。試着していただければこの場である程度直しますが、と言うのに、着れれば大丈夫ですから!と返して服を受け取る。よく考えればわざわざサイズを測りに来ている相手に、その答えは微妙だろう。少し妙な顔をされてしまう。 「っと…とりあえず出かけられるな」 二人が帰っていくと、虎徹は渡された服を身につけて息をついた。用意されたものの中にはネクタイやベルト、果ては靴まで含まれていて、そのまま着れば大丈夫なようにコーディネイトされていた。ざっくりとした質感の生成りのシャツと薄茶に濃いグリーンのラインの入ったベスト、黒のパンツはほんの少し上品な光沢のある素材だった。ネクタイは一見黒に見えるが、よく見れば濃い焦げ茶で、ごく細い緑のストライプ柄が入っている。 パンツと同じ素材の細身のジャケットもあったが、改まった感じになりすぎるのでそれは着ないことにした。 虎徹は服だけはわりにこだわるほうだが、そのチョイスは彼の気に入るものだった。たぶんすごい高いんだろうなーと思いつつ、彼の服を勝手にクリーニングに出す方が悪い、と決めつけてそれを着る罪悪感を押さえ込むことにする。 どうにか身支度を整えると、虎徹は小切手を持って部屋を出た。マンションの入口でコンシェルジュにいってらっしゃいませと言われていってきます、と返すとなぜだか笑みを深くされる。銀行に行って昨日と同じように額面全てを病院の口座に振り込んでもらうよう手配して息をついた。 これで楓の手術の件はどうにかなる。あとはただ手術の成功を祈って医師に頼み、楓をはげまして支えてやることだけを考えればいい。楓は身体条件さえ整えば手術を受けられる。そのためにできるだけのことはした…してやれた、と思う。 楓に会いに病院に行くと、自分の病状をきちんと説明してもらって安心したのか、彼女はずいぶんと元気になっていた。専門の医師がついていることで痛み止めなども効いているのかも知れない。病室に入ってきた虎徹を見て、驚いた声をあげた。 「お父さんどうしたの!?その服…!」 「あー……」 そういえばえらく高級そうな服を着ていたのだ、ということをその時ようやく思い出した。楓につきそっていた安寿も目を丸くして息子を見ている。ちらっとその目が心配そうなものになったのは、虎徹が昨日金はなんとかなりそうだと言ったことに起因しているのだろう。この子はいったいなにをしてるんだろう、という心の声が聞こえそうな気がした。 「えっとな、昔の知り合いに金を貸してもらえることになって…んでその人の世話で仕事することになったんだよ。ちょーっと俺の普段の服だと困る、ってことで貸してもらってんの」 「え、そうなの?お父さんシュテルンビルトで働くの?」 「うん、まあとりあえず。あ…夜の仕事だから楓には会いに来れるからな!」 「ほんと?……でもそしたらお父さん寝てる時間なくなっちゃうじゃない。無理してこなくていいからね。おばあちゃんがいてくれればいいんだから」 「そんなー、楓ぇ。パパも楓に会いたいんだよー」 情けなく眉を下げて言うと、楓はくすくすと笑った。病気が発覚してから初めて見るその笑顔に虎徹はほっとする。大丈夫、この子は助かる。きっとあの医師が助けてくれる、とそう祈るように思った。 楓はお金は使わなくていいよ、とはもう言わなかった。虎徹が楓をなにをしても助けたいと思っている意志が変わらないのをわかってくれたのだろうし、そして彼女自身も助かりたいという気持ちを持ちはじめたのだと思った。助かりたい。石にかじりついてでも助かってみせる、とそう思って欲しかった。 絶対に楓を助けてやりたかった。失いたくなかった。 この手から離したりしない。もう二度と、なにも──── 虎徹は夕方になって病院を出ると、一度ウィークリーマンションに戻って荷物を引き上げてからバーナビーに与えられた部屋に帰った。 バーナビーはいなかったが、部屋の中には人の手が入った気配があった。空気が入れ替えられていたし、バスルームに置いておいたローブやタオルが新しいものになっている。寝室を覗いてみれば、朝起きたままになっていたベッドがきちんと調えられていた。どうやら昼の間に清掃が入っていたようだ。まるっきりホテルだな、と感心するようなあきれるような気持ちになった。 デリで買ってきたもので食事をすませ、迷ったけれどシャワーを浴びて『バーナビーがいつ来てもいいように準備』する。バーナビーに与えられた部屋にひとりでいて、彼の痕跡もたしかにあるのに、昨日のことが夢だったような気がしてしまう。そもそも本当にバーナビーはまた来るだろうか。 彼はとても忙しいのだ。それにバーナビーは虎徹に対して冷たい態度をとっていたけれど、人の本質などそう変わるものではない。立場上簡単に金を貸せなかっただけで、もしかしたら今回のことは困っている虎徹を助ける意味でしたことかもしれない。ただ金を貸すといえば虎徹の負担になると思って、ここにいろと言っただけでそのまま放っておくつもりかも知れない。 虎徹はリビングのソファに座ってやることもなく、相変わらずでかいテレビを見てぐるぐると考え続けた。思考が一ヶ所をめぐりすぎて破綻していることには気付かない。金を貸すだけなら抱く必要なんてない。結局のところ虎徹は、いい年の男である自分がバーナビーの愛人になるという現実から目を反らしたいのかも知れなかった。 結局、虎徹がテレビに倦んでチャンネルを次々変えはじめてもバーナビーは来なかった。ほらみろやっぱりこないじゃないか、と思って、虎徹は次第にソファの上でうとうとしはじめる。そんな時だった。入口の方から物音がしたのは。 「───」 バニー?と思って、虎徹は眠りに落ちかけていた顔をソファからあげる。見上げれば今一つ光量の足りない照明の下に、スーツを着たバーナビーが立っていた。仕事から抜けてきただけというような、少しの乱れも見えない姿。 バーナビーは虎徹の方を見てちいさくなにかをつぶやいたようだったけれど、その声は届かなかった。聞き返そうとするより先に、彼が近づいて来て腕を取られる。 「寝室へ…今日はあんまり時間がないんです」 「えっ…おい!?」 無理やり立ち上がらされて、思わずつんのめりそうになった。慌ててどうにかバーナビーについていくと寝室に引きずり込まれ、ベッドの上にどさりと突き飛ばされる。思考がついていかずに、ただ後ろ手についた手をじりじりとシーツにはわせた。そのすべらかな感触で昨夜のことを思い出し、なにをされるのかようやく理解する。 バーナビーはジャケットを脱いでネクタイだけを取ると、虎徹に服を脱ぐように命じた。その声にひきずられるようにシャツを脱いだけれど、バーナビーの方はジャケット以外脱ごうとはしない。一人だけ全裸になるのがためらわれてぐずぐずしていると、早くしてください、といらだった声で言われて、慌てて下着まで脱いだ。 「僕はそれほどここには来れません。だから僕がいない間にあなたがすることを教えますね」 「俺がすること…?」 ほとんど服を着たままのバーナビーに全裸の体を見下ろされて、落ち着かない気持ちになりながら虎徹は問うた。 「ええ。自分が僕のものだということを覚えてもらうために…どうせだったら女性ではできないことをしてもらおうと思って」 バーナビーはそっとベッドの上にあがると、虎徹の裸の脚をつかんで無造作にそれを開かせる。羞恥に脚を閉じようとする間もなく手を伸ばされ、性器をやんわりと握られた。 「っ……」 「これを自分で勃たせて」 いじってくれるのかと無意識に思って一瞬体の熱をあげると、バーナビーの手はそう告げた途端すぐに離れていってしまう。戸惑っていると今度は右手をつかまれ、いらだったようにそれを股間に持っていかれた。 「時間がないと言っているでしょう。早く」 「────」 目の前で自慰をしろと言われているのだと気付いて、カッとした。恥ずかしさと瞬間的な怒りの入り交じった感覚。思わずバーナビーを見上げると、眼鏡の向こうから冷静な目が見下ろしていた。 性的な興奮はその冷ややかな目にはないように思える。あらがっても無駄なのだと理解して、虎徹はおずおずと自分のものを握りこんだ。 バーナビーが見下ろしている状態での自慰は、泣きたくなるようなみじめさを伴った。それが性的な『プレイ』ならまだ羞恥を覚えつつも耐えられただろう。けれどバーナビーは虎徹になにかをやらせるための前段階、作業としてそれをやらせていて、冷静な目に晒されるのは堪え難かった。 それでも目を閉じていつも自分でする手順を追えば、ゆっくりとだが体は反応する。バーナビーの見ている前で性器をこすって、いつもの倍くらい時間をかけてそれを勃起させる。 ゆるゆると虎徹のものが頭をもたげると、バーナビーは検査でもするように軽く握って硬さを確認すると、すぐ手を離した。 「勃ちましたね…じゃあ始めますよ」 そう言うとバーナビーは寝室に入る時に持ち込んでベッド下に置いていた、黒い書類ケースのようなものに手を伸ばした。数字式の鍵をあわせたところを見ると重要なものなのだろうか、と思ったが、中から出てきたのは十本ほどの銀色の棒だった。医療器具にも見えるそれは、高級なアクセサリーかなにかのようにうやうやしく天鵞絨のしかれたケースにおさまっている。 勃起した性器をさらすように緩く脚を開いたまぬけな格好のまま、虎徹はなんだろうと首をかしげてそれを見つめる。バーナビーは不思議そうな虎徹には構わず、一番端にあった一本を取り出して、同じケースの中にあった小さなパックからコットンのようなものを一枚取った。そしてそれで棒の表面をふき取る。 「なに……?」 立ち上った匂いから、コットンに消毒薬が染み込まされていたのだとわかった。鼻をつくその匂いとバーナビーの手の中の銀色に、本能的に怯える。バーナビーは虎徹を安心させるように、それでいて実際には怯えさせるような笑みをその頬に浮かべた。 「これを」 バーナビーは勃起した虎徹のものをつかむと、緩くカーブを描いた器具をその先端に押し付ける。鋼の冷ややかさを感じて、虎徹はびくりと体をすくめた。 「ここに入れます……尿道ブジーですよ。尿道プレイくらいあなたも知っているでしょう?」 「に、尿道プレイ?」 バーナビーの口から発せられた不似合いな言葉に、思わず鸚鵡返しにそれを口にしてしまう。 尿道プレイという言葉自体は知っていたが、どうするものなのか、そして専用の器具もあるということなど知らなかった。この年で初心ぶるつもりもなかったが、男であるバーナビーと寝ていたことをのぞけば虎徹の性的な嗜好はごくノーマルで、特殊なことを知りたいと思うこともなかったのだ。 「少し濡らした方がいいかな…」 それなのに目の前の男は、実験でもするかのように尿道ブジーとやらを見てつぶやいている。 「な…なに、バニーちゃん、そういう趣味に目覚めたの?」 「そんなわけないでしょう。女性相手にそんなことしませんし。僕もやったことありませんけど、大丈夫です、調べましたから」 「調べたって…え、趣味じゃないならじゃあな……」 んで、と言いかけて虎徹は息を呑んだ。いつの間にかバーナビーがブジーにローションをたらして、それを虎徹のものの先端から挿入しようとしていた。 「まっ…バニ……っ!」 止めようにも、もう先端が少し中に入ってしまっている。暴れてどうにかなるほうが怖くて、それ以上動くことはできなかった。ゆっくりと入ってくるその器具の太さはおよそ3ミリほどで、そう太いものではなかったが、違和感がものすごかった。奥歯で銀紙を噛んでしまったかのような不快感と痛みが、勃起して敏感になったものを襲う。 「ひっ…あ、あっ……っ…」 「すごい…もうこんなに入りましたよ。入るものなんですね」 「おま…人に入れといて……痛っ…いってえ!」 ずるずると奥まで押し込まれて、内側がこすれていく感触に啼いた。押し拡げられている感覚はそれほどでもなかったが、敏感な粘膜をこすられる痛みがひどい。動かすな、と涙声で言ったけれどそれが聞き届けられることはなかった。バーナビーは興奮したまなざしで、虎徹の中に銀色の鋼鉄が沈んでいくのを見つめて手を動かす。 「慣れないうちは少し痛いみたいですが…二・三度すると中の粘膜が少し強くなって平気になるようですよ。一番細いので慣らしてから、少しずつ太いのにしていってくださいね」 「していって…って……あ、ちょっ…これ以上奥は…!」 「僕がいない間にやること、って言ったでしょう?あなたが自分で毎日するんですよ。ここを自分で開発して、尿道オナニーでいけるようになってくださいね」 「自分で…こ、こんなの────」 耳にくちびるを寄せてささやくようにそう言われて体がふるえた。甘い声で、けれど当然のことのように命じられて体の中のどこかがうずく。たしかに自分の中にあるはずのプライドは、バーナビーの甘い声と自分は彼の愛人なのだという事実の前に溶けて消えた。命じられたならそれをするべきだ。彼が望むならどんなことでも。 だって今の自分は、バーナビーを悦ばせるためだけに買われた愛人なのだから──── 「今日は時間がないですし、まだ粘膜が弱いだろうからやりませんけど…この長いのを使うとこちら側から前立腺にさわって気持ちいいらしいですよ。自分でやってもいいですし、今度時間のある時にちゃんとしてあげますね」 「そんな長いの入るわけ……」 ケースの中の細くて長い器具を指さされてその長さにふるえたけれど、バーナビーの手がそれをなぞるのを想像して、ブジーを入れられた場所がうずいた。自分の手でそんなものを入れるなんてできるはずがない。だけど、バーナビーの手がそれをするのなら…この彫像のように綺麗な手が虎徹のものをいじって入れてくれるなら、痛くてもこらえ切れる気がした。 「そうそう、炎症を起こしたりすると大変ですから、ちゃんと器具は消毒してくださいね?」 「ひあっ…わ、わかったから抜けっ…!」 中の方まで入れられてブジーを軽く動かされ、ズクリと込み上げる痛みに悲鳴のような声をあげた。けれどバーナビーは眉を寄せて、不機嫌そうな顔でブジーをいじり続けながら言う。 「抜け?……そんな言い方で聞いてもらえると思ってるんですか?」 「あっ、あああっ……ぬ、抜いて…ばに……頼む、から」 ぐるぐると中で回されると擦れて痛い。痛い…のだけどそれだけではない何かがあって、そっちのほうが怖かった。どうしたら聞き届けてもらえるだろうと思いながら、涙目で投げ出した虎徹の脚をまたいで膝立ちになっているバーナビーを見上げた。 「バニー、も…やめて、くれ……」 「駄目ですよ。まさかこれだけですむとは思っていないでしょう?」 「あ───」 ささやかれ、腰を撫でられてびくりと体が跳ねた。投げ出してゆるく立てた膝にバーナビーが股間をすりつけてくる。それはさわってもいないのにいつの間にか硬く勃起していた。ズボンが汚れてしまうのではないかと思うほどだ。 自分の痴態を見ただけでそうなっているのだと思えば、じわじわと込み上げてくるものがあった。ただの契約でも、女には劣る代換え手段の気晴らしでしかなくても、役に立てるなら虎徹がここにいる意味もある。 「あなたがぐずぐずしてるから、あと三十分しか時間がない。ほら、早くお尻をつきだしておねだりしてください。……愛人らしく」 言われて、羞恥と期待と痛みが同時に湧き上がる。バーナビーの声は甘く、眼鏡をかけたままの瞳にはあからさまな情欲が浮かんでいた。買われた身で彼の情欲処理の役に立てるなら嬉しいと思う。思うから、同時に胸の奥から湧き上がる気持ちを押し殺して体を起こした。 ごそごそとブジーを突っ込まれたものがベッドにつかないよう気をつけて体を反転させると、羞恥を押さえ込んで四つんばいになった。もっと腰をあげて、とささやかれて、ほとんど顔をシーツに押し付けるようにして腰だけを高くあげる。 「んっ……!」 「ちゃんと準備してありますね。中…濡れてる」 バーナビーは虎徹の腰から手をすべらせると、尻のはざまに指を差し入れ、入口をくるくるとなぶった。指を浅く挿入されてびくりと腰が跳ねる。そこはバーナビーに言われた通り、風呂で綺麗にしてジェルでほぐしてあった。いつでもできるように───女と違って面倒な体がせめて少しでもやわらかくなるように。 「こんなぬるぬるにして、ずっと僕のことを待ってたんですか?ソファで?」 「お…まえが準備してろって」 「そうですね。ちゃんと言いつけを守ってえらいですよ」 馬鹿にしたような言葉だったが、甘い声がそれを睦言に変える。虎徹はいまバーナビーに甘やかされているのだろう。彼の所有物として。そう…まるでペットにするように。 「もう少し濡らしましょうか?」 ぬくぬくと中を軽くいじってバーナビーがつぶやく。彼はサイドボードに手を伸ばすと、引き出しからジェルのボトルをとりだした。昨日は用意がないと言っていたのにいつの間に準備していたのだろう。そういえばバスルームにあったものも今朝はなかった気がする。 バーナビーがあれからここに来たとも思えないし、そうすると誰かに言って用意させたのだろうか。ベッドメイクをさせるついでにでも…… 「っ、あ……!」 ジェルでぬれた指で中を探られて高い声が漏れた。 誰かにあのベッドを見られ、情事を連想させる品を用意されているという事実に気付いて、全身がかあっと熱くなる。もしかしたらバーナビーはここをそうしたことによく使っているのかも知れなかったが、絶対にここの管理に入っている人間に自分の姿を見られたくないと思う。 「あ…も……」 中を濡らす意図なのだろうけれど、奥の方を何度も探られ、そのうえ前にもジェルを垂らされてゆるりといじられ、体の奥から込み上げてくる快感とブジーの違和感に腰が揺れた。五年の空白を開けた末での二度目の行為だ。きっとバーナビーを受け入れてもまだ痛みを感じるだろうけれど、とにかく彼が欲しくて仕方がなかった。 「バニー…もう……」 「おねだりは?」 虎徹がその先を促すように腰をくねらせると、塗れた手で脚の内側をなぞりながらバーナビーが言う。なにを望まれているのか数秒考え、羞恥にふるえながらも虎徹はベッドについた脚を開いた。四つんばいで腰を高くあげ、自分で手を伸ばして両手で尻を押し拡げるようにする。 「ここに…いれて、くれ……バニーの」 「……ここに?」 するりとバーナビーの手が押し拡げた尻の狭間をさぐる。カチャカチャと音がするところをみると、器用にも片手でベルトを外しているのだろうか。シーツに顔を押し付けた虎徹は、この先にやってくるものへの期待にふるえた。 「これを?」 「あっ……くれ…中に───奥に」 入口に丸い先端を押し付けられて、はしたなく腰を揺らしながらそうねだった。おねだり上手ですよ、とささやかれて、ようやく望んだものが与えられる。 「あっ…ああ────っ」 ぐちぐちとジェルで慣らすように小刻みに腰を揺らしながら、バーナビーのものが入ってくる。 待ち望んだ熱に中を押し拡げられる痛みを忘れて体が歓喜する。入れられただけでいってしまいそうなほど感じたのに、びくびくとふるえる虎徹のものは、ブジーに出口を塞がれていて吐精することができない。 いってしまいたくて、虎徹は自分のものに手を伸ばして己の中に入り込んだ鋼鉄を引き抜こうとした。けれどそれを、後ろから伸びてきたバーナビーの手がさえぎる。 「ぬいちゃだめです。抜けないようにちゃんと押さえてて…ほら」 「あっ、ひ……いた…イタイ」 手をつかまれ、自分の手ごとペニスの先を押さえられてうめいた。焼きごてをあてられてように痛くてたまらないのに、手の中のそれはとぷとぷとカウパーをこぼしている。ぬるぬるになったそれを軽くしごくと、ズクズクとうずいて痛いのか熱いのかよくわからなくなった。 そうするうちにバーナビーが小刻みに奥を突きはじめて、思わずそれにあわせるように前をいじってしまう。 「ひ、あっ…あ、あっ……」 痛い。いきたい。だけどいけない…中からあふれでてくるもので次第に押し出されてくるブジーを、バーナビーに言われた通り中に押し込む。熱くなってぱんぱんにふくらんだそこの奥がじりじりと焼けるようだった。後ろから獣のように激しく犯されて、シーツに頬をこすりつけながらすすり泣く。 「痛いっていいながらどうしていじってるんです?本当は気持ちいいんじゃないですか?ああ…それとも、痛いのが好きなんですか?こっちも…」 「あああああっ」 ずっ、と奥を突くように突き上げられ、同時に片手で乳首をつねられて、思わずびくんと顔をあげた。背中が反って、かえってバーナビーの手を受け入れているかのような格好になる。 「痛くすると、よがりますもんね」 虎徹のそのしぐさにくすくすと笑って、バーナビーはぐいっと彼の腰を引き寄せると、後ろから覆いかぶさるようにして耳元でささやいた。 「淫乱なマゾ」 嘲笑の響きを帯びたその言葉に、感じると同時に胸の奥が痛む。そんな風に思われていたのだ、と思い知ることがつらかった。五年経って華やかな女達と寝て、きっとかつての虎徹との記憶は薄汚れたものになっているだろうと思ってはいたけれど、それを突きつけられるのはつらい。 なら抱かなければいいのに、と思うけれど欲望は別なのだろう。虎徹にはない感覚だったけれど、妻とセックスの相手は別で、どうでもいいからこそ好きなようにセックスができるという男がいることは理解できた。 淫乱でなにをやってもいいマゾ…バーナビーの望みがそんな相手なら、そうなろうと思う。いつでも彼のために準備して、言われた通り脚を開く…そんな便利な相手に。 「はっ…あっ、あっ…ばに……きもちい…奥、おまえの───!」 はしたなくそう声を上げると、一瞬バーナビーの動きが止まった。しまった気持ち悪かっただろうか、と思ったけれどすぐに腰の動きは再開される。さまようように胸元にふれていた手も、また虎徹の乳首をきゅうきゅうとつまみあげた。 「これ、気持ちいいですか?中擦られて、ペニスにブジーを入れられて、乳首いじられて気持ちいいんですか?」 「いい…おまえの、で……ち、ちくびも…ゆびっ───!」 ろれつも回らないまま、わけのわからない言葉をこぼす。意味のないあえぎ声と変わらない、前後のつながらない言葉。中に、胸先に、背中にバーナビーの熱を感じてたまらなく気持ちよかった。その快楽の根元にあるものをバーナビーに伝えるつもりはなかったけれど。 「ばに、なか、でっ……」 だして、とささやくと、奥にいれたまま小刻みな腰の動きが早くなった。パンパンと肌が打ち付ける音が激しくなるのを、ぎゅっとシーツをつかんで受け入れる。片手でブジーを入れられた自分のものを握り込むと、ぎゅうっと後ろが締まるのが自分でわかった。その瞬間、背後でバーナビーがうめいたことも。 「くっ…ん──」 「は──あ…あ────っ」 どくどくと奥に注ぎ込まれる感覚に下腹がびくびくとふるえた。指先までピンとしびれるほど感じたのに、ブジーのせいでいくことができない。バーナビーは全部絞り出すように何度かと腰を使って、出し切った後にゆっくりと虎徹の中から出ていった。 そして彼はまだいくことができずにふるえている虎徹の腰を抱くと、シーツの上に仰向けにさせる。 「ばに…いきたい……」 仰向けで大きく脚を開き、ゆるゆると自分のものをこすりながら涙目でそう訴えた。自分で勝手にぬくことは許されないだろう。そう思って哀願すると、バーナビーはまだ荒い息を整えるように深く息をつきながら、低い声でささやいた。 「もう自分で抜いていいですよ。こうやってこすりながら…」 「あ…」 バーナビーの大きな手が、虎徹のものを彼の手ごと包み込んでゆっくりとこすりたてる。ふれあった手とバーナビーのリズムに酔いながら、虎徹は逆の手でそっとブジーをつかんだ。少しだけ小刻みに揺らすようにしながら、半ばまで抜き去る。バーナビーの手が促すようにきゅっと強く握り込んできて、虎徹は胸を反らしながら一気にブジーを抜いた。 「ああああっ、ん……!」 ブジーの抜けた孔から、びしゃっ、と音がしたのではないかと思うほど激しく、精液が飛び出した。ようやくの解放に頭の中が真っ白になる。 「は───あ、んっ……」 びくびくと下腹を突き上げるように揺らすはしたない姿を見られているのを感じながら、虎徹はその視線にさえ感じて最後まで精を吐き出した。 一瞬意識を飛ばしていたようだった。意識が浮上してゆっくりと顔をあげると、バーナビーはすでにベッドから立ち上がって服を調えた後だった。慣れたしぐさでネクタイを締め、ジャケットまで着てしまう。 五年前のタイの結び方もよくわかっていないような初々しいそれではない、雄くさい大人の男のしぐさだった。ピッ、とジャケットを直すしぐさに見とれていると、虎徹が意識を取り戻したのに気付いたのか、ふとバーナビーも彼を見返してきた。 「あなたがぐずぐずしてるから、シャワーを浴びる時間もなくなってしまいました」 そう言って苦笑する表情はやわらかかったが、どこか上からのものだ。ペットの粗相をたしなめるような、そんな表情。虎徹はそんなバーナビーを見上げて、ただ全裸の体をベッドに投げ出していた。中に出されたものも、虎徹が吐き出したものもそのままだ。たぶんシーツも汚れてしまっているだろうから、ここで寝るのなら替えなければいけないな…と虎徹は目の前のバーナビーとは関わりのないことを考えた。 彼はここを去って行く。一緒に眠ることなんてない。虎徹はここで一人で眠り、朝を迎えるのだ。 「また時間ができたら来ます。約束は守って…ちゃんとブジーも毎日つかってくださいね?」 バーナビーはほほえんで、無造作に投げ出された虎徹の体に手を伸ばした。けれどその手は虎徹にふれることはなく、なぞるように少し離れた場所を動いて、脚の間に到達する。精を吐き出して力をうしなったものを指の先でほんの少しふれ、バーナビーは甘い声でささやいた。 「ここが広がって人に見せられなくなるくらい…僕のこと考えながらいじってください」 その声に、さきほどまでブジーを入れられていた孔がうずいた。毎日毎日、バーナビーが来なくても虎徹はさきほど見せられたあのいくつもの器具を使う。自分のものの中に突き入れて、それで快楽を覚えるように自分を仕込んでいく。バーナビーのために。バーナビーに命じられたから─── 「あなたは僕の……愛人なんですから」 ささやきに、虎徹は目を閉じた。バーナビーが部屋を出ていくところを彼は見なかった。 next back |