愛人契約7







 自分は仕事に行くから眠ってください、と言われて、虎徹はベッドの中であやふやな返事を返した。まだ夜も明けていないのに、と思ったけれど、仕事のことに口を出すべきではないだろう。せめて見送ってやろうと体を起こしかけたが、いいから寝ててくださいと強めの口調で言われてあきらめた。
 バーナビーが別の部屋で身支度している音を、ベッドの中でうとうとしながら聞いた。込み上げてくる物悲しさを飲み下して胸の中に押し込める。行かないで欲しい、ここで眠っていけばいい、とねだるなんて、鬱陶しい『愛人』みたいことはしない。バーナビーは虎徹を抱いてすっきりしたら、気持ちよく帰っていけばいいのだ。───彼の帰るべき場所に。
 彼が出て行く音を聞きたくなくて、本格的に眠る体勢に入る。荒淫のせいかふっ、と途切れるように意識は眠りに沈んだ。次に意識がまた昇ってきた時、どれだけの時間が経っていたのかよくわからなかった。後から思えばそれはほんの数分のことだったのだろう。
 喉がかわいた気がして、ぎしぎしと痛む体を起こす。全裸で裸足のままぺたぺたとキッチンに向かって歩く。その途中でかすかな声が聞えて、虎徹はぴたりと足を止めた。
「ええ……ええ、そうです。よくわかりましたね」
 バーナビーの声だった。リビングの扉越しに、低くおさえた声が響いてくる。その声色はやわらかで、おそらく電話で話しているのだろうその相手が、仕事の関係ではないと知れた。社長として話すバーナビーの声にはどこか命じる響きがあったが、今はそれがない。再会してから、プライベートで誰かと話すバーナビーの声を聞くのは初めてで、虎徹は思わずそれに耳をすませてしまった。
「あなたにはかなわない」
 くすくすと小さく笑う。その声を聞いて、足もとからぞくりと這い登ってくるものを感じた。そんな声で誰かに向かって笑うバーナビーなど想像したこともなかった。バーナビーは外面が良くて、いつだって完璧な笑みと声で対応していた。それはおそらく仕事以外の場面でもそうだろうと思っていたのに。
「え?そうなんですか。それは───おめでとう」
 やわらかなやさしい声。つくったそれではない。それは虎徹が聞いていた声に似ていた。今ではない過去に…五年前恋人だった頃に聞いていた、甘さのにじむ響き。
「ああ、それはもちろん。わかりました手続きはしておきます。細かいことはあとでいいでしょう」
 口調は敬語よりだったけれど、ある程度くだけていた。相手はバーナビーにとって心許せる相手なのだと思った。その話し方は虎徹や、マーベリックに対するものと同じだ。いわゆる『身内』にしか使わない言葉遣い。
 相手はだれなのか。バーナビーがこんな風に心を許して話す相手。仕事相手ではない『身内』。それとも彼もいまでは、何人もいる恋人相手にもこんな風に話すのか。
「……ありがとうございました、キャサリン」
 虎徹の疑問に答えるように、バーナビーが相手の名前を呼ぶ。
 虎徹は廊下でその名前を立ち聞きながらびくりとふるえた。キャサリン、という名前は知っている。それはバーナビーの妻の名前だ。四年前彼が結婚した、モデルだという華やかでうつくしい女性。報道された映像の中、ウェディングドレスで大きく口を開けて笑っていた、きっと気立てもいいのだろうとひと目でわかるようなあの女性の名前だった。
 バーナビーの電話の相手は彼の妻だ。
 かかってきたのかけたのかはわからないが、バーナビーは虎徹を抱いた後、彼を囲っているマンションの部屋で平然と自分の妻と電話をしている。浮気が妻公認だというのは事実なのだろう。そうでなければ、電話がかかってきても出るはずがない。
 そしてそのやわらかな声は、それでも彼女とバーナビーが思いあっているあかしだった。互いに忙しくなかなか会えない夫婦が相手を思いやり、妻は夫が他で欲求を発散するのを認めている。体と心は別だと、きっとそう思っているのだろう。
 外での欲求の発散は必要な瑣末事に過ぎない。
「……その話は」
 バーナビーの声が不意に低くひそめられた。相当耳をすませなければ聞えないほど、ひどく声がかすれる。
「ええ。そうですよ、わかってます」
 さきほどまでのやわらかな声とは違い、深刻な声だった。それを聞いてようやく虎徹は、自分がこの会話を盗み聞いてはいけない、ということに思い至る。夫婦の会話だ。ひそめられた声は秘密の話の証明。立ち聞きなんてするべきじゃない。……そう思うのに足が動かなかった。聞きたいわけじゃない。ただ、動けなかった。
 だから虎徹は聞いてしまった。一番聞きたくなかった言葉を。大切そうにささやかれた、かすれたその声を。
「─────愛してるんです」
 言葉を途切れさせた長い沈黙の後に、バーナビーはそっとそうささやいた。電話の相手に聞こえているのか心配になるような静かな声。扉越しにはほとんど吐息にしか聞えない、けれどどうしてかわかってしまったその言葉。
「わかってるでしょう?愛してるんです、だから…」
 バーナビーが必死に言い募る声を聞いて、虎徹はようやくその場を離れた。これ以上彼の声を聞きたくなかった。妻に愛をささやくかすれた声。甘さをにじませながらも、どこか必死な響き。
(だってそれは)
(それは、本当は────)
 寝室に戻ってシーツの中に沈み込みながら、丸くなってぎゅっと自分を抱きしめて心の中でうめく。渦巻くその心の声で、虎徹は己の本心を知った。
(それは本当は俺のものだったはずなのに───!)
 バーナビーがとうの昔に結婚したことなど重々わかっている。その結婚を虎徹は望み、それなりに喜んだはずだった。胸の痛みを覚えながらも、それでもバーナビーが明るい未来に踏み出したことを遠くからでも祝福してやれているつもりでいた。
 けれど違った。虎徹は本当にはわかっていなかった。
 バーナビーに再会して、彼に抱かれて、虎徹はどこかで彼は自分に心を残していると思っていたのではないのか。愛人だ、男だから他の女達に劣ると自分に言い聞かせながら、ほんの少しは自分がバーナビーにとって特別だと思っていたのではなかったか。
 その無意識の思い上がりを、虎徹はいま叩きつぶされた。
 バーナビーのあのかすれた声。上ずって必死だった口調。それは押し殺された思いの吐露だった。彼は全力で妻に愛をささやいていた。
 他の女と浮気をするのも、多忙でなかなか会えない妻への当てつけでもあるのではないかと思えた。そうでもなければ、あんなに愛している妻の他に誰かを抱く気になんてなれないはずだ。当てつけで浮気して、それを許されたから引っ込みがつかなくなっている……もちろん男としての欲求の問題もあるだろうが、バーナビーの性格からすればそれが正しい気がした。
(だれだって一緒だ)
(愛している人間の他なら)
(そう、それが男であっても────)
 虎徹はシーツの中でひっそりと笑った。
 自分がバーナビーにとって少しは特別なのかも知れないなんて、なんという思い上がりだったのだろう。やはり自分は、他の女達に劣る浮気相手の一人でしかない。固いけれど使い勝手がいい抱き人形。ただの情欲処理の道具のひとつ。
(わかってたはずだ)
(わかってたはずなのに───)
 虎徹はシーツの中に丸くなって笑い続けた。笑いながら、静かに涙をこぼした。



 シーツにくるまって泣いて、みじめな気持ちで眠れずにいたはずだったのに、気付いたら夜が明けていた。なにを思い悩んでいても最後には眠ってしまう自分に虎徹は少し笑った。
 起き出してみると当然のことながらバーナビーはもういなかった。そのことにむしろほっとして、虎徹はふらふらとよろけながら身支度をした。もうダメだ、という思いだけがぐるぐると心の中を回っていて、だからといってどうするという結論もみいだせずに、ただ無意識の動作で支度をして部屋を出る。
 コンシェルジュにまともに挨拶も返せないまま向かった病院では、楓は検査に行っていて病室にいなかった。安寿もその間に所用をすませているのか、姿が見当たらない。
 だれもいない病室で二人を待って、その間もずっとぐるぐると考え続ける。いや、それは考えているとは言わないだろう。虎徹の考えは一歩も進んでいない。もうだめだ、どうしよう、もうだめだ、しか考えていない。
 待っているうちに楓が戻ってきて、少し病状について話した後、いつもより早く病院を出た。虎徹の様子がおかしいのに気付いたのか、早く帰っていくことに二人ともなにも言わなかった。
 虎徹はぼんやりとしたまま、あてもなくふらふらと街中を歩いた。昨日までは帰りにマーケットに寄って、食料品や雑貨をを買って帰るのもそれなりに楽しかったのだが、今はそんなことをする気にもなれない。食事を作ったってバーナビーは喜ばない。虎徹のことなど…いや妻以外のすべてが、彼にとっては無意味なものだろう。
 買物をする気にもなれず、だからといってバーナビーに与えられたひとりきりの部屋にまっすぐ帰る気にもなれず、虎徹はただふらふらとしていた。それでも日が沈みはじめて、ようやくゴールドステージに上がった時のことだ。
「タイガー!」
 車道のほうから鋭い声が飛んできた。その呼びかけに虎徹は反射的に振り返る。
 車道に停車していたのは真っ赤なスポーツカーだ。車にそれほど詳しくない虎徹でもわかる超高級車。その運転席の窓を開け、乗り出すようにしているのは、ピンクの髪に色の濃い肌の…男、と言っていいだろうか。虎徹にはよく見覚えのある人物だった。
「ファ……ネイサン!」
 ヒーロー名を言いかけて、慌てて言い直す。派手ないで立ちをした、性別の曖昧な人物はかつてのファイヤーエンブレムだ。しかし、彼…彼女はすでにヒーローを引退しているはずだった。企業オーナーである彼女がこんなところで虎徹を見つけてしまうその確率におののいた。シュテルンビルトは広い都市だ。もともと住んでいた場所に近づかなければ、そうそう知り合いにあうこともないと思っていたのだけれど。
「とりあえず乗んなさいよ」
「え…えーと俺……」
 ネイサンの車に近づきながらも、彼女と話す事にとまどいを感じて虎徹はためらった。そんな虎徹をネイサンはすさまじい目つきで睨みあげる。
「いいから乗れっつってんだよ!」
 窓から伸びてきた手に襟元をつかまれ、ドスの利いた声でそうすごまれて、うわっ!と声をあげながら慌てて引きはがして助手席に回った。虎徹が乗り込むと、シートベルトをつける間もなく車がブワンッとすごい勢いで発進する。
 ネイサンは虎徹の方を一瞥しただけで言葉を発することはなく、どこに連れていかれるのかと戦々恐々とした。
 車はやがてどこかの地下駐車場に入り、そこで停車した。おそらく契約駐車場なのだろう。中に人影はなかった。そこからどこかにいくつもりはないのか、エンジンを止めてもネイサンは車を降りなかった。彼女は、ふう、とひとつため息をついて虎徹を振り返る。
「あんた…いつシュテルンビルトに戻ってたの」
「あー……えーと、一ヶ月半くらい前?」
 戻ってきたってわけじゃなくて、ちょっといなきゃならない用があっているっていうか…ともごもごと口にすると、ネイサンはもう一度、今度は深く深く息をついた。
「みんなどれだけ心配したと思ってるの?あんたがいきなりいなくなって、連絡もつかないしアントニオが実家に問い合わせても知らないって言われるし……どっかでのたれ死んでんじゃないかって言ってたんだから」
「───ご覧の通り生きてるよ」
 返す言葉に困って、茶化すにはやや勢いのない声でそう言った。ネイサンはシートにどさりと背を預けると、腕を組んで虎徹を見つめ、やや強い口調で言う。
「話しなさい。あらいざらい全部、よ」
 うながされて、虎徹はこいつには隠せない、と思う。他人に話したいことではなかったが、ネイサンならば話すべきではないと思えば、他のヒーロー達にも虎徹がシュテルンビルトに戻っていることを黙っていてくれるだろう。そう判断して虎徹は、ぽつりぽつりと姿を消していたこの五年間のことを話しはじめた。
 マーベリックにバーナビーと別れるよう言われてそれを呑んだこと。楓と二人で遠くの街で暮らしていたこと。楓の病気のこと。治療費のためにバーナビーを頼ったこと。そしてその条件として彼の愛人になっていること。
 最初はどこか納得したような顔で聞いていたネイサンは、楓の病気の話のあたりで眉を寄せ、バーナビーに金を借りに行ったというあたりで思い切り顔をしかめ、最後まで話し終えた頃にはあきれ返った顔になっていた。
「あんた馬鹿ね」
 背中をシートに押し付けるようにして上を向き、額に手をあてながらネイサンはため息を付く。そしてゆっくりと体勢を戻すと、心底呆れたという目で虎徹を見てくる。
「ハンサムもたいがい馬鹿だけど、あんたほどじゃないわ。あんた本当になんにもわかってないのね…いくらなんでもその天然っぷりは罪よ」
「どういう意味だよ…」
 馬鹿ばか言われても理由がわからない。いきなりいなくなったのは悪かったと思うが、虎徹にはそれが正しいことのように思えた。バーナビーに金を借りたのだって、楓のためには他に選択肢はなかったからだ。愛人になったのが馬鹿だと言われても、虎徹には他にどうしようもなかった…のだから。
 そう思うのに、ネイサンにほんっとーに馬鹿ね、と繰り返されると自分が悪いような気がしてくる。ネイサンはそんな虎徹を見て視線をやわらげると、少し拗ねたような口調で続ける。
「それにねえ、あんたどうして私に頼ってこなかったの?」
「……え?」
 やさしい声に、思わず不意を突かれて虎徹はネイサンを見返した。彼女はふふんと笑ってネイルをほどこした長い爪を弾いた。
「ハンサムほどじゃないけど、私だってそのくらいの治療費なら貸してあげられるわよ?」
「それは…」
 言われて愕然とする。
 ネイサンに金を借りるなど、思いつきもしなかった。とにかくバーナビーに頼るしかないと思っていたのだ。それが最終手段だと、そんな風に。
 それどころか、他のヒーロー達に会いに行こうと思いもしなかった自分に気付いた。そうだ、なにも昔の知人に会ってはいけないわけではない。バーナビーに会うわけにはいかないからシュテルンビルトを離れていただけで、彼に再会したいま、他のヒーロー達に会うのは自由なはずだった。
「薄情な子ねえ」
 虎徹の思考の流れを読んだのか、ネイサンはそう言う。口調は拗ねたものだったが、そこにさっきまでの怒りの色はない。ほんっとどうしようもない子、とため息をついて、彼女は懐からひらりと名刺を取り出した。
「とりあえず今の状況が耐えられないなら、お金は貸してあげるわ。ハンサムにお金を返して、それで自由の身になればいい。あの子になんの義理もない立場になってみて、これからのことを考えてみたらいいわ」
「これから…?」
 ネイサンの名刺を受け取りながら、やや呆然としてつぶやいた。昨日の夜からずっと考え続けていた。もうだめだ、もうだめだどうしよう、とそればかりを。もうこのままではいられない。バーナビーが飽きるまでなど待っていられない。耐えられない。そう───虎徹の方だけが。
 ならば、どうすればいいのか。金の問題はネイサンに借りれば解決できる。それなら……どうすることが正しいのか。
「消えるのはなしよ。逃げんじゃないわよ。逃げないで、ちゃんとあんた自身がどうしたいか考えなさい。ハンサムとどうなりたいか───ハンサムをどうしてやりたいかを」
 そう言うと、ネイサンは前を向いてシートベルトを締め直し、送ってあげるわ、と言った。車は今度は静かに発進した。



 ネイサンにマンションの近くまで送ってもらって車を降りると、時計はすでに7時を回っていた。部屋に戻っているようバーナビーと約束している時間を過ぎている。
 少し慌てたけれど、昨日の今日でバーナビーが来ることもないだろう、と自分を落ち着かせるように、ことさらゆっくりとマンションに入った。昨日…と思ったところで、立ち聞いてしまったバーナビーの声がリフレインする。
(愛してるんです)
 すがりつくようなあの声に胸が痛くなると同時に、どうにかしてやりたいとも思ってしまう。バーナビーと妻とは、彼の浮気があってもうまくいっているような報道をされていたし、あの電話の最初の方の声を思えば、それは間違っていないように思えた。それなのにバーナビーは、あんな悲痛な声で妻に愛を告げるのだ。
 あの夫婦はすれ違っているのではないのか。あんなに愛している相手と結婚していて、なおしあわせに見えないバーナビーがかわいそうだった。バーナビーは不器用で、愛する人にうまくそれを伝えられていないのではないかと思った。うまくいけばいいのに。彼が心底しあわせになれればいいのに。なんとかしてやりたい…虎徹はもう、彼らを見ることはつらすぎてできないのだけれど。
 バーナビーにしあわせになって欲しいと願う気持ちと、胸の痛みでいっぱいになりながら最上階の部屋まであがった。ロックを解除して中に入った時、なんとなく違和感を覚える。人の動きを感知して明かりがつくから中はすでに明るかったが、それだけではない気配がした。……誰か人がいるのだ。
 そしてこの時間にこの部屋に誰かがいるとしたら、ひとりしかありえなかった。
「バニー……?」
 そっと寝室をのぞき込んで声をかける。予想通り、寝室に置かれたソファには、ぼんやりと座っているバーナビーの姿があった。こんな早い時間に来たことなどないくせに、よりによって今日連日で訪れたのはどういうことか。虎徹は彼と約束した時間に遅れてしまった。
 バーナビーは虎徹の呼びかけにゆっくりと振り返った。部屋には間接照明すらついておらず、真っ暗だ。彼の背後で、シュテルンビルトの夜景が瞬いている。
「────さん?」
 心細い、小さな子供のような声だった。あまりにも小声過ぎて、肝心の名前が聞こえない。バーナビーの視線は迷子のようにしばしさまよい、虎徹に焦点があうと、途端に彼は表情を改め、怒りをあらわにした。
「どこに行っていたんですか?僕は7時には部屋に戻っているように言いましたよね?自分の立場がわかってます?あなたは僕に買われたんだ。あなたは僕の愛人なんですよ?」
「ごめん。悪かった。おまえがいると思わなくて…」
「いなければ勝手にしていいと?数少ない約束も守れない人間は最悪ですね。これは契約ですよ。ビジネスの基本から教えなければなりませんか?」
「いや、遅れたのは今日初めてで……」
 言いかかって、どう考えても言い訳にしか過ぎないと気付いて虎徹は口ごもる。それが初めてのことであっても、どんな理由があっても、一度でも約束を破れば同じことだ。
「────どこに行っていたんです」
「いや、ちょっと…」
 怒りを孕んだバーナビーの声におののきながらも、ネイサンのことを話すべきか迷って虎徹は言葉を濁す。その曖昧な態度がますますバーナビーを怒らせたようだった。彼はソファから立ち上がると、虎徹に近づいてその肩を乱暴につかんでくる。
「───言え」
 バーナビーは彼には不似合いな命令形で短く言った。それに、虎徹は息を呑んで覚悟を決める。もう無理だ、もうこれ以上このままではいられない…そう思ったはずだ。だったらいま、終わりを示してしまわなければならない。
「ファイヤーエンブレム…ネイサンに会って」
「へえ…僕以外とも続いてたんですね」
「偶然だよ。街で、あいつの方から声をかけてきたんだ」
 わざと下世話に聞こえる言い方でそう言ったバーナビーに、せめて変な誤解だけはされたくなくて、わざわざそれを訂正する。
「バニー…あの───あのさ、俺……」
 一度顔をあげてバーナビーを見上げ、いらだちをたたえた強い瞳に出会って視線を反らす。覚悟を決めたようで決められていない。決定的なセリフを口にすることが怖い。……だけどもう決めなければならない。もうこれ以上耐えられないから。
「もう、こんなことやめようと思うんだ」
 バーナビーの顔を見ないままで、虎徹はそれでもはっきりとそう言った。ひとこと口に出してしまえば覚悟が決まった。そうだ、そうするべきなのだ。
「おまえの愛人なんてさ。おまえにもやっぱよくねえし……おまえは俺や他の女なんかに構ってる暇があったら、奥さんとちゃんと話すべきだと思うんだよ。だから愛人はやめる───金は、ネイサンが貸してくれるって言うから」
「────やめる?」
 言い切って顔を上げると、冷ややかな顔で見下ろしているバーナビーの視線に出会った。さきほどまでの怒った表情とは違う、もっとぞっとするような顔だった。なにかが抜け落ちてしまったような、あまりにも冷たい瞳。
「僕の愛人をやめて?それでどうするんです?今度はファイヤーエンブレムの愛人になるんですか?僕が仕込んだこの体で?」
 言いながらバーナビーは、笑ってシャツの上から虎徹の胸元を撫で回した。話している途中でのあまりにもセクシャルなしぐさに虎徹が身を引くと、いらだったように肩をつかまれ、ベッドの方に突き飛ばされる。
「おい、もうこんなことやめるって言っただろ…!」
 よろめいてベッドに倒れたところにバーナビーにのしかかってこられて、虎徹は慌てて彼を押しのけようとした。このまま抱かれてしまったら、なしくずしになってしまう。それではだめだ。いま、こうしてやめようと言った勢いで関係を断ち切ってしまわなければ、とそう思ってあらがうのに、バーナビーは虎徹にのしかかってすさまじい力で彼の体をベッドに縫い止める。
「この服も僕が買ったものだ。ね、知ってます?あなたが使ってるソープもシャンプーも、僕の好きな香りなんです。あなたの体臭とまざって、僕好みの匂いになる」
 言葉だけ聞けば睦言のように甘い内容なのに、バーナビーの瞳は冷たいままだった。そして無造作なしぐさで服を脱がそうとしてくる。
「────やめろ!」
 バーナビーの冷たい表情が怖くて、ふれられることに恐怖を感じて虎徹は今度こそ本気であらがった。暴力的な行為が恐ろしいのではない。それすら歓喜して受け入れてしまう自分が怖かった。もうやめるのだとそう決心したのに、また抱かれたらだめになってしまう。
 そう思って全力の力でバーナビーを押し返した。けれどその抵抗は簡単に封じられ、シャツをつかんだ手がそれをあっさりと引き裂く。あまりにも簡単にあらがいを封じられて、驚いて見上げればバーナビーの体が青く光っていた。
「おまえ……」
「あなたが抵抗するのが悪いんです。あなたは僕のものなのに。僕の所有物のくせに拒もうとするから!」
 こんなことに能力を発動するな、とそう言いかけた虎徹の言葉を先回りして、バーナビーは癇癪を起こしたようにそう叫んだ。癇癪……そう、これは癇癪なのだと虎徹は気付く。虎徹は伝え方を失敗したのだろう。バーナビーの子供の部分を刺激してしまった。
「あなたの体は、もう僕になじんでしまっているはずだ。あなたは僕しか知らないんでしょう?あなたの体は僕のためのものになってるんです。ほら、ここもちょっと広がってる……」
「んあっ……!」
 下肢の衣服を脱がされ、性器の先端をぐりっといじられて体が跳ねた。まだ青く光っているバーナビーにそこを握られるのは怖かった。バーナビーの言う通り、虎徹のそこは彼の愛人になる前と少し違ってしまっている。バーナビーの刻んだ印。見た目だけのことを言っているのではない。虎徹の体のすべてが、もうバーナビーの熱を忘れられなくなっている。
「あなたは僕のものだ。僕が金で買った愛人なんだ。あなたは僕の言うことを聞いて、僕のためだけに存在してればいいんです。僕に抱かれるために準備して、僕のことだけを考えていれば────!」
「っ………」
 バーナビーの言葉に、虎徹はそうなれたらよかったのかもしれないと思った。ただバーナビーの訪れを待って、他のことはなにも考えずに彼のことだけ考えて生きる。自分のもとにいない間のバーナビーがどうしているのかも、未来のこともなにも考えずに、ただ彼の欲求に答えるためだけに存在して───
 だけど虎徹はそんな風に盲目になることはできなかった。虎徹は楓の父親であり、ひとりの男で、そしてバーナビーの一部だけではなく全部が欲しいと思ってしまう欲深な人間だった。バーナビーがしあわせだったらいい、とそう思っていた自分の本心をいまこそ思い知る。
 違うのだ。バーナビーにしあわせになって欲しい、それには自分では駄目だと言って身を引きながら、本当は自分こそが彼をしあわせにしてやりたかった。けれど無理だということはわかっていて、だから逃げたのだ。バーナビーに失望される前に。
 捨てられるより捨てた方が気が楽だった。一部だけでは我慢できないから、最初から望まなかった。呆れられる前に離れてしまえば、いつまでもバーナビーの特別でいられるとどこかで思っていた。虎徹は彼が二十四歳にして経験した、初恋の相手だったから。
(バニー、俺はおまえのものになれない)
(だって、おまえは俺のものじゃないから)
(俺が、手放してしまったから───)
 苦しさも胸の痛みも自業自得だった。だけどせめてどうしても自分の矜持を捨てたくなくて、虎徹は弱々しく抵抗する。能力を発動しているバーナビーに、すでに能力を失った虎徹がかなうはずもなかったけれど。
「ね、あなたは金と引き換えに僕のものになるって言ったでしょう?毎日僕のために準備して僕を待ってるって約束したでしょう?……約束を守れないひとはおしおきですよ」
 そうささやくバーナビーの顔に、冷たい怒りの表情はもうなかった。そのかわりにどこかあやうい子供めいた笑みが浮かんでいる。カエルを解体する子供のような、残酷で無邪気なほほえみ。
「あなたのためにいろいろ用意したんです」
 淫乱なあなたがもっと楽しめるように、とバーナビーはくすくすと笑って虎徹を貶める言葉を吐く。そしてサイドボードに手を伸ばし、引き出しからいくつかのものを取り出した。
 ジュエリーケースのようなものをパクンと開けると、バーナビーはそこから銀色のリングを手に取った。そして引き裂かれたシャツだけを身につける虎徹にのしかかり、放置してあったネクタイで虎徹の右手と右の足首を拘束する。
「なっ…!」
 片方だけとはいえ手首と足首をつながれてしまうと、脚は大きく開いたままになり、バランスがとれずに自分で体を起こすことは不可能になる。バーナビーはそうしてあらわになった虎徹の下肢に手を伸ばしてきた。
「何回もはもたないでしょうから、長く楽しめるようにまずこれをつけてあげますね」
「なにそれ……あ、ちょっ…!」
 そのリング状のものがなにをするものかわからずに見つめると、バーナビーはなんの躊躇もなくさっさとそれを、陰嚢ごと虎徹の性器にはめてしまう。一度広がった輪がパチンと音をたてて閉じるのを見て、虎徹は呆然とした。それがどういうものなのかは知っている。見るのは初めてだったけれど、はめられてみてその用途を理解した。
「よく似合ってますよ、プラチナのコックリング…すごく卑猥で」
 バーナビーがくすくすと笑いながら、虎徹が思い至ったそのものの名称を口にする。射精を遅らせるためのその道具は、まるで拘束具のように虎徹の股間に収まっている。バーナビーが口にしたようにプラチナでできてきるのなら、それは特注品なのだろう。サイズ的にも虎徹のものにあっている。勃起してしまえば、きっとこれは虎徹の根元を締めつけて彼を解放してくれなくなるのだろう。
「なんでこんなの…」
「言ったじゃないですか。長く楽しむためですよ?」
 言いながらバーナビーは虎徹の足の間に入り込み、そこに顔をよせてしげしげと眺めた。指先でリングのふちをなぞられると、開いたままの脚の間でそれがひくひくとふるえた。一種の装身具でしかないはずのそれがひどくひわいに見えて、羞恥にカッとなる。拘束されていない方の手でそれに手を伸ばしたが、バーナビーの手がその手を握り込んでくる。バーナビーの体はもう光っていなかった。能力が切れたのか、それとも途中で発動をやめたのかもしれない。
 けれど手足を拘束されて、自由な方の手も握り込まれてしまえば、まともな抵抗などできるはずもない。虎徹とて普通の男よりはいまでもずっと体術に長けているが、バーナビーはほんの一年前までトップヒーローだったのだ。あらがえないまま、虎徹はかえるのように脚を開いた姿をバーナビーの視界に晒していた。
「あなたのは色が濃いから、プラチナがよく栄えますね。リングもいいけど、ピアスでもいれましょうか?やっぱりプラチナで…このあたりに」
「んなのしねえっ…!」
 すうっと側面をなぞられて、カリのあたりをくるりと指でなぶられ、ぎゅっとバーナビーの手を握りしめながら叫んだ。けれどその拒絶の声には欲望がにじみだしていて、我ながらただの嬌声にしか聞こえなかった。
「ふうん。いま、このあたりって言ったら勃起してきましたけどね、コレ」
 バーナビーは彼の手を握っているのとは逆の手で、虎徹の性器をゆったりとにぎって手のひら全体で愛撫してくる。じわじわと体の熱があがるのがわかった。バーナビーの彫像のようにうつくしい、けれど男っぽい手でこすられるのは気持ちよかった。同時に彼の手を握りしめ、一番敏感な場所と、一番よく使う場所でバーナビーの手のひらを味わった。
 けれど快楽に溶けていきそうな意識をひきとめる理性がある。だめだ。もうだめだから。こんなのはだめだ────
「バニー…だめ、だ。やめる───こんなのやめる、から」
「こんなにしておいていまさら」
 バーナビーは虎徹のあえぎ交じりの拒絶の言葉を鼻で笑って、見せつけるように舌を伸ばして虎徹のものを舐めた。くちびるに咥え、ゆっくりと何度か奥まで飲み込む。
「ん───」
 じわじわとした刺激はむしろ虎徹からあらがう気力を奪う。性急に奪われたら、反射的にもっと暴れられたかも知れない。けれど言葉をかわしながらあぶられるように熱をあげられて、抵抗するきっかけを失う。だめだ、やめろと言いながら、虎徹はただバーナビーの手を握りしめてあえぐだけになる。
「ここ、こうされるの好きになったでしょう?」
「あ…あふ、ん……」
 尖らせた舌で先端の孔を拡げるようにぐりぐりとされて、粘膜にやわらかな舌の感覚を覚えて腰がぐずぐずに溶ける。どくんっと脈打つそれが膨らんで、最初にはめられたリングに根元がしめつけられた。それをはずしてくれと訴えるより先に後ろにバーナビーの指を感じて、それを厭うように腰をくねらせる。
 外から帰ってきたばかりで準備もしていないそこは、当然濡れていない。バーナビーはそのことを確認すると舌打ちした。
「ここを濡らしてもない…だめだな。準備しておくように言ったでしょう?僕が来ても来なくても、ちゃんと毎日自分でここを濡らしていじって、いつでも僕が入れられるようにしておけと言ったのに」
 バーナビーはふう、と息をつくとそこから手を離した。ほっとしたのもつかの間、顔を上げたバーナビーに綺麗な笑みを向けられて虎徹は凍りついた。他人に向けるような完璧な笑みを浮かべ、彼はやさしく言ったのだ。
「約束を破ってばかりだ。あなたは───嘘つきですね」
 嘘つき、というその言葉は虎徹の胸に突き刺さった。バーナビーがそうした含みをもたせて言っているのかはわからない。けれど虎徹の脳裏に飛来するのは、五年前のあの最後の夜だ。明日からもいつでも会えると言った。いつか自分の田舎につれていってやると言った。いつか永遠を誓う指輪をもつことを、考えておくとそう言ったのだ。
 それは全部嘘だった。そんなこと虎徹はなにひとつ考えてはいなかった。ただその場をしのぎたいだけで簡単に嘘をついてそして…きっとバーナビーを傷つけたのだ。
 過去のことはもう変えられはしない。けれどせめてならばこれ以上嘘の上塗りはやめたかった。自分の感情を押し隠して、ビジネスだからと割り切ったふりでバーナビーの愛人など続けられない。こんな風に彼に抱かれて、すがらないでいられる自信がないから。
「バニー、俺、あのとき……」
「仕方ないから僕が準備してあげますね。あなたがちゃんとしておかないから余計な手間がかかる…本当にだらしない人だ」
 虎徹の言葉を無視して、他愛のないペットの粗相をせめるような口調でバーナビーはそう言う。ジェルを取って無造作に手のひらに出すと、それを塗りこめるように虎徹の脚の間に指を差し入れてくる。
「は…やっ───」
 ひくつく場所にバーナビーの指を感じて、期待に勝手に体の熱が上がる。なしくずしになってしまう、とそう思って一度は放された手を彼をおしのけるために伸ばしたけれど、それはまたバーナビーの手に捕らえられる。もう片方の手は足首とつながれて虎徹にかえるのような体勢を強要していた。結局さっきまでと同じように、虎徹はバーナビーの手に翻弄されている。いじられる場所が性器から後孔になっただけだ。
「後ろいじりながら前を舐めてあげますから、もっと脚を開いて」
「いらな…ばに、やめろ……」
「開いて」
 バーナビーはそう言うと、虎徹の手を握ったままの手を脚の内側に押し付けるようにして、無理やり脚を開かせた。そして後ろに差し入れた指をくちゅくちゅと動かしながら、コックリングに締めつけられた虎徹のものを舌先で舐めあげる。後ろと前を同時にいじられて、握りしめた手の感触も気持ちがよくてとろとろに溶けそうだった。もうなにを拒んでるのかもわからないまま、それでも虎徹は必死に首を振ってだめだ、と言い続けた。
「んっ、んう……バニ、やめ…だめだ。やめてくれ…」
「ふふっ…カリのとこ舐めると後ろがひくひくしてる…かわいいな。すぐ入れたくなってしまう。まだ、我慢しますけど」
「バニー…なあ、話聞いてくれよ。バニー、こんなのもう…」
「黙れ」
 虎徹が必死に繰り返そうとする言葉を、バーナビーは鋭い声で遮った。どこに行っていたか言え、と命じた時と同じ口調。虎徹の股間からあげられた顔はまた冷たいものになっていた。感情と熱をそぎ落としたような、冷酷な表情。
「もうちょっと気持ちよくしてあげようと思ったけど、もういいや。おしおき、しますね。ああ、安心してください。おしおきって言っても、きっとあなたの大好きな気持ちいいことですから」
「バ…バニー?」
 冷たい表情のままぎゅっと股間のものを握られて、怖くなって後ずさろうとする。けれど片手と片足を縛られた状態ではうまく動けない。体さえ起こせなくて、顔を上げて自分の股間を見るのがやっとだった。
 バーナビーは虎徹のものを握りしめて、しげしげとそれを見つめていた。
「───いま、ブジーは何ミリの使ってますか?」
「え…えっと、ご…五ミリ……?」
 前振りもなくそう言われて、思わず少し考えてから素直に答えてしまう。あの十本あったブジーは毎日使うことで少しずつ太いものが入るようになり、いまでは中間くらいのものを使っていた。もしかして今からあのブジーをバーナビーに使われてしまうのだろうか、と思うと無意識に腰が揺れた。そしてそのことに気付いて愕然とする。
「ふうん…まだそんなに太くないですね。それくらいなら、我慢強いひとなら最初から入ってしまいそうだ。まだそんな段階なら、ちょっと痛いかも知れないな」
 バーナビーは虎徹の内心など知らぬげにつぶやき、サイドボードに手を伸ばした。バーナビーにあらがうのに必死で視界には入っていなかったが、そこにはさきほどコックリングと一緒に引き出しから出したなにかが置かれていたようだ。バーナビーはそれを取って虎徹に見せた。
「今日は特別なの、使いますね」
 にこにこと笑って差し出されたものを見て、虎徹は硬直する。バーナビーが出してきたのは、今までのブジーと同じような金属でできた棒だった。太く角張った台座から、やや細くなったなめらかな金属が出ている。ぼこぼこと何度かゆるく波打っているそれは、虎徹がいま使っているものよりずっと太い。一センチはさすがにないようだが、それに近い太さがあった。
 とてもではないが尿道に入れるものには見えない。実際にはもっと太いものを入れる人間もいるのだろうが、性的にノーマルな虎徹にとって、それは凶器にも見えた。
「んなの…はいんねえっ」
「入りますよ。ほら、あなたのここも欲しそうにぱっくり口をあけてるじゃないですか」
 そう言ってバーナビーは、虎徹の性器と器具にジェルをたらしながら笑う。先ほど冷たくなった顔がまた笑んでいたけれど、笑っている方が余計に怖かった。ジェルでぬるぬるになった器具を、勃起してコックリングに塞き止められているものの先端に押し当てられる。もう慣れたひんやりとした感覚に、それがびくりと震えた。
 体は反射的に期待していたけれど、器具はいつもと同じものではない。そんなもの入らないと思って虎徹は何度もぶるぶると首を振った。
「やめて、バニー。やめてくれ。そんなの入らな…なあやめて」
「おしおき、って言ったでしょう?あなたが悪いんですよ。約束を守らないから」
 嘘をつくから、とそうささやいて、バーナビーはつぷりと虎徹のものの中にその器具を突き入れた。めりっ、と数ミリ入っただけで、押し拡げられる感覚と激痛が全身を貫いた。
「いっ───あああああっ、あ、ひ…ぐっ……!」
 無理、そんなの無理、と泣きながら何度も訴えるのに、バーナビーの指はそれを容赦なくぐいぐいと押し込んでくる。おそらく半ばまで入れられたところで、ひくひくと体が痙攣してうまく呼吸さえできなくなった。怪我をした時のような痛みとは違う。腹の底から込み上げるような、わけのわからない熱さと激痛。ガクガクと下腹が痙攣した。痛いのか熱いのか、それがどこまで入っているのかもうわからない。
「あ、やめっ…痛い…イタイ、ばに、抜いてええええっ」
「ははは。痛いって言いながら、ここは萎えてないじゃないですか。ほんとは奥まで突っ込んで、ぐりぐりしてほしいんでしょう?もうあなたは、こっちの中もいじられないと満足できない変態なんだから」
「ちが…無理……も、いれんなっ…ああっ、い、あっ…!」
「大丈夫、奥まで入りましたよ。ほら、ちゃんと入ってる」
「あっ、あ、あっ…!う、うごかすな…こすれて……い、痛い!痛いからっ…あ、やあっ────」
 奥まで入っていることを確認するようにぐりぐりと動かされて、そこから突き上がってくる灼熱にすすり泣いた。もう熱すぎて痛みを認識することもできない。それでも動かされて中をこすられると、その感覚だけは鋭敏に伝わってくる。
「ばにぃ、ぬいて……も、ぬいてくれ…!頼むからっ…」
 すすり泣きながら、身も世もなく懇願した。バーナビーの手をぎゅっとにぎって身をよじる。もうドクドクと脈打つペニスのことしか考えられない。根元を拘束するプラチナも、もはや少しも冷たくなかった。内側から熱に灼かれて溶けてしまう。
 そう思ってすがりついたのに、バーナビーはうっすらと笑って、ジェルで濡れた後孔を指先でいじりながら低い声でささやいた。
「こっちに僕のものを入れて欲しい、って言ったら、とってあげますよ」
「っ……」
 そのいやらしい物言いに、びくんっと体が反応するのがわかった。あれだけ拒んでいたのに、そしていまひどい扱いを受けているのに、それから逃れるためではなく、単にバーナビーの興奮した声に欲情した。バーナビーは少しも服を脱いでいない。けれど虎徹を見下ろす緑の瞳は、はっきりと欲望を宿していた。
「ああ、すごい。ぬるぬるになってますね。さっきそんなにいじってないのに。少しふっくらして…中、熱いですよ。すごくひくひくしてる」
「あっ、やめ…な、なかいじんなっ……!」
「どうして?ここ擦られるの好きでしょう?僕のでいつもゴリゴリしてあげると、あなたひいひい言って喜ぶじゃないですか。よだれたらしていやらしい顔してるの、あなたにも見せてあげたいくらい。ほら、こっちと一緒にいじってあげますね」
「やっ───やめ、うごかさなっ……!」
 中をいじられながら尿道に突っ込まれたものを動かされて、痛いのか気持ちいいのかわからなくなる。下腹からわきあがる熱に溶かされてどろどろになってしまう。自分を保てなくなる。
 これ以上感覚が飽和することが恐ろしくて、虎徹はそれを終わらせるための言葉を口にのぼらせた。最初に拒絶していたことが嘘のように、バーナビーが望むままにねだる言葉を口にする。
「も…ばに……とって。あっ、あっ…おまえの、入れ、てっ…!」
「入れるだけ?」
 陥落した虎徹を見下ろして、ふとバーナビーはやわらかく笑った。綺麗でやさしいその顔を見上げながら、はっはっと息をして、虎徹は解放されるためだけにいやらしい言葉を紡ぐ。
「ば、バニーの入れて、中擦って、突いて、お、奥で…出して」
「種付けされたいんですね…まるで雌みたいに」
 バーナビーはそう言って笑うと、自分のズボンの前をくつろげた。下着の間から、そんな状態でどうして平然としていられたのか、と疑問になるようなものが飛び出してくる。それを目にして、思わずごくりと息を呑んだ。
 前にみっちりと栓をされ、根元を拘束されたこんな状態で、後ろにバーナビーのものを入れられたらどうなってしまうのだろう。けれどバーナビーはもう道具を取ってくれると言った。このいたたまれない痛みと熱からは解放される。あとはいつものように抱かれるだけだから。
「んっ……あ、ああっ……」
 丸い切っ先があてがわれ、ぬぷりとジェルの音をたてながら虎徹の中に入ってくる。充足される快感と、解放される期待に体がふるえた。
「あっ……」
 バーナビーの手が股間にのびてきて、思わず腰を浮かせてしまう。けれど彼の手はパチンと音をたててプラチナのリングを外すと、それをサイドボードにおいたきり、それ以上ふれてくることはなかった。
 虎徹を狂わせている、太いブジーはそのままだ。
「な、なんで…」
「コックリングをとってあげるって言っただけですよ。ブジーをとるなんて言ってない」
 くすくすと笑って、バーナビーは少し浮き上がってきたブジーをもう一度奥に押し込めた。それに押し出されて、とぷんとカウパーとジェルが混ざったものがこぼれおちる。
「それに、もう痛がってなんていないじゃないですか、あなた」
「や…いやだ、さわるなっ…!」
「どうして?こうやって回すと、後ろがびくびくしますよ…僕も気持ちがいい」
「は…あ、ああっ……!」
 ゆるゆると腰をつかわれ、それと同時にブジーを出し入れされて、びくびくと腰が浮いた。痛いのに、たしかにズキズキとした痛みを感じているのに、虎徹のそれはちっとも萎えずに快感をしめしてとろとろと蜜をこぼしている。バーナビーのものが中を擦るたびに、前も後ろもびくびくと蠕動してたまらなかった。
 感じたことのない種類の快感が怖かった。こんなのは知らない。快感がぐるぐると体の中を渦巻いて吹きだし口を求めているのに、そこはブジーがふさいでいて吐き出す場所がない。バーナビーに揺さぶられて奥を突かれるのも、もう苦痛だった。よすぎてつらい。気持ちいいだけのこれはおかしいから。
「バニー…やだ。もう…あっ、頼む、から。抜いてっ…いかせてくれ」
 虎徹がすすり泣きながら頼んでも、バーナビーはほほえむだけだった。一見おだやかに見える笑みを浮かべながら、その目はギラギラと輝いて虎徹を見下ろしている。欲情している。だけどそれだけじゃない。餓えた獣のような、それは虎徹を食らい尽くそうとする者の瞳だった。
「これ…どうしていつものと形がちがうかわかりますか?」
 バーナビーの言葉の意味など考えられもせず、虎徹はいやいやをするようにひたすら首を振った。いつもと違う、いつもよりずっと太い、自分を蹂躙していくもの。それだけの認識しかない。けれどそれは間違っていた。いや、あってはいたけれど、それは虎徹の予想を超えていたのだ。
「これ、実はバイブなんですよ。振動するんです」
 そう言って────
「あああああっ、やっ、あっ……あ─────!」
 バーナビーはカチリとブジーの付け根を回した。その途端に、虎徹の尿道の中でそれは細かくふるえ始める。ブブブブッ、とほんのかすかな音はそのまま振動になり、虎徹の性器を中から揺さぶる。ほんの少しの振動なのに、腰ごとつかまれてゆさぶられているかのようだった。灼熱に焼かれているようだったそこが、さらにカッと熱を持つ。
「や、あ、ああ、あっ……!だっ…ばに…いあ、ああああっ…!」
 ガクガクと無意識に腰をつきあげていた。抜きたくて矢も楯もたまらず手を伸ばそうとするけれど、バーナビーの手に手を握りしめられてそれを果たせない。バーナビーは虎徹の抵抗が邪魔になったのか、手首と足首をしばっていたネクタイをほどいて、今度は両方の手首をひとまとめに拘束した。
 その間も尿道に突き入れられた細いバイブレーターは虎徹をさいなみ、やみくもにバーナビーにあらがおうとしても、手足に力が入らずにされるままになる。
「いやだあああっ、ぬい…ぬいてっ…バニーっ、ばにぃっ!いやだっ、おねがっ……おかしくなるっ…」
 尿道を通して、欲望の源を直接ゆさぶられる。びりびりと足先から脳天までを貫くような衝撃が数秒ごとに繰り返した。ぢか、ぢか、とストロボのような光が脳内でまたたいて、虎徹の神経を焼いていく。
「ああああっんっ、ひっ、あっ……も、だめ、だめっ…あ、ゆさぶ、な……!ひああああっ─────!」
「ああ…なか、すごい……気持ちいい。びくびくして、僕をぎゅうぎゅう締めつけてますよ。ね、気持ちいいでしょう?気持ちよくって、他のことなんてどうでもよくなるでしょう?もっとおかしくなってください。僕があげる快楽だけ感じて」
「いやだっ……やだ、こんな、のっ……バニー…こわい……ひうっ…ああああああっ!」
 バイブレーターの振動にひくひくと跳ねる体を、バーナビーは引き裂くように犯してくる。飽和した体はバーナビーを奥まで受け入れて、代わりに欲望をあふれさせる。けれどみっちりとバイブを受け入れた場所は、欲望を吐き出すこともできずにただどこまでも熱をあげていくばかりだ。
「前も後ろも、頭の中も、僕でいっぱいにしてあげます。ほら、こっちでも感じて…気持ちいい?僕にいじられて、僕に一番奥までいっぱい突かれて、気持ちいいですか?」
「気持ちい……いいっ…からっ…あ、も、いきたいっ!イきたい!バニー、ぬいてえっ。ぬいて、くれっ…!」
「いいですよ。僕ももういきそうだ。いっしょに────」
「あっ、ああっ、あんっ……ひ…う────!」
 ベッドが壊れるのではないかと思うほど激しく揺さぶられ、同時にバイブの振動でふるえる性器を大きな手でしごかれる。声を抑えようと思う余裕など少しもないほどの快楽。全身が熱に灼かれ、脳が溶け出していく。
「あっ、まだ、ばに…もう、いってえええ、いってえ、おれ、もいきたいっ…ばにぃっ───!」
「いい声…もうちょっと、ちょっとだけ…あ、そんな締めつけないで…んんっ、いい……っ!」
「あああっ、バニーっ…ばにぃっ───!」
 ぐっ、と突き入れられて、奥で熱を吐き出される。それと同時にふるえつづけていたバイブを引き抜かれて、虎徹は吹き上げるような勢いで達していた。びちゃっ、と音をたてたそれは胸元にまで飛んでいる。
「あ───あ…」
 いった後も下腹が痙攣して止まらない。じわじわと染み出ていく、痛みに似た快感。指先まで充足していくそれは、今までに感じたことのないものだ。するりと手首の拘束がとかれ、代わりに脚を高く持ち上げられてのしかかられた。腰が近くなったことでうつろな視界に入ってきた己の性器は、まだバイブレーターに蹂躙された跡を残してひくひくと小さく口を開けていた。
「虎徹…さん……」
 虎徹の中に入ったまま、はあはあと荒い息をおさえもせず、バーナビーが覆いかぶさって顏を寄せてくる。キスをされるかと思ったらそうではなく、彼は至近距離で虎徹を見下ろして、そっと頬にふれてきた。
「虎徹さん───あなたは、僕のものです」
 すぐ近くにあるバーナビーの端正な顔を見つめながら、ああ久しぶりに名前を呼ばれたな、と虎徹はまるで関係ないことを思った。名前を呼ばれるのは嬉しかった。他の人間の代用品じゃない、とそう思えたから。
「もうどこにもいかせない───」
 ゆっくりとくちびるにキスが落ちてくる。バーナビーのそれがふれる前に、虎徹はふつりと気を失った。













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