La Vie en rose1 ────世界が違って見えるんです。 そう言ったのは、他でもないバーナビー自身だった。ジェイク・マルチネスを倒して、二十年来の親のかたきを討った彼の世界は、その言葉通りに一変した。 両親を殺した犯人を憎み、その憎しみだけを糧に生きてきた。二十年間、二十四時間の全てはそのためだけにあって、バーナビーは自分の楽しみのために生きたことなどなかった。その枷がすべて外れ、解放された時、バーナビーは少し呆然とした。自分のために生きていいと言われても、なにをしたらいいのかわからなかった。人生の目的もなく、そのままであれば燃えつき症候群に陥っていたかも知れない。 けれどそんな時、隣にいた十以上年上の相棒は、ただ『よかったなあ、これからはなんでもできるなあ』と嬉しそうに言ったのだった。そしてその上で、じゃあ、あれもしようこれもしよう、おまえんちで飲もう、取材であそこいくんだったら昼飯あそこで食おう、楽しいだろう?なあ、バニー、人生って楽しいもんだろう!……と意気揚々とバーナビーを連れ回し、いろんなものを与えてくれた。 ────人生とは存外楽しいものなのかも知れない。 自分のための楽しみを知らなかったバーナビーは虎徹に連れ回されて、なんておせっかいな、と鬱陶しく思いながらも、彼から与えられる様々なものを楽しんだ。それらを楽しむことに罪悪感を感じる必要ももうない。それでも生きるのに不器用なバーナビーは、自分では『人生の楽しみ』に手を出して上手に味わうことなどできなかっただろうけれど、半ば無理やり連れ回されることで、受動的にでもそれらを楽しむことができた。 一度箍が外れてしまえば、自分から積極的にそれらを求めることはたやすい。やたらとはめを外すようなことはなかったけれど、取材を受けた会社付近で雰囲気のよさそうな気取らないレストランを見つければ、虎徹と入ってみたいなと思ったし、街中でふと耳にした曲が虎徹の部屋で聞いたアーティストの新曲だと気付けば、CDショップに行ってそれを二つ買ってみたりもした。ワインだけではなくいくつもの種類の酒をたしなむようになり、それらにあうつまみを探していろんなデリをまわるようになった。休みの前日ともなればためらいがちに虎徹を部屋に呼んで、取り寄せた酒と発掘したデリのつまみで飲み───サカモリをした。 楽しい、と思った。つまみにこだわるあまりこれくらいなら自分でできるんじゃないかな、と料理に手を出して大失敗することも、虎徹と二人して飲みすぎてリビングの床で眠り、ガンガンと痛む頭をかかえながら目を覚ますことも、車での帰り道、唐突に『海行こうぜ海!』と無茶ぶりされて、真っ暗な海をみながら二人して寒い寒いとふるえることも、みんな楽しかった。 ────世界が違って見えた。 バーナビーにとって幸福だったのは、隣におせっかいな相棒がいたことだっただろう。彼がいなければきっと、世界はこんなに劇的には変わらなかった。当初鬱陶しいと思ったそのおせっかいが、視界が開けた今はとてもありがたい。距離感のない虎徹の接触は、少しバーナビーを戸惑わせはしたのだけれど。 その日も虎徹が夕飯を一緒に食べよう、と言うので、バーナビーの部屋で、彼の覚えたてのあやしい料理と、虎徹の炒飯と、デリで買ってきた酒のつまみになるような総菜、という無軌道なラインナップを床に並べた。 虎徹と部屋で食事をすることも多くなったからテーブルセットを買おうかと思ったけれど、彼を迎え入れるためにそんな風に準備してしまうのが気恥ずかしくて、そのまますごしている。それに、虎徹と床に並んで座って食事をするのは楽しかった。テーブルや椅子を用意してしまうと、ある程度距離ができてかしこまってしまう。そうではなくて、床に行儀悪く座って、ごく親しいものの距離感でくだらない話をするのが心地よかったのだ。 「あんときさ、俺がバーンってやって犯人ガーンとやった時にさ、バニーがシュバってまわりこんで!」 「さっぱりわかりませんよ、あなたどれだけ擬音で話すんですか!バーンじゃなくて、ハンドレッドパワーで犯人の車のドアを壊して、その勢いで犯人をつかんでシートに叩きつけて気を失わせた、でしょう?」 「ニュアンスで汲み取れよ。ニュアンスで!わっかるだろー」 「……まあわかりますけど」 その場にいたんだし、とそう思って答えたのだけれど、虎徹は違う意味に取ったらしい。にこおっと笑って、 「だろ?だろ?バディだもんな!」 と、バンバンとバーナビーの肩を何度も叩いた。部屋の段差に並んで腰掛けていた二人の距離は近く、虎徹の腕はほとんどバーナビーの肩を抱いているような状態だった。 「……痛いですよ」 さして痛くもないのにそう言って身をよじったのは、彼の笑顔があまりにも無防備でうれしそうだったからだ。バーナビーとの連携がうまくいって嬉しい、バーナビーとバディであることが嬉しい、こうして二人で飲めることが嬉しくてたまらない…と、彼は全身でそう言っている。 そのあまりのてらいのなさに、見ている方が気恥ずかしくなった。それに、嬉しいのはバーナビーも一緒だった。ジェイクを倒してからこっち、虎徹との連携がうまくいくのが気持ちよくて、彼と同じハンドレッドパワーであったことを感謝し、バディになれた幸運を喜んだ。最初こそ虎徹の性格を鬱陶しく思ったけれど、彼がそうした性格でなければ自分たちはここまでの関係にはなれなかっただろう。 仕事はやりがいがあって順調で、プライベートも充実して楽しくて、わあっと叫びだしたくなるような幸福感がバーナビーを満たしている。それもこれも虎徹が与えてくれたものだ。そしてその彼が、自分とバディでいることが嬉しいと言ってくれている。こうして二人で飲んでいるのが楽しいと、全身で言ってくれているのだ。自分の感情を素直に表せない性質のバーナビーであっても、そんな虎徹の前では、同じように嬉しいと思っていることが隠せない。 虎徹のてらいのなさがありがたくて、そしてなんというか…かわいく感じられる。かわいい?───愛しい、だろうか。とにかくその嬉しそうな顔を見ていると胸がきゅうっと締めつけられて、別に自分は嬉しくなんてないなどと意地を張っているのが馬鹿馬鹿しくなるのだ。むしろもっと喜ばせてやりたい、うれしそうな顔が見たい、と思ってしまう。 「僕も────」 自分の肩に置かれた虎徹の手をなんとなくつかみながら、バーナビーは自分の気持ちをどう表現したらいいのかわからずに、ゆっくりと言葉を紡いだ。 「僕も今日の連携、気持ちよかった…です。───あなたとバディになれてよかった」 ためらいがちにバーナビーがそう言うと、虎徹の表情がさらにパアッと明るくなった。そっか、そっかー、と大人ぶったふうでバーナビーの肩をまたバンバン叩きながら、嬉しくてたまらないという表情はまったく隠せていない。そのさまが主人にほめられて喜ぶ子犬かなにかのようで、かいぐり回してかわいがりたいような、少し意地悪をしてしょんぼりした顔も見たいような、なんともいえない気持ちに陥らせる。 (……かわいい) 胸の中をかきまわすぐちゃぐちゃな感情をひとことで現すと、ふわりと思い浮かんだその言葉に尽きる気がした。 (なんだろうこの人、なんでおじさんのくせにこんなにかわいいんだろう) そう思って虎徹を見ると、酔っ払いの屈託のなさでにっこーっと笑われてしまう。思わずバーナビーもつられたように笑った。床に並んで座ったよっぱらいが二人、にこにこと笑っている様は他に見ている人間がいれば馬鹿みたいに見えただろう。けれどその場にはバーナビーと虎徹の二人しかいなかったし、二人とも酔っ払いでしあわせな気持ちだったから問題なかった。 「わー、ちょっと酔ったかも…かも?」 にこにこと笑っていた虎徹は、んー、と小さくうなって頭をかしげた。その様がまたかわいくて、バーナビーは胸をしめつけられたようになって一瞬息ができなくなる。 それなのに、虎徹はそのまま隣に座っていたバーナビーの肩にこてん、と頭を乗せてきた。 「えっ……」 肩に落ちたぬくもりと重みに、思わずバーナビーはそちらを振り返ろうとする。けれどそうすることで虎徹の頭がずるりと肩から落ちそうになって、慌てて前を向いた。よく考えれば、ずり落ちたとしてもどうということもないはずなのだが、なんだかこの体勢を維持しなければいけない気がした。……維持したい、と思ってしまったのだ。 「こ…てつさん、あの…眠いならベッドに行きますか?」 バーナビーは自分の顔のすぐ横にある虎徹の頭に向かって、ためらいながらそう声をかけた。虎徹の髪が少し顔にかかってくすぐったい。 いままで何度か互いの部屋で酒を飲んだけれど、意識のある時はそこが自宅じゃない方は自分の家に帰って行ったし、そうでなければ床で寝てしまっていた。今日はバーナビーの家だが、虎徹の方が意識があやしいようなのでそう提案する。虎徹をベッドに寝かせて、自分はソファで寝ればいいとそう思ったのだ。 「まあだ、バニーと飲むの!こうやってぐだぐだしてんのがいーの!」 けれどバーナビーの提案に、虎徹は言葉通りぐだぐだになりながら、落とされまいとするかのようにバーナビーの肩にしがみついてきた。ほとんど抱きつくようにされて、ふれあったところから伝わる虎徹の熱と、かすかに感じる彼の吐息にカッと体が熱くなる。 「虎徹さん、あ、あの…」 「バニー、俺さあ、今日すっげーキモチいかったー」 動揺するバーナビーをよそに、虎徹は彼の肩でえへへと笑ってそう言った。酔っぱらっているせいか、その声は甘えたようなかすれ声だ。 「おまえとやんの、すごいイイ…わーってなって、カーッてなってすげえ、の……」 とろとろとした口調でそう言われて、バーナビーはカアッと顔を真っ赤にした。いつもの虎徹の、擬音だらけでわけがわからない話し方であって、そういう意味で言っているのではないのなどわかっているが、言葉だけ聞くととても卑猥な意味に聞こえる。いや、きっと卑猥に思ってしまうバーナビーがおかしいのだろう。酔っぱらっているから、その手の回線が混乱してしまっているのだ。だってこんなおじさんが、大事なバディが、かわいいどころかエロく見えるなんておかしいのだから。 「んー…ばにぃ、やっぱ眠い…」 「っ…!ほら、だから、ベッドに行きましょうベッド。あなたが使ってくれていいですから」 「んんん、まだねねーの…ちょっとだけ……」 ぐずるようにひたいを肩に押し付けられて、甘えたしぐさをやっぱりかわいいと思ってしまう。おかしい。酔ってる。まずい、と思って虎徹を揺さぶったのに、彼はバーナビーにしがみつこうとして、しかしぐずぐずと肩からずり落ちた。 「こっ……てつさん!」 「えへへー、ばにーちゃんのひざまくら!」 ずるずると体勢を崩した虎徹は、そのままバーナビーの膝の上に頭を落としてころんと横になってしまった。そしてその体勢で、得意げな顔をバーナビーに向ける。 「バニーは下から見てもイケメンだなあ」 にこにこと笑って、まるでそれが自分の手柄でもあるかのように嬉しそうに言う。バーナビーの膝に頭を乗せた虎徹はややのけぞったような体勢になっていて、顎から喉元がよく見えた。タイを緩めてボタンを二つ外したシャツの胸元から浅黒い肌が見えて、そのなめらかそうな様にバーナビーは思わずそこを数秒凝視してしまう。そしてハッとして慌てて目を逸らした。 「なんだよー!なんか言えよー」 構え、とおそらく同義語だろう言葉を吐いて、虎徹はバーナビーの髪に手をのばしてくる。指をからめて軽く引っ張られて、いたっ、と小さくつぶやくと、その指はただくしゃくしゃと髪を撫でるだけになる。皮膚にさえふれていないその指の動きに、どうしてかバーナビーはぞくぞくした。 (この人───誘ってるのか!?) いや、そんなわけがない。虎徹もバーナビーも男である。性的にフランクな種類の人間はいるが、虎徹は男を性的な対象に見る人間ではないはずだ。男女の間であれば『誘っている』とみなされるようなこんな行為でも、彼にとっては『親しい男同士ならよくあること』なのだろう。虎徹は普段からスキンシップは過多な方だ。その上酔っぱらっていて、その箍がゆるんでいるのかもしれない。 そう思って…思うことで気を散らそうとしているのに、虎徹は構ってもらえないのがつまらないのか、自分の頭を乗せたバーナビーの膝をさわさわといじりだした。 「っ…ちょっと!膝、さわらないでください!」 「えー、いいじゃんちょっとくらい……スキンシップだし。あ、なに?バニーちゃん膝くすぐったい方?」 くすぐったいんだー、とクスクス笑って膝をくすぐってくる感触に、むしろぞわぞわとおかしな感覚を覚えてバーナビーはその手をつかんだ。子犬だと思ったけれど、これは猫だ。きまぐれで無邪気で小悪魔だ。自分がかわいいことを知っているのではないかと思ってしまう。 「もういいです!あなたがどう言おうと、もう寝てもらいます!いたずらは禁止です!」 これ以上さわられるとどうにかなってしまいそうで、バーナビーはそう宣言するとすっくと立ち上がった。彼の膝から落ちた虎徹がごろんと床に転がって文句を言う。バーナビーはそれを一瞬睨んでから、息を吐いて手を伸ばした。腕をつかんで虎徹の体を起こすと、すくいあげるようにして抱き上げる。 「あはははは。お姫さま抱っこ〜。バニーちゃん力持ち!」 「だまってください。あと、暴れないで」 バーナビーの腕の中でご機嫌になって、虎徹はけらけらと笑いながら彼にしがみついてくる。酔っぱらって高くなった虎徹の体温が伝わってきてくらくらした。その上密着しているせいか、虎徹のつけている香水と体臭のあいまった匂いがして、背中がぞくりとする。 思わずぎゅっと抱き寄せてキスでもしてしまいそうな衝動をおさえこんで、バーナビーはどうにか彼を寝室へと運んだ。きちんとメイクされたベッドの上に、なかば投げ出すように虎徹の体を降ろすと、ようやく息をついてバーナビーは言う。 「じゃ、おやすみなさい、虎徹さん。あとで水持ってきますから。吐かないでくださいね?」 「え、バニーどこいくんだよ」 「僕はソファで寝ますよ。センパイにベッドは譲ります」 茶化したようにそう言うと、虎徹はベッドの上に転がってばんばんとシーツを叩きながら拗ねたように口をとがらせた。 「えーなんで、いっしょにねればいーじゃん」 「は?」 「こんなでかいんだからへーきだろ。へーき」 思わず呆れたように短く返すと、虎徹はさらにムキになったようにベッドの空いた場所をたたき、それからごろごろと転がってバーナビーの立っている方に近づく。うつぶせに寝ころがって顔を上げると、肘をついて頬杖をつきながらバーナビーを見上げてくる。 「ばにーちゃんはあ、雑魚寝とかしたことねーの。よくあるだろぉ」 「……雑魚寝ならありますよ。うちのリビングで」 「えええ、あれだけー?」 あれだけと言うがすでに何回かやってしまっている。それでもそんなことをしたのは虎徹とだけだ。学生時代でもバーナビーが通っていた所は施設が整っていて、キャンプですら雑魚寝をするようなことはなかった。 「じゃ、今日は雑魚寝しようぜ!雑魚寝!」 バーナビーの答えなどまるで聞いていないように、虎徹は彼の腕をつかんで引っ張ってしまう。ずるずるとベッドにひっぱりこまれて、困惑しながらも固辞する理由を見つけられずに、バーナビーはため息をついてケットをめくると、虎徹と自分の上にそれをかけてくるまった。バーナビーがようやくそこで寝る気になったとわかると、虎徹はえへへーと嬉しそうに笑う。 ────なんだこのかわいいおじさん。 そんな無防備にしてると犯しますよ、と心の中で思いつつ、バーナビーはどうにか眠るべく目を閉じた。……同じベッドの中に、虎徹の気配がする。 雑魚寝とは雑魚寝であって、二人でひとつのベッドに寝るのはなんだか違うのではないかという気がする。しかもこのおじさんは、『ベッドがでかいからくっつかなくてすむだろ』と言ったくせに、いつの間にかバーナビーにぴったりとくっついてくるのだ。 「ばにー……うにゃ…」 「……あなた本当に犯しますよ」 すりすりと己の胸元にすり寄って名前を呼んでくる、猫のような中年に頭の中をかきまわされながら、バーナビーはその日眠れない夜を過ごしたのだった。 next back |