La Vie en rose2 一度同じベッドで寝てしまうと、もう構わないだろうと思うようになったのか、それから虎徹はバーナビーの部屋に飲みに来ると彼のベッドで眠るようになってしまった。その上、帰らなくてすむせいで、以前より酔っ払いやすくなった。 酔って…いるのだろう。スキンシップが多くなり、バーナビーの髪をなでまわす。ひざまくらが気に入ったのか、するのもされるのもほとんど恒例行事のようになってしまった。バーナビーの膝に頭を乗せている時はまるで猫が喉を鳴らしているかのようで、えへへーと嬉しそうに笑いながら膝を撫でてくるのは本当に勘弁して欲しい。 誘ってるのか、と本気で何回も思った。そうでなければ、どうしてヘテロであるはずの自分が、ひとまわりも年上の男に劣情を感じなければならないのか。甘えた話し方や、酒に酔って濡れた目や、赤くなった首筋まで、すべてが自分をひっかける罠にしか思えない。 いっそ一緒に飲むのをやめるか、と思ったけれど、いい酒を見つければ虎徹のことを思い出したし、デリでおいしそうな新作料理があれば彼と一緒に食べたいと思った。虎徹の方から誘ってきても、そういえば近くのデリで…と話せば必然としてバーナビーの部屋で飲むことになってしまう。もともと会社からはバーナビーの部屋の方が近いせいで、彼の部屋で飲むことの方が圧倒的に多かったのだ。 そしてバーナビーの部屋で一緒に飲めば、ベッドも一緒だ。広いとはいえ虎徹は寝ながら無意識にバーナビーにくっついてきて、それを鬱陶しいと思えればいいのに、むにゃむにゃと言うだらしない寝顔をかわいいと思ってしまう。わずかに開いたくちびるや、のけぞった喉、ふれあった肌の感触がなまめかしくて、よく襲ってしまわなかった、とバーナビーは毎回自分の理性を褒めた。 これは襲ってもいいんじゃないのか?誘ってるんじゃないのか?実は虎徹の方もそれを待ってるんじゃないのか?と、すりついてくる彼を抱き留めながら、理性と欲望のはざまでバーナビーは何度か思った。 けれど理性を決壊させてしまうには、相棒といういまの位置はあまりにも大切すぎた。たかだかいっときの欲望で壊してしまってもいい関係ではないのだ。連携が決まった時のあの気持ちよさ。背中を預けあい、ヒーローとしての自負と高揚を共有できることの快感は、性的な快感にも勝る。 セックスの相手なんていくらでもいる。けれど相棒は───虎徹は一人しかいないのだ。もし誘われていると感じるのが勘違いだったりしたら、誘惑に負けて手を出せばいまの関係を壊してしまう。……本当に虎徹が誘っていると言うのなら別だが。 (誘ってる?誘ってるだろう。普通男と一つのベッドで寝ない) (くっついてなんてこない) (だけど虎徹さん…だし) (なんか猫みたいだし) そうしてバーナビーは、虎徹の態度が故意なのか天然なのか見分けがつかないまま、やきもきとした日々を送っていた。虎徹と一緒に飲めば楽しいのに、どこかもんもんとしてやりきれない。しあわせなのか、地獄なのかよくわからない。 ───そんなある日のことだった。 「えっ、ワイルドタイガーが!?」 取材された帰りに、バーナビーがヒーロー事業部とは離れている社内の一角を歩いていた時、唐突に誰かの大きな声が聞こえた。なにげなく目をやれば、外壁がガラス張りになった開けた場所に休憩所があって、そこでスーツ姿の男が二人話している。パーティションが置かれているから、男たちからはバーナビーの姿は見えないのだろう。 バーナビーは相棒の名を聞いて思わず立ち止まった。 ワイルドタイガー…虎徹の噂話だろうか。それともまさかなにかあったのか、と思ったバーナビーの耳に、次の瞬間信じられない言葉が飛び込んでくる。 「枕営業、っすか?あのタイガーが?」 バーナビーは反射的に、声をあげた男の方をパッと振り返った。男はバーナビーの気付いた様子もなく、目の前にいるもうひとりの人物の方に驚いた顔を向けている。 彼はいまなんと言った?枕営業と───そう言ったのか? 硬直するバーナビーに気付かないまま、男たちは自分たちの話だけに夢中になって先を続けた。 「えーとその…スポンサーと寝てるってことですよね?そこまでしないとだめなくらい、うちやばいんすか」 「ばっか、うちに来てからの話じゃねえよ。前のトップマグは弱小だったからさ、タイガーの賠償金払うの無理だしってんで…有名な話らしいぜ?」 もうひとりの男は相手が驚いたことが面白いらしく、得意げな笑みを浮かべてそう言った。最初に声をあげた方の男は、ありえない、という顔でへらへらと笑いながら口を歪める。 「えー、けど男だしおっさんでしょう?だって十年以上ヒーローやってるじゃないっすか。んな需要あるんすかね?」 「馬鹿、おまえ本物見たことないだろ?アイパッチしてたけど、日系みたいで実際見るとかなり若いぞ」 にやにやと笑って言う男のその声色に下卑たものを感じて、バーナビーは腹の底がカッと焼ける気がした。虎徹はたしかに年齢よりも若く見える。けれどそれは外見だけのことであって、実際は馬鹿みたいなギャグは言うし、頭は固いし、鬱陶しいほどに世話焼きで、変に熱血漢で、経験に裏打ちされた深みがあって───とにかくおじさんだ。 アイパッチ越しにちらっと見ただけの人間が何を言う、とバーナビーはパニックに陥りそうな内心で、的外れなことを思う。そんなおじさんが枕営業なんて…ありえない。賠償金のためにスポンサーと寝ていたなんて、そんなことあるはずもないのに。 「本人もわかってるっていうか、実はそっちなんじゃねえ?ほら、前のスーツ本人のこだわりだったんだろ?ずーっとあれでさ」 「ああ、わかります。その手の男にもてそう。あー、じゃあ男慣れしてるから、意識してあのスーツだったんすかね。もてる女は見せ方を心得てるっていうじゃないですか。それの男版で」 愕然とするバーナビーをよそに、男たちは楽しげにその会話を続ける。次第にその口調は下世話なものになっていく。自社のヒーローをなんだと思っているのか、それはまるで酒の席で女のことを話す口調そのものだった。 「ぴっちぴっちだもんな。さすがにスタイルいいし、見てっとちょっとやばい気分になる」 「うわ、ルイスさんワイルドタイガーに一発お願いします?」 「はっは、莫大な賠償金払ってやらなきゃだめなんだろ?俺の甲斐性じゃ無理だわ。お偉いスポンサー様にさんざんかわいがられてるタイガー様は、俺には高値の花ってね」 「男のケツってどうなんすかね?たしかにあのぴちぴちスーツの時のケツは────」 男が虎徹の尻について語り出したその先を聞きたくなくて、バーナビーは音もなくその場を離れた。怒りと不快感でどうにかなりそうだった。 虎徹が枕営業?男慣れしてる?見せ方を心得て───だから体のラインが丸見えのあの旧スーツをこだわって着ていたと? (そんなわけがない。あんな……あんなおじさんにそんな需要なんてあるわけない。莫大な賠償金を払ってまで、あの人を抱こうとする人間がいるなんて、そんなわけは───) (それに、虎徹さんがそんなことを受け入れるわけがない。金のために男に抱かれるなんて、そんなの) そう必死に否定するバーナビーの脳裏に、酔っぱらって自分にすり寄ってくる虎徹の姿が思い浮かぶ。子供のような笑顔と猫のようなしぐさ。甘えたようなそれを、相棒である自分に心を許してくれるゆえの彼の稚気だと思っていたけれど、違うのだろうか。そんな彼に欲望を覚える自分の方がおかしいのだと思っていた。汚い、と思いさえしたのだ。 けれどあの媚態が、意識されたものだったら? 意識、とまではいかずとも、男に慣れた虎徹が身につけた、男を誘う『見せる』ための媚態だとしたら?バーナビーだけが特別なのではなく、目の前にいる男だけが特別だと錯覚させる、彼一流の手管なのだとしたら──── そうだとすれば、すべてに納得がいく。同性にしては行きすぎたスキンシップ。バーナビーは雑魚寝をするような友人などいないが、それにしても虎徹のそれは近すぎるだろう。膝枕など、恋人でもなければしたりしない。 バーナビーはからかわれていたのかもしれない。人との距離感がわからない彼に、虎徹はこれが普通だという顔で近づいて、意識させて、どぎまぎするバーナビーを笑って見ていたのかも知れない。虎徹のあの甘えたさまは、男に慣れた人間が見せる計算された媚態なのだ。 「僕はそんなものに惑わされて…!」 廊下をすごい勢いで歩いていたバーナビーは、なんだかわからない怒りに支配され、思わず立ち止まってそう叫んだ。悔しかった。あんな風に虎徹のことを話す男たちに腹が立ち、同時に噂される虎徹本人にも腹が立った。なにをもんもんとしていたのか、馬鹿馬鹿しくなった。ただからかわれていただけなのに! 怒りといたたまれない恥ずかしさと、そしてその底にある痛みに支配された彼は、立ち聞きしてしまった噂を、もはや本当のことだと思い込んでしまっていた。 取材後、そのままヒーロー事業部に戻るつもりでいたが、バーナビーは自分の気を落ち着かせるために、別の休憩所に行ってコーヒーを一杯飲んでから帰った。それでもどうにも落ち着かずにあきらめて事業部に戻ると、扉を開けた途端、虎徹が振り返ってパッと笑う。 「バニー、おかえり。おつかれさん」 まるでバーナビーが戻ってきたこと自体が嬉しいと言わんばかりのその笑顔に、一瞬返す言葉につまる。バーナビーは彼らしくもなくぼそぼそと、ただいま戻りました、と口の中でつぶやいて席に着いた。虎徹はそんなバーナビーの様子に気付きもせず、そして経理の女性の冷たい視線もスルーして、にこにこと笑いながらつーっと椅子をすべらせてバーナビーの机の方に寄ってきた。 「なー、バニー。今晩空いてるか?空いてたら飲まねえ?おまえんちでさ!こないだ一緒に飲んだやつ、まだ残ってるだろ?」 間にある机のそでの所にひじを付き、バーナビーの顔をのぞきこむようにして虎徹は尋ねてくる。小首をかしげたそのしぐさに、相変わらず胸元をぎゅっとつかまれたような心地になりながらも、同時にふつふつとした苛立ちも湧いてきていた。 (…この人はこんな顔を、どれだけの男に見せたのか) 自分だけが特別だと、そう思っていたわけではない。他のヒーロー仲間達にだって虎徹はある程度ゆるんだ顔を見せる。けれどこんな風に甘えて、そしてそれが許されると思える間柄は自分だけなのだと思っていた。自分はバディで、特別で、だから─── 「……いいですよ。ただし、飲むんでしたらその書類、定時までに終わらせてくださいね?」 もやもやと胸の中にわき起こる気持ちを押し殺して、バーナビーはにっこりとほほえんでそう言った。虎徹はだっ!と叫んでから、大人しく自分のデスクに戻って書類と向き合ったのだった。 結局虎徹の書類は定時になっても終わらず、バーナビーが手伝って三十分の残業でなんとかした。その後二人で連れ立ってバーナビーの車に乗り、途中で行きつけのデリに寄って夕食とつまみを買ってバーナビーの部屋に帰った。 虎徹は、バーナビーが彼のために買い、先日も飲んでいた焼酎の残りをおいしそうに飲んだ。なんかボトルキープみたいだな!と嬉しそうにしているのは、タダ酒が飲めるからではなくバーナビーの部屋に来るのが嬉しいのだと思いたい。彼が見せる甘えた顔が一種の媚態なのだとしても、その程度には特別な位置に置いてもらっていると、そう信じたかった。 酔っぱらって上機嫌になり、また一段とべたべたとくっついてくる虎徹にいらだちを募らせながらも、バーナビーは表面上はにこやかにしていた。髪や頬にふれてくる指にぞくりとふるえ、のしかかってくる肩と近すぎる吐息の気配にはっきりと欲情した。 この体を知っている男がいる。この体は受け入れる快感を知っている。そう思うと激しい苛立ちと共に、どうしようもない欲望が募った。誰かがふれたものなのなら、自分がふれたっていいはずだ。だって自分は誰よりも彼に近い。同じ能力の持ち主で、同僚で、相棒なのだから。 彼だってそれを望んでいるのだろう。そうでなければ、同性にここまでべたべたとふれたりなんてしない。酒にうるんだ目で、嬉しそうにバーナビーをじっと見たりなんてしないはずだから。 虎徹は楽しそうに先日の出動の時のことや、二人で受けた取材のことを語り、バーナビーの背中をバンバン叩いたり眠そうに肩にしなだれかかってきつつ、くいくいと酒を空けた。虎徹は酒には強い方だが、飲みすぎるとコトンと眠り込んでしまう。今日も彼の膝を枕に寝はじめた虎徹を見下ろして、バーナビーは下腹にうずまく熱といらだちを押さえ込みながら、そっと虎徹の体を抱き上げた。 以前彼が完全につぶれてしまった時はそんな風に抱き上げて運んだが、今日はまだそれほどでもない。揺り起こしてベッドに行けと言えば自分で歩いて行っただろう。けれどバーナビーはそうせずに、しっとりと汗ばんでいる虎徹の体を自分の腕に抱いた。 「ふえ…?」 抱き上げられたことで目を覚ました虎徹が、目を開けて不思議そうにバーナビーを見る。その目はとろりとしていたが、まだ意識ははっきりとあるようだった。虎徹はバーナビーの肩を軽く押すと、いいって、と言いながら彼の腕から降りようとする。 「だーいじょぶ、バニー。ちょっと転がしといてくれればさ。後で自分でベッド行くし」 「自分もつぶれてしまってるならともかく、そうじゃないなら、自分の部屋の床で寝てしまってる人を放っておくことはできませんよ。いいからつかまってください。落ちますよ」 「バニーちゃん紳士だねえ」 ベッドに連れていってなにをしようとしているのかを押し隠し、抑揚を抑えた声で言ったバーナビーに、虎徹は呆れたようにそう言う。その声色はたしかに呆れたものではあったが、虎徹は少し嬉しそうだった。そしてへにゃりと笑って、なにげなく続ける。 「おまえのそういうとこ、俺好きよ」 「っ────!」 なにげない、本当にどうということのない言葉。酒が好きとか食べ物が好きとか、そういうものとなにも変わらないその発言。 それだけのことにカッと頬が熱くなって、そして同時に猛烈な怒りが込み上げた。彼は、誰にだって簡単にそんなことを言うのだろう。なにげない風を装って、勘違いする方が悪いのだとそう逃げ道を用意して、罠にかかる獲物を待っている。そう…バーナビーが彼の媚態にひっかかったように。 いらだちがピークに達して、バーナビーは虎徹を抱えてずかずかと寝室に入ると、彼の体を乱暴にベッドに放り投げた。うちとけてからは、そんな扱いなどしたことのないバーナビーの態度に、虎徹が驚いて顔をあげる。けれど彼が何かを言う前に、バーナビーはベッドの上に乗り上げて虎徹にのしかかった。 「え…ばに、なに…?」 ベッドの上で仰向けにされ、バーナビーにのしかかられて、虎徹はきょとんとした顔をする。 しらじらしい、と思った。そんなうぶを装って、バーナビーがおたおたしているのを楽しんで見ていたのだろうか。きっと相手にした男はひとりや二人ではないだろう。彼に手を出してもいいとなれば、いくらでも金を積む人間はいたはずだ。 彼を抱いた人間はどんな男たちだっただろうか。金に飽かせてヒーローを買うような下卑た人間。男をさいなむ性癖を持った、金で肥え太ったぶよぶよの男。あるいは女に飽きて、虎徹のような引き締まった体ときっときつく締めつけくる尻に夢中になった男。それとも、ヒーローという力強い存在を金で征服したいと考えるゲスな輩。 虎徹はその男たちにどんな風に抱かれたのだろう。嫌悪しただろうか。泣いて嫌がっただろうか。───いや、そんなことはないのだろう。彼が納得していなければ、そんな行為はありえないのだ。 もしかしたら、虎徹はむしろ抱かれるのが好きなのかも知れない。彼はヘテロだと思っていたが、亡くなった妻に操を立てている気配のある彼が女を抱くようには思えない。それでも彼もまだ枯れるには早い年齢だ。性的な欲求だってあるだろう。そんな時枕営業の話が出て、いい機会だったのかも知れない。 妻が死んでから女を抱くことがなかった虎徹は、受け入れる快感を覚えてそれに溺れていったのだろうか。こんな風に相棒にまで媚態をふりまいて誘いをかけるほど、男に慣れていったのだろうか。 「ちょっ…バニー、どこさわってんだ。え…くすぐってえって。うわっ…はは、ごめんごめんって。なに」 ベッドに押し倒し、のしかかりながらシャツ越しに肌をなぞると、虎徹は笑いながらバーナビーの手をつかまえようとする。その手を逆につかまえてシーツに押し付けながら、バーナビーはごまかしを許さすに低い声で言った。 「茶化してごまかさないでください。いつもべたべたとくっついてきて…そういうつもりだったんでしょう?」 バーナビーの言葉に、虎徹はきょとんとした顔で見上げてくる。その、なにも知りません、とでも言うような表情にますますいらだちが募った。ここまで来てまだうぶをよそおうのか。ずっとバーナビーを弄んできたのだ。その気がなかったなんて言わせない。どちらにせよ、バーナビーはもうやめるつもりなどなかった。絶対に今日、彼を自分のものにする。彼の意図がわからずに、ずっと我慢してきたのだ。それが意図的なものだと知った今、もう我慢などする気はない。 「普通は男同士であんなにべたべたしたりしません。あんなにくっついてきて…あなたも僕にさわられたかったんでしょう?ずっと気付かなくてすみません。今日はあなたの望みをかなえてあげますよ」 そう言って低く笑うと、見下ろしていた虎徹の目が見開かれた。笑みが消えて真顔になった彼を見て、ようやく認める気になったかとバーナビーはまた笑う。もう逃がさない。ずっとふれたかった。キスをしたかった。くたりと安心したように自分に預けられる体を、何度思い切り抱きしめたいと思ったことだろうか。 もうこらえたりしない、とそう思って、バーナビーはゆっくりと虎徹に顔を近づけて、指先でそのくちびるをなぞる。想像よりもやわらかい、けれど少し荒れたくちびる。その感触にたまらなくなって、バーナビーは眼鏡を外して放り投げるようにサイドボードに置くと、そっと彼にキスをした。 「バっ……ん───」 バーナビーの名前を呼びかけた声が、ふれあった唇の中にかき消える。そのせいで開いているくちびるの中に舌を押し込んだ。シーツに押し付けた虎徹の腕がびくんっとふるえる。バーナビーはちゅっ、と音をたててそのくちびるを吸った。やわらかくて熱いくちびる。拗ねた時にいつもかわいらしく尖るそれに、キスしたいと何度も思った。いまそれに自分のくちびるがふれている。その事実にぞくぞくした。バーナビーはいま、虎徹にキスしているのだ。 「応えてくれないんですか?」 舌を絡めても怯えたようにすくんでいる虎徹に焦れて、バーナビーは吐息のような声でそう問うた。そっと片手で頬と髪をなでると、虎徹は惑うような瞳をバーナビーに向ける。 「だ……俺…」 顔を離して改めて見下ろすと、虎徹はとても困惑した顔をしていた。その表情にバーナビーは軽いおそれをいだく。もしかして虎徹は、バーナビーとそうした関係を持つつもりはなかったのかもしれない。自分に惑わされる彼を面白がってふりまわしはしても、バーナビーが行動に移すとは思っていなかったのかも知れない。 だとしたら今しているこの行為は、バーナビーがおそれていた『バディとしての関係を壊す行為』なのだろうか。けれどだとしても、もう止まれなかった。バーナビーは虎徹に対していだいている、自分の欲望を示して見せてしまった。そのことはもう取り消すことはできないのだから。 「虎徹さん……」 「っ───!」 バーナビーは彼を強くかきいだくと、今度は呼吸を奪うほど激しくキスをした。もうごまかしはきかない。明らかに性的な匂いを含んだキス。シャツ越しに密着した肌は熱を持っていて、バーナビーは抱きしめた手で虎徹の背中をなぞる。 「んっ…」 強く抱きしめて腕の中の体がくたりとなったところで、すくんでいた虎徹の舌に己のそれを絡めると、おそるおそる、というように彼が応えてきた。たったそれだけのことに、バーナビーは下肢がずくんっと脈打つような快感を覚える。自分に応えてくれた。酔いに流されたようなしぐさだったけれど、少なくとも彼はバーナビーを嫌がってはいない。 そのことに勢いを得て、バーナビーはキスの角度を変えながら、さりげなく虎徹のシャツのボタンを外し、少しずつ彼の服を脱がせていった。 ずっとふれたかった体だ。いつもベッドの中で衣服越しに抱きしめて、今すぐ服をひきはがしていじりまわし、啼かせてやりたいと思った体。本当ならじっくりと全身にくまなくふれて、確かめたいと思う。けれどそう思うと同時に、一刻も早く彼を自分のものにしてしまいたいと強く思った。 すぐにでも虎徹の中に入り込んで、自分を刻みつけたい。この体の上を通った男の痕跡なんて全部吹き飛ばすように、自分という存在を強く焼き付けたい、とそう焦げ付くように思った。 「は……」 蹂躙するようにキスをしてようやくくちびるを離した頃、バーナビーはすでに、虎徹のシャツのボタンをすべて外して大きくはだけさせ、ベルトもゆるめてスラックスの前を開いていた。さらに引きずり降ろすように虎徹の下肢の衣服を脱がせると、自分も手早く服を脱ぐ。 「バニー、それ……」 ここに来てまだ状況がわかっていないふりをした虎徹が、おののいたようにバーナビーの下肢を見る。そこはすでに反応してゆるく勃ちあがっていた。 それ、と言われて目を見開いて凝視されると、さすがに羞恥心が湧いてくる。過去の誰かのものと比べられているのだろうか。バーナビーのものは普通かやや大きいくらいだと思うが、勃ちあがった時の他人のそれと比べたことがあるわけではない。 勃起した同性の性器など、普通の男ならそうそう見ることはないだろう。そう…何人もの男とセックスしたことがある人間でもなければ。 バーナビーはちっ、と舌打ちして、虎徹の視界からそれを隠すように彼にのしかかった。虎徹はその時初めて自分が服を脱がされていることに気付いたように、ハッとしてあわあわとシーツの上を探る。バーナビーはそんなしぐさには構わず、虎徹の裸の脚に手をかけて、ぐっとそれを開いた。 「ちょっ…!」 「ローションとか持ってますか?」 もがく虎徹の抵抗を無理やり押さえ込んで、バーナビーは低い声で短く問うた。視線を落とせば、虎徹の綺麗に筋肉がついた腹部と、押し広げられてあらわになった脚の内側、そしていやらしい黒い陰毛と性器が見える。同性のそんなものに自分が興奮するなんて思いもしなかったが、いまバーナビーはまったく冷静ではいられないほど欲情している。うろたえて、きっと慣れているだろう虎徹に醜態をさらしてしまいそうで、ひどく気がせいた。 だと言うのに、この上虎徹は素知らぬ顔で問い掛けてくる。 「えっ?ろ、ローション?」 「最近はなかったんですか?」 男に慣れているのなら、普通の男がコンドームのひとつも常備しているように、使いきりのローションくらい持っているかと思ったけれど、そうでもないらしい。バーナビーとしょっちゅう会って色目を見せるくらいだから、ここのところはそうしたことはしていなかったのかもしれない。少しほっとしつつも、どうしたものかなとバーナビーは少し考えた。 「ないってなにが…?てか、なあ…なんで脱がしたの。なにこの格好…」 「じゃあ、これ…ボディクリームですけど、ないよりいいでしょう」 おろおろと何ごとかを言っている虎徹を無視して、バーナビーはサイドボードの引き出しを開けると、そこからチューブに入ったクリームを取り出した。薔薇の香りのそれを無造作に手に絞り出し、急いたしぐさで虎徹の脚の間に指を差し入れる。 「ひっ……!」 冷たかったのか、虎徹の体がびくんっとふるえた。バーナビーは、あたためるように少しだけ入口でくるくると指を動かしてから、ぷつり、と中に指を挿入する。そこはひどく熱く、そして狭かった。こんな小さな尻で男を受け入れていたのかと不思議な気持ちになって、思わず逆の手で尻の膨らみをなぞった。 「なんっ…!ど、どこに───気持ち悪い。バニー、気持ち悪いって!やめっ…さわんな!」 「こうじゃないほうがいいですか?こっち?」 「ひあっ……!ほうこう、とかじゃなくて…ちがっ、あっ、なん…指増えてっ!やめろってバニー、んなとこ…!」 「……僕は初心者なんです。多少我慢してください」 どうしたら虎徹を満足させられるのかわからずに、眉を寄せてバーナビーはそう言った。気持ち悪いと言われても、バーナビーは男を抱いたことなどないのだから、どうすれば気持ちいいのかなどわからない。なだめるように深いところをぐじゅぐじゅといじると、ますます嫌がられて少し傷ついた。 「我慢───がまんってなに…なんで、こんな……っ!」 そう言う虎徹の顔は半分泣きそうだった。けれど、うるんだ瞳はかえってバーナビーの劣情を煽り、そして口ではどう言っても虎徹は本気でバーナビーを拒絶していない。虎徹が本気であらがえば、バーナビーといえど彼を押さえ込むのは難しいのだから。 この拒絶は形だけのものだ。少し拒んでみた方が、男はその気になるとわかっているのかもしれない。あくまでもうぶを装うのは、彼を抱いてきた男たちの趣味だろうか。たしかに、『ヒーローワイルドタイガー』が、こんな風に怯えた様を見せるのは嗜虐心をそそる。もっと泣かせて、我を忘れさせたい。自分を刻み込んで、征服し尽くしてやりたい、とそう思わせる。 バーナビーはその衝動のままに、もう虎徹を気持ちよくしてやるのはあきらめて指を抜くと、ぐいっと彼の脚を抱え上げた。 「わあっ…!」 腰を浮かせて脚を広げさせられた虎徹は、下肢の全部をバーナビーの視界にさらしている。クリームに濡れてひくつく後孔を見てバーナビーはごくりと息を飲むと、ふれてもいないのにすでに硬く勃起している己のものを宛てがった。 「ひっ───!な、バニー…なにすんの?」 「なにって……見ればわかるでしょう」 入口に熱を押し当てると、虎徹は目を見開いて信じられないという顔でバーナビーを凝視する。まさかここまで来て拒む気かと、いらだってバーナビーは短くそう答えた。その怒気に押されたように、うろたえた口調で虎徹がさらに問い掛けてくる。 「それ、いれんの?俺ん中…に?なあ、それってセックスするってこと?───おまえ俺とセックスしてえの?」 「そうですよ。いまさらなにを言ってるんです」 「えっ……!だって俺男だし───おまえいいの?」 バーナビーがあっさりと答えると、虎徹は驚いた顔でそう問い掛けてくる。つまり彼は、バーナビーがヘテロだと思って遠慮していたということだろうか。いくら彼が男を誘うことに慣れていたとしても、ヘテロに手を出すのは気まずかったのかも知れない。けれどバーナビーの方から誘いに乗って手を出してきて、驚いたのだろう。 そう理解して少しほっとすると、バーナビーは虎徹を安心させるようにほほえみ、彼の目を見つめてささやいた。 「いいに決まってます。……僕は、あなたが欲しい」 「───そ、なの…」 バーナビーの笑みを見上げて、安心したように、けれどまだ困ったように、虎徹の眉がへにょりと下がった。どうしてそんなに子供っぽい表情なのに、たまらなく色っぽいのかよくわからない。どろどろにしてやりたい。泣かせたい。先ほどからぐるぐると腹の中を渦巻いている感情が限界になって、バーナビーはぐっと腰を揺らした。 「ちょっときつい気がしますけど、いいですよね?」 まだそこは固く閉じていてほぐし足りない気がするけれど、虎徹は慣れてるのだろうし、多少の無理はどうにかなるだろう、とそう判断して、バーナビーは押し当てた自分のものを虎徹の中に侵入させる。 「えっ、ばに……バニーっ…!」 軽くカリのあたりを潜り込ませると、虎徹が目を見開いてびくんっと体を跳ねさせた。またごちゃごちゃと拒まれてはたまらないと思って、バーナビーは彼が何ごとかを言う前に、ズズッとひといきに体を進める。 「いっ───あああああっ!」 「き…つ……」 バーナビーを半ばまで受け入れたそこはきゅうきゅうと閉じて狭く、入れている方もひどい痛みを感じた。無理に突き入れようとしても、虎徹の体はバーナビーを拒んで受け入れない。 「はっ…ばにっ……あああっ、バニーッ!」 ほとんど泣き叫ぶようにして虎徹が声をあげる。必死な声色はもはや悲鳴で、バーナビーの劣情を煽るためのものとはとても思えない。虎徹はしゃにむに手をあげてバーナビーの体を押し返そうとするけれど、まともに目も見えていないのか、その手はバーナビーの腕や肩をかすめるだけで、うまくふれることすらできていなかった。 「ちょっと…力抜いてください。僕も痛いです」 「だ…や、むり…痛い───痛いっ…!」 はひはひと獣のように肩で呼吸しながら、もはや隠しようもなくぼろぼろと泣いている目をバーナビーに向けて、虎徹はうめき声をもらす。その顔は真っ青になっているうえ、バーナビーに組み敷かれている体はガクガクとふるえていて、男に慣れている者の反応にはまったく見えなかった。それに、このあまりにも狭い場所が、過去とはいえ何人もの男を咥えこんだことがあるようには思えない。 (まさか────) 真っ青な顔で泣いている虎徹を見下ろして、それ以上腰を進めることも引くこともできずに、バーナビーは硬直する。けれど動かなくても押し拡げられた場所から激痛が広がるのか、虎徹はすがるように彼に手を伸ばして訴えた。 「痛っ…痛い、ばにい、やめっ…ぬいてっ…ひっ────!」 「あなた、もしかして初めてなんですか…?」 あまりにも必死なそのさまに、バーナビーはおそるおそるそう尋ねた。尋ねる前から答えはわかっている気がしたが、聞かずにはいられなかったのだ。 「こんなっ…の、あるわけな……痛っ…!」 うめくようにそう答えられて、思わずびくりと腰を揺らしてしまう。そのわずかな動きに反応して、虎徹はまたぼろぼろと涙をこぼした。ぐちゃぐちゃになったその顔は、あまりにも無残で痛々しかった。 「────すみません」 「ひあっ…!」 低い声で謝って、なんとかゆっくりと腰を引く。ぎゅうぎゅうと狭い虎徹の内側は、出て行くその動きにさえ反応してふるえていた。カリのところがゴリッと引っかかると、虎徹は痛みを逃がすようにぎゅっと目を閉じてシーツをつかんだ。 「虎徹さん、すみません、ごめんなさい。僕…僕は───」 シーツの上でぐったりと力を失っている虎徹を見下ろし、その先を続けられずに、バーナビーは絶句して慌ててベッドから跳ね起きた。この後に及んでまだ勃起したままのものが動きを邪魔したが、後ろも振り返らずに部屋を出てバスルームに向かう。自分のしたことが恐ろしくて、だけどこのままでは自分の中の凶暴な獣がまた虎徹を襲ってしまいそうで、慌てて彼から逃げ出したのだ。 シャワーブースに飛び込んでパネルを操作すれば、ざあっと適温の湯がシャワーからこぼれおちたが、バーナビーはさらにパネルをいじって水温を下げた。頭上から降り注ぐ冷水を浴びながら、バーナビーは混乱する頭の中を落ち着かせて、なんとか今起きたことを理解しようとする。 虎徹はあきらかに初めてだった……彼は男と寝たことなどないのだ。後ろが初めてだったというだけではない。冷静に考えれば、彼の反応はまったくに男に慣れてなどいないもののそれだった。自分が男に…バーナビーに欲望をいだかれているなどとはまるで思ってもいなくて、最後の段階までなにをされようとしているのか理解していなかった。 枕営業の事実などないのだろう。バーナビーが立ち聞いたあの噂話は、『らしい』『のようだ』とすべてが憶測でなされていて、なにも確定的な話ではない。あの男たちは聞きかじった噂話から、自分が勝手にたてた予想を話していたにすぎない。もともと聞いたというその噂話自体も、予想からなる作り話だという可能性もある。 バーナビーはただの噂話を誤解してしまったのだ。虎徹がそんなことをするはずがないのに…自分でもそう思ったのに、彼のしぐさひとつ笑みひとつに翻弄されて、ずっと我慢を重ねていたために、歪んだ受け取り方をしてしまった。バーナビーは彼を抱きたいという欲望に、理由を見つけてしまったのだ。 「どうしよう…どうしたら───」 壊したくない関係だった。大切で大切で、だからどれだけ欲望が募っても、いままで手を出すことなどできずに我慢してきた。それだというのに、バーナビーは今夜欲望のままに虎徹を襲ったのだ。セックスと呼べるような行為ではないが、バーナビーは自身を無理やり虎徹の中に挿入した。レイプしたと言っていい。 取り返しのつかないことをしたと思う。彼に申し訳ないと思う。けれどバーナビーは、虎徹が男は初めてだと知って、じわじわと歓喜がわき起こるのを感じていた。彼は枕営業なんてしていない。金のために男の欲望に奉仕したりなんてしていない。誰にも───抱かれていない。 「虎徹さん…虎徹さん────こてつさん…」 冷たい水を浴びながら、さきほど虎徹が見せた泣き顔を思い浮かべて、バーナビーは自分をなぐさめた。そんなものに欲望を募らせるなんてひどい男だと思いながら、それでもあふれてくる情欲を、彼は抑えることなどできなかったのだ。 バーナビーがバスルームをでたのは、ずいぶんと時間が経ってからだった。シャワーの中で欲望を解放し、肩や背中がすっかり冷え切ってガタガタとふるえだしそうになってから初めて、バーナビーはシャワーを止めた。 寝室に戻ることは恐ろしかったけれど、虎徹をそのまま放置するわけにもいかない。バーナビーは彼に乱暴を働いたのだ。その責任をとって、せめて後始末と介抱だけはしたい。罵られて憎悪されても、それを受け止めなければならないだろう。 バーナビーが恐る恐る寝室に入っていくと、虎徹は彼が出ていった時のままぐったりと横になって、すうすうと寝息をたてていた。そのことに少しだけほっとして、バーナビーはその顔をのぞきこむ。自分を守るように丸くなった虎徹の目元に涙の跡を見つけて、そっと指先でそれをぬぐった。 「虎徹さん、ごめんなさい…」 そうささやいて、バーナビーは手にしていたタオルで虎徹の体を清めた。バーナビーが腕や脚を持ちあげても、彼が乱暴して傷ついた場所までぬぐっても、虎徹は目を覚まさなかった。眠っているというよりは意識を失っている彼にパジャマを着せてやると、バーナビーは自分もベッドにあがってそっと彼を腕の中に抱きしめた。いままでにも何度もしたことだ。眠っている彼を抱きしめて、バーナビーはいつもわき起こる欲望をこらえていた。 ふれた体は熱かったが、今日はそんな気持ちは起こらない。青ざめてぐったりとした虎徹のさまに、ただ胸が締めつけられた。 身を切るような罪悪感が湧き上がる。けれどそれと同時に、彼が初めてだったという事実に感じるじわじわとした歓喜に、バーナビーはいままで自分がいだいていたもやもやとした感情の意味を知った。腕の中に抱いたその人が大切で大切でたまらないというその思い。関係を壊したくなくて、だけど奪いたくて、かわいくて欲しくて胸が苦しくなる気持ち。 「虎徹さん…好きです」 腕の中の体をそっと抱きしめなおして、意識のない虎徹の耳元でバーナビーはささやいた。それを口にするだけで胸がふるえた。苦しくて吐き出したくなるのに、声に出せばますます苦しくなるその言葉。 「あなたが───好きです」 取り返しのつかない誤解の末に、バーナビーはようやく自分のその感情に気付いたのだった。 next back |