La Vie en rose3






 虎徹がバーナビーを『かわいいなあ』としみじみ思うようになったのはいつの頃だっただろうか。生意気で、ヒーローとしての情熱も感じられなくて、ベテランの自分をたてることもしない気が合わない相棒。ハンサムで有能で欠点なんてどこにもないように見えて…それでいてどこかさみしそうな影がある。自分に自信があるくせに、けして自分が好きではない。自分を大事にしていない。
 それに気付いた時から、虎徹は彼をかまわずにいられなくなった。親を殺されていると知ってからはなおのことだ。いやがられてもしつこく声をかけて、おまえの体や心ことを気にかけている人間がいるのだと教えた。作られた『バーナビー・ブルックスJr.』ではない、生身のおまえを大事にしたい人間がいるのだと、そう行動で示してみせた。そしておそるおそる警戒を解きはじめたバーナビーを、虎徹はかいぐりまわして構い倒すような真似をした。
 そして、虎徹がバーナビーを『いい男になったなあ』と思うようになったのはいつのことだっただろうか。
 次第に距離が近づいていく過程を経て、ジェイクが現れて仲たがいをし、けれどあの戦いを越えることでまた二人の距離はいっそう近づいたと思う。怪我から復帰してバディとして改めて立った時、その位置は互いの背を預けあうそこで定着した。同じ能力で同じだけのパワーで、お互いにお互いを信じて、けれど譲れないところは譲らないで…きっとそれは相棒として最高の状態だっただろう。
 二人の連携はどんどんうまくいくようになり、時には叫び出したくなるような心地よい快挙を生んだ。相棒でライバルでかわいい後輩で、だけど自分とは違う特性を持った頭のいい頼りになる男で───たまらなかった。お互いに足りないところを埋めあうような、ぴったりと噛みあった関係。そしてジェイクを倒すことによって悲願を達成したバーナビーは、はらりと皮を脱ぎ落としたようにあざやかに様変わりした。
 どこかいつもただよっていたピリピリした空気がなくなり、身近な人間の前では自分を装うことがなくなった。以前のバーナビーは自分が若く経験がないという事実を受け入れず、背伸びしていることがあったが、そうした無理をしている感じも、もはやない。できないことはできない。できるように努力をすればいい、と開き直ったような潔さが身に付いた。
 バーナビーは人間的に成長した。そして、とてもいい男になったと思うのだ。彼の美貌は、人形みたいな雄の匂いのしないうつくしさではなく、人間の男という獣の持つうつくしさに変化した。それは男女問わず人の心を打つうつくしさだ。
 人前ではいつもキメキメで、まあかっこいいのだけど、それよりも気を抜いている時のふとした顔が男くさくなって、たまにドキリとする。こういう顔を女性に見せれば、彼のつくられた外側だけではなく、中身から全部本気で愛してくれる人も見つかるだろう、と思うのだけれど、バーナビーは外でそんな顔を見せることはなかった。相変わらず対外的には金細工みたいなきらっきらの王子様だ。
「僕、そんなに雰囲気違いますか?」
 一度それを指摘すると、バーナビーは困ったように笑って、自覚はないとそう言ったのだった。ある程度キャラを作っていることは確かだが、ファン相手ではない仕事の場面などで、最近はそれほど作った顔を見せているつもりはないと。
「えー、そりゃ前よりはだいぶ素を見せるようになったけどさ、俺の前とかとは全然違うぜ?なんつーかもっとさ、人間くさいって言うか……雄っぽい?」
「雄っぽいってなんなんですか。そもそも僕は男です」
「あー、だからなんだ…獣っぽい?」
「獣っぽいって……あなたお得意の『バニーちゃん』ですか?言っておきますけど僕はバニーじゃありませんからね。もういちいち言いませんけど!」
「ちげーって!バニーじゃなくてさ、もっとこう…なんだ、その…かっこいい、の?」
 話の流れから自分の思っていることを説明しようとして、語彙のない虎徹は最終的にそんな恥ずかしいことを言うハメになった。同性の後輩に対してそんなことを思っているなんて、恥ずかしくていたたまれないが、集約するとそういうことになるのだから仕方がない。
 バーナビーはそんな虎徹の言葉に少し赤くなって、それはありがとうございます、とつぶやいてから、しばし考えてまた口を開いた。
「それは普段が素じゃないわけじゃなくて、虎徹さんといる時の僕が特別なんじゃないですか。他の人の前でそんな風にはならないですよ。別に作ってるとかではなくて」
「え、そうなの?」
「そうですよ」
 バーナビーがさらりと答えてその話は終わったのだけれど、虎徹は彼が言ったその時の言葉が嬉しくて仕方がなかった。
 この、ハンサムでむかつくけど、実はさみしがりでかわいくて、意外にまっすぐで純真な愛しい後輩の、特別な存在になれたなら嬉しい。復讐を果たして目の前が開けた彼は世界が広がったけれど、いろんなものを知ってふれて、それでも虎徹を特別に思ってくれるなんてなんて幸せなことなのだろうか。
 本当は、バーナビーのそう多くはないプライベートな時間を、相棒である自分が独占するのはよくないことなのかもしれないが、誘えばうなずいてくれる、そしてことあるごとに誘ってくれるのが嬉しくて、虎徹はしょっちゅうバーナビーと飲んだりして一緒の時間を過ごした。
 バーナビーがかわいくて仕方がなかった。そしてどこかで、いい男に成長していっている彼を独占している愉悦を感じていた。バーナビーだって自分を慕ってくれている。そろそろ落ち着いて恋人のひとりも欲しい時期かも知れないが、各所で出会う女性達より自分と過ごすことを選んでくれている。虎徹が少しは遠慮すべきだとは思わなくもなかったけれど、男同士の時間だって気楽で楽しくていいじゃないか、とも思う。バーナビーはそういう時間も持たずに来たのだから、あと少しこのままでいてもいいだろう、とそう自分に言い訳していた。
 バーナビーと過ごす時間は楽しかった。多くはバーナビーの部屋で一緒に飲んで、くだらない話をして、ささいな口喧嘩をして…二人して床に転がって朝を迎えたりした。べれべれになりながら、こてつさんといるとたのしいれす、と言うバーナビーがかわいくて、髪を撫でまわしてくしゃくしゃにしてやったりもした。
 楽しかった。楽しくて嬉しくて、それでいいと思っていた。こんな日がずっと続いていくのだと、そう思い込んでいた。
……けれど。
「───そういうつもりだったんでしょう?」
 ある日酔っぱらって床で眠り込んでいるところを、バーナビーがベッドまで運んでくれて、ふわふわといい気持ちでいたらなぜかキスをされた。驚きつつも酔っ払いの思考のなさで心地よさに浸っていたら、いつの間にか服を脱がされていた。
 そしてそこに来てようやく事態を把握してもがく虎徹に、バーナビーは言ったのだ。
「普通は男同士であんなにべたべたしたりしません。あんなにくっついてきて…あなたも僕にさわられたかったんでしょう?ずっと気付かなくてすみません。今日はあなたの望みをかなえてあげますよ」
 と。
 衝撃だった。
 バーナビーが自分にふれようとしていることではない。彼がずっと自分にふれたいと思っていたということだけではない。彼がしたその指摘…自分もバーナビーにさわられたかったのだろう、というその予測が虎徹に激しい衝撃をもたらした。
 虎徹はオリエンタルにしてはスキンシップが多い方だ。
 気を許すとすぐ頭を撫でたり肩を組んだりするし、キスはしないが男同士でのハグにも特に抵抗はない。
 それでも考えてみれば確かに、たとえばアントニオに対してここまでべたべたしたりしない。いくら広かったとしても、あの巨体と同じベッドで寝るなんてことも考えられない。他の野郎でも同じだった。雑魚寝ならばともかく、ベッドを共にするなんてことは考えられなかった。
 バーナビーの指摘に、虎徹はそうか、と納得した。自分はバーナビーだからさわりたかった。くっつきたかった。それを許されることを心地よく感じていた。そしてバーナビーが指摘した通りに、彼にふれられたかったのかもしれない。
 そしてバーナビーが虎徹にふれようとしている今、彼が自分を欲しがってくれているという事実に喜びを感じた。自分だけじゃない。バーナビーもふれあいたいと思ってくれている。彼がしようとしていることは虎徹の想定外のことだったけれど、それでもいやだとは思えなかった。むしろ自分にそこまでしたいと思ってくれることが嬉しかった。
(ああ、なんだ。俺……バニーが好きなのか)
 その思いは、すとんと虎徹の中に落ちてきた。
 バーナビーがかわいくて、愛しくて、一緒にいることが楽しくて、彼を独占していることが嬉しくて……それはすべてひとつの答えをさしていた。自分はバーナビーが好きなのだ。そして自分にふれようとしているバーナビーも───自分を好きでいてくれるのだろうか。
 それならなんでもよかった。バーナビーが欲しがってくれるなら、なんでも差し出そうと思った。男となんてやったこともないけれど、バーナビーがしたいというのならそれを受け入れよう。バーナビーの欲望を受け入れてやろうと、そう思った。
(なんでもいいよ、なんでもするよ)
(おまえが欲しがってくれるなら)
(おまえがさわってくれるなら)
 けれどその後はさんざんだった。バーナビーが自分なんかを欲しがってくれるならいいか、と一瞬そう思ったはずだったのに、虎徹の体はどうしても彼を受け入れられずに拒んでしまう。
 痛くて痛くて、怪我ならば耐えられるのにその痛みにはどうしても耐えられなくて、みっともなく泣きながら暴れて叫んだ気がする。その時のことは後から思い出してもよくはわからないが、バーナビーはそんな虎徹に対してものすごくうろたえていたようだ。
 うなるような声で、初めてなのか、と聞かれた気がする。なんのことだと思った。男とやったことがあるはずもない。男とどころか女とだって友恵以外とは───いや、それはどうでもよくて、ともかく虎徹は男を受け入れるのはバーナビーが初めてだった。たいして慣らされも高められてもいない体は、ふくらんだバーナビーの欲望を受け入れることはできなかったのだ。
 青ざめた虎徹を見て、さすがにバーナビーは行為を中断してくれた。けれど抜かれる動作さえ痛くて、虎徹はいつの間にか気を失っていたようだった。朦朧とした意識の中でバーナビーが部屋を出ていくのを見た気がしたけれど、目を覚ますと虎徹はパジャマを身につけて、背後からバーナビーに抱きしめられていた。もしかしてあれは夢だったのか、と一瞬思ったけれど、身じろぎした瞬間に感じた激痛に、夢ではないのだと実感する。
「……バニー?」
 小さな声で呼びかけて後ろを振り返ると、バーナビーは虎徹の首筋に顔をうずめるようにして、静かに眠っていた。吐息の音さえ聞こえないその寝顔は眉間にしわが寄っていて、とてもやすらかなものには思えない。
 どうしたんだ、と思ってそのひたいに手をやろうとしたけれど、起こしてしまうのではないかと思って躊躇した。
 いまバーナビーが目を覚ましたとして、どんな顔をしていいかわからない。最後までさせてやれなくてごめんな、と謝ればいいのか、それとも自分もバーナビーのことが好きだと言えばいいのか、いやその前にどういうつもりだったのか、とちゃんと問いただせばいいのか……
 どうしたらいいのかわからなくて、虎徹はうろたえてそっとバーナビーの腕の中から抜け出た。夜が明けはじめて少し明るくなった部屋の中を見回して、きちんとたたんで置いてある自分の服を見つける。バーナビーが着せてくれたのだろうパジャマを脱いで服を着ると、あろうことか虎徹はバーナビーの部屋から飛び出してしまった。
 自分で処理し切れないことが起きると逃げ出してしまうのは虎徹の悪いところだったが、それでもその困惑はその時しあわせなものだった。恥ずかしくてどうしたらいいのかわからない、というだけで、バーナビーが自分を欲しがってくれていたという事実に、虎徹はその時ただ浮かれていたのだった。







 バーナビーはその日、朝から撮影の仕事だった。始業時間より早い時間での現場直行だったから、会社で虎徹と会うことはなかった。虎徹はそのことに少しほっとしていた。いつまでも先延ばしにできるものでもないが、どうにも気恥ずかしくて、顔を合わせるのはもう少し後にしたかったのだ。
 直接会うのはまだだったけれど、バーナビーが目を覚ましたとおぼしき時間から、虎徹の携帯には彼からのメールと着信が何度も入っていた。どう反応していいのかわからずに、虎徹はそれを無視してしまっている。恐る恐るメールを見ていると、そこにはしつこいほどの謝罪と、虎徹の体調を気づかう言葉があふれていた。
 そのことに虎徹は、ふんわりとした気持ちになる。途中で行為を中断させられて、男として消化不良になるのがよくわかるのに、とにかく虎徹のことを気づかってくれるその気持ちが嬉しかった。どういうつもりだったのか、と考えれば混乱したけれど、男が男にキスしてその先までしようとしたのだ。それにバーナビーは虎徹が欲しいと言ってくれた。だからつまり───きっとそういうことなのだ。
「俺たち恋人…になっちゃうのかな」
 会社の己のデスクに座って、バーナビーのいない隣のデスクを見つめて虎徹はぼそりと言った。口にした途端かあっと頬が熱くなって、思わずじたばたしてしまう。ちなみに経理の女性は書類をどこかに届けに行っていて不在である。
 あのバーナビーと恋人!あのきらきらで、シュテルンビルトじゅうの若い女性が恋人になりたいと思っている王子様と、自分みたいなおじさんが恋人!
 冗談のような話だったし、そんなことは許されないとも思う。バーナビーは自分のようなおじさんではなく、若い女性とつきあって、彼がいままで持てなかった家庭というものを築いていくべきだとも思う。
 だけどバーナビーが自分でいいというのなら…彼が欲しがってくれるなら、虎徹は彼と恋人になりたいと思う。誰よりも近くにいて、いつでも彼にふれられて、愛してやることを許される存在。仕事中だけではなく、バーナビーのプライベートの時間まで、全部独占しても許される立場に。
 だってかわいいのだ。そしていい男なのだ。相棒で一番近くにいて、コンビとしての連携も最高に気持ちよくて、虎徹のフォローもしてくれて、だけど虎徹が助けてやる部分もあって。根はさみしがり屋で、虎徹の前でだけ特別な顔を見せる。
 そんな彼が自分を欲しがってくれていたなんて、それは嬉しくて嬉しくて仕方がない事実だった。デスクに座って書類仕事をしなければいけないのに、にやにやと笑ってまったく仕事がすすまないくらいだ。
 本当はいつものことなのだが、そう言い訳をして虎徹が思う存分幸福感に浸っていると、経理の女性が戻ってきてにやにやと笑っているところを目撃されてしまった。彼女は表情を変えずに数秒沈黙し、それから平坦な声で彼に告げた。
「ロイズさんが呼んでるよ」
「え…ロイズさん?……はあーい」
 間延びした返事に女性はなにか言いたげな顔をしていたが、虎徹は構わずに立ち上がってロイズの部屋に向かった。特に呼ばれるようなことはないはずだが、またなにか叱られるのだろうか。ここのところはバーナビーのアシストに徹しているせいもあって、物を破壊する比率も格段に下がっている。
 なんだろうな、と思いつつロイズの執務室に入ると、彼はデスクから立ち上がって虎徹を見ると、はあーと深いため息をついた。そんなため息をつかれるような何かがあったのか、とびくびくしたが、ロイズは小さく首を振って、思いも寄らないことを口にした。
「その…最近よく、バーナビーくんの部屋に泊まってるんだって?」
「は?……ええ、まあ」
 ロイズにそう問われて、一瞬昨日のことを思い出して虎徹は赤くなった。その反応を見たロイズはぴくりと眉をあげつつ、気が重そうに言葉を続ける。
「まあね、男同士のことだから普通のことなんだが、その…君相手のことだからね」
「はあ…?」
 虎徹のことだからどうだと言うのだろうか。プライベートでまで彼と付き合うと、バーナビーに悪影響があるとでも言うのか。最初はバディで仲良くしろと言っておいて、いまになってそんなことを言われても困る。
 そう思ったけれど、どうにもロイズは歯切れの悪い口調で、よくわからないことを話し続けた。
「君の噂はまあ…聞いてはいるんだよ。社長いわくそれも織り込み済みで、とのことでね。バーナビーくんがそれでいいかはわからなかったから、いままで話題にはでなかったんだが」
「噂…ですか?」
 そこらじゅうにはてなマークを飛ばしながら、虎徹は首をかしげた。自分の噂とはなんだろうか。やたら物を壊すとか、年齢のことなどは周知のことだ。タイガーとしてでなく虎徹本人の性格などは噂になるようなことでもないし、結婚していたとか子供がいるなどの身元の件もそうだろう。
 そもそも、コンビを組んで半年近くたったいまになって持ち出されるような、自分の『噂』の心当たりがなくて虎徹は首をひねる。けれどロイズにとってはそれはわかりきったことらしく、虎徹がわけがわかっていないのにも気づかずに、彼から微妙に視線を反らして話し続けていた。
「以前はバーナビーくんも両親のことでそれどころじゃなかっただろうけれど、これから余裕が出てくればその手の話もでてくるでしょう。わが社としては女性スキャンダルは困るから、その…君たち二人ともが了承済みなら、内々でね、その手の話をおさめたいということで」
「ロイズさん、すんません。言ってる意味がわかりません」
 さすがにわけがわからないまま話を進められるのに困って、虎徹はハイ!と手をあげてそう言った。
「だから!」
 ふざけたつもりはなかったが、虎徹のそのしぐさを見て、ロイズがバン、と机を叩いて怒鳴った。怒ってもわりに淡々としている彼のその態度に、虎徹はびくんっと飛び上がる。
 ロイズは怒鳴ったことが気まずいのかくるりと窓の方を向いてしまうと、後ろで手を組んで、平静を保とうとしているのだとよくわかる声で言った。
「君は同性相手の枕営業をしていたんだろう?それをね、バーナビーくんにもして欲しいという話だよ。彼が女性スキャンダルを起こさないように、君がしっかり『相手』をして!」
「…………枕営業?」
 珍妙な言葉を聞いて、虎徹は思わずおうむ返しに問うた。枕営業とはなんだろうか。枕を売るための営業…ではなさそうだ。つまりあれか。枕で営業…すなわちベッドを共にすることで仕事を取ってくる、というヤツのことだろうか。女性歌手や女優がそういうことをしていると、まことしやかにささやかれる、AV設定の都市伝説のような……
「────まっ、まくらえいぎょう?俺が!?」
 ようやくその単語の意味が頭に入ってきて、思わず虎徹は声をひっくり返して叫んだ。ヒーローにもそういう噂があることは承知していたが、男で…しかもデビューした時にはすでにややトウが立っていた自分がそんなことをしていた、という噂があるなんて、信じられないことだった。いったいどこにそんな需要があると言うのだ。
 しかも、ロイズも社長もその噂を本当のこととして信じているらしい。ちょっと待て、俺だぞ!?と思ったけれど、反芻してみればロイズはバーナビーのことまで口にしていた。
 彼は何と言った?虎徹がやっていた『枕営業』を、バーナビーに対してもして欲しい?女性スキャンダルを起こさないように?───それはどういう意味なのか。
「隠さなくてもね、業界では有名な話のようだよ。まあヒーローと言えど人気商売だからそうしたことは仕方のない話だと理解しているよ。トップマグは小さい会社だったし…うちはスポンサー相手にそういうことはしなくていいから。バーナビーくんのことだけ、くれぐれも頼むよ」
 ロイズは気まずさからか、いつも虎徹を叱りつける時のような滔々とした口調でそう告げる。けれど虎徹はその言葉の内容をまるで聞いていなかった。ただバーナビーに対して『枕営業』をする、というその意味だけがぐるぐると頭の中を回っている。
 虎徹が枕営業を…スポンサーに対して性的な接待をしていた、と社長やロイズが信じていたのは、ありえない話だがまだいい。けれどそれをバーナビーにしろというのは…つまり彼と寝ろ、と言っているのか。女性スキャンダルを起こさないために、というのだから、彼の性的な欲求を虎徹が解消してやれというのだろう。
 そのことも社長が織り込み済みだと言うその意味に、握りこんだ指がふるえたが、それ以上に、虎徹はあるいやな考えにいきついた。考えたくもない、けれど考えてみれば昨夜のバーナビーの行動の意味が、ぴたりと当てはまるその予測。
「……バニー…バーナビーはこのことを…?」
「社長が君のことを織り込み済みで雇った、とは知らないだろうけど、枕営業のことは知ってるんじゃないかい?なにせ有名な話だから」
「そ…ですか」
 そう答えて虎徹はへらりと笑った。もう笑うしかなかった。バーナビーの部屋で目を覚ました時から感じていた、恥ずかしいほどの幸福感が打ちのめされ、絶望に変わる。
 虎徹はその後、わかりました、とだけ答えてロイズの部屋を出た。彼の返答にロイズがなにか言っていたけれど、言い訳のようなごまかしの言葉で、虎徹にはもうどうでもよかった。ふらふらと廊下に歩み出て、そのままほとんど前も見ずにただ歩いた。
 なんだ。そうか…そうだったのか、と虎徹は納得する。
 バーナビーが昨夜虎徹を抱こうとした理由。なんだかおかしなことを言っている、と思ったその言葉の意味。虎徹が初めてだと知ってうろたえたバーナビーの顏───あれは、虎徹が男に慣れていると思っていたゆえの行動だったのだ。
 バーナビーは虎徹が枕営業をしていたと誤解していて、だからちょうどいいと思ったのだろう。復讐を果たしていろいろな楽しみに目を向けるようになった彼は、そうした方面にも興味が出てきて、だけどスキャンダルを起こすわけにもいかないから、手近な虎徹で欲求を満たそうと思ったのかも知れない。
 もしかしたら、社長が枕営業をしていたと思った上で虎徹を雇った、という事実も知っていたのではないだろうか。今日ロイズに言い渡されたように、自分の面倒をみるように言われていると思っていた可能性があった。
「だからかあ……」
 虎徹はヒーロー事業部とは関係のない場所を、ふらふらと歩きながらひっそりと笑った。おかしいと思ったのだ。バーナビーが、男で十以上も年上の自分を抱こうとするなんて。きっとスキャンダルを起こさないようにと言い含められて、仕方なく手近ですませようとした結果だったのだろう。
 それでもバーナビーが抱こうと思ってくれただけでも、まだよかっただろうか。こんなおじさん相手でも、昨晩バーナビーはたしかに興奮してくれていた。性的な意味でだけでも、虎徹を欲しいと思ってくれはしたのだ。
「……だけど最後まで出来なかった、な」
 ふとそのことに気づいて、虎徹はようやくずっと歩いていた足を止めた。バーナビーは虎徹を抱こうとしたけれど、彼があまりに痛がるから途中でやめてしまった。慣れていると思って手を出してみたら、初めてだったと知ってバーナビーはどう思っただろうか。しまった、と思っただろうか。面倒なことになった、とでも。
 いや、虎徹が男に慣れていると思ったから手を出しただけで、バーナビーは本来やさしい男だ。今朝だってメールでさんざん虎徹の体を気づかってくれた。ちょっとした誤解なのだ。バーナビーが悪いわけではない。バーナビーは虎徹のことを誤解して、さらに虎徹がそれを勘違いして、恋人になれるなんて浮かれていただけで、バーナビーが悪いところなんてなにもない。
 そう思うと、欲求を解消しようと男にまで手を出したのに、途中で止めさせられた彼がかわいそうな気がしてきた。虎徹は実際は枕営業などしていなくて、男を愉しませるテクニックなどないから、バーナビーは欲求を解消するあてもないのだ。
「………ロイズさんに頼まれたし」
 会社がバーナビーのダッチワイフになるよう要求していて、バーナビーもそれを受け入れているのなら、いっそそうなってしまおう、と虎徹は思った。誤解だったけれど、誤解じゃなくすればいい。枕営業をするのはごめんだけれど、バーナビーだけを相手にするのなら構わない。虎徹には彼を悦ばせるようなテクニックなどないけれど、いまからでも少しは抱き心地のいいダッチワイフになるよう努力することは可能だ。
 虎徹はそう決めてしまうと、ひとりでうなずいて、これからどうすべきかをつらつらと考えた。考えることに向いていない頭で、ろくでもないことを思いついていたのだった。











 ある意味虎徹が落ち着くことができたその日の午後、バーナビーが撮影を終えて会社に戻ってきた。彼はヒーロー事業部に入ってくるなり、経理の女性には目もくれずに、まっすぐ虎徹の方に来ていきなり頭を下げる。
「虎徹さん、昨日はすみませんでした」
「きっ、昨日?や、おっ…まえがあやまることじゃないし」
 こんなところでなにを言い出すんだ、と経理の女性を横目でちらちら見ながら、それでも昨日のことを思い出して虎徹は顔に血をのぼらせる。けれど一瞬の後にロイズに言われたことも思い出して、のぼせている場合ではないと自分を叱咤した。
 誤解していただけのバーナビーを責めたりしないように、虎徹にひどいことをしたと思って彼が傷ついたりしないように、気をつけてやらなくては、と思う。だけど一度は好かれているのだと思って浮かれていたのだ。すぐに割り切ってどうこうはできなかった。虎徹は嘘がつけない。浮かれていた自分をバーナビーに知られたら、恥ずかしくてもう目も合わせられなくなりそうだった。
「そのことで話がしたくて…今晩あいてませんか?」
 真剣な面持ちでそう言ったバーナビーに、虎徹は困ってへにょりと眉をさげた。別に今晩は用があるわけではなかったが、まだバーナビーと向き合う覚悟ができない。それに、ロイズに言われたように彼の面倒をみるには、まだ少し時間が必要だった。
「今日はまだちょっと」
「……まだ?」
「あ、うん、ちょっとその…ばたばたしてて」
 バタバタもなにも、昨日までは毎晩のいきおいでバーナビーと飲んでいたのだ。いまさらなにを、とバーナビーが眉を寄せるのに、虎徹はすがりつくような目で彼を見上げて必死に言った。
「あのさ、バニー、二週間…十日待ってくれ。そしたらちゃんとするから。な?」
 そう言って首をかたむけると、バーナビーはますます眉を寄せつつも、わかりました、と小さく言った。そしてそのタイミングで、うおっほん、と二人がいる反対側から咳払いが響く。
「……話は終わった?」
 経理の女性が書類を軽くふりながら、しかめっつらで虎徹を見て告げた。
「ミスター・鏑木。この書類処理して欲しいんだけど」




 結局その日は出動もなく平和に仕事を終えた。帰り際、一度はわかりましたと言いつつも、まだしつこく食い下がるバーナビーをふり切って、虎徹は自分のアパートに帰った。途中、ブロンズの路地裏にある、いままで存在は知っていても入ったことのない店に立ちよって、いくつかの物を買ってから帰宅する。
「はー……」
 冷凍ピザの食事を終え、一杯だけ酒をひっかけてから、虎徹はソファのすみに置いておいた紙袋に目をやった。帰りに買って来たものが入っている袋だ。外からは何が入っているかわからないようになっているその袋を見るだけで、なんともいえなため息が漏れる。しかしいつまでもぐだぐだしていても仕方がないだろう、と虎徹はあきらめてその紙袋に手を伸ばした。
「────」
 袋をひっくり返すと、ごろごろと中身が転がり出てくる。ソファの上に出すつもりが、そのうちのひとつが勢いで床まで落ちてと激しい音をたててしまい、虎徹はびくんっと飛び上がった。
「うわっ…」
 なんとなく慌てて拾い上げたそれは、ペニスをかたどった玩具だ。グロテスクな形のそれは色だけはピンクで愛らしく、プラスチックのパッケージに包まれてポップなロゴがついている。ソファに鎮座している他のものも、おおよそその類いだった。
 アナルローター、アナルパール、バイブの細いものと太いもの、それからアナル用のローションとメンテナンス用品一式。
 店で虎徹がかなり長い間戸惑っていると、店員が寄ってきて、さらりと『アナル用ですか。男性ですか女性ですか?』と尋ねてきた。ためらいつつも男用だと答えると、初心者かどうかなど尋ねてきてテキパキとおすすめを教えてくれた。変に愛想がいいということもなくて、虎徹としては正直ずいぶん助かった。
 虎徹はころがった玩具を見てごくりと息を飲むと、店員がすすめてくれた、アナル攻めマニュアルがついているから初心者におすすめだという細身のバイブを手に取った。パッケージをあけておそるおそる取り出すと、ソファの上でスラックスと下着を脱いで、下半身だけ裸になる。
 行儀悪くテーブルの角に足をのせ、膝を軽く立てた状態で脚を開いた。そしてマニュアルを読みながらまずは指にコンドームをはめ、アナルローションで濡らして下肢に手をやる。
「うっ……」
 ぬるん、とふれた感触が気持ち悪くて、下肢をふるわせる。けれどたかがこんな段階で嫌がっていてどうする、と己を叱咤して、指を動かして入口にローションを塗りこめた。そしてもう一度ローションを足すと、今度はそっとそこを押し拡げて中に指を潜り込ませた。
「っ……!」
 ぐっ、と中に異物が入る感覚に、昨日の痛みを思い出して体がすくんだ。今日いきなりためすのはまだ早かっただろうか、と思ったけれど、バーナビーをあまり待たせたくない。そう、これはバーナビーのためにしていることだ。彼の欲求を晴らすべく、虎徹が彼の欲望を受け入れられるように……
「うあっ……!」
 バーナビーの顔を思い浮かべた瞬間、ずくんっと体の奥が脈動した。昨晩、バーナビーはあの綺麗な指を虎徹の中に突っ込んで、そこを慣らそうとしていた。やや乱暴なしぐさだったけれど、その指の動きを思い出すとカッと体が熱くなった。うつくしい、けれど節ばった長い彼の指が動くさまと同時に、のしかかってきていた体の熱と、胸元にかかった息遣いを思い出す。
 あの時バーナビーは確かに興奮してくれていた。虎徹が欲しいとそう言った。男の尻の穴などいじるのは気持ち悪いだろうに、指を虎徹の中にもぐりこませてそこを拡げようとしていた。
「ん───」
 これはバーナビーの指だ、とそう思って、虎徹はゆるゆると自分の中に突き入れた指を動かす。まだそこは痛みがあったけれど、気持ち悪さは軽減された。それに勢いを得て、何度もローションを足して少しずつ後孔を広げていく。
「は……」
 やがてコンドームに包まれた指がなんとか二本入るようになると、虎徹は先ほどパッケージから取り出したバイブレーターを手に取った。より大きい方と違って、こちらはスケルトンだ。透けて見えている電子回路に微妙な気持ちになりつつも、バイブ機能は使わないし、と思ってそれにもコンドームをかぶせた。
 脚の位置を変えてほとんどソファに寝転がるような体勢で、虎徹はゆっくりとそれを自分の後孔に入れていく。
「いっ…て……!」
 指が二本入ったのだから入るだろうと思ったのだが、指と違って曲がらない固いバイブを入れるのは思ったよりきつかった。もぞもぞと腰を動かし、バイブの角度を何度も変えて、なんとか入る方向を見つけて少しずつ少しずつ挿入する。抜くのも怖くて、最早入れているとことに直接ローションをぶちまけて足しながら、ここが一番奥だろうというところまでどうにか突き入れた。
 けれどハアハアと息を荒げながら己の股間に目をやると、透明なバイブの1/3ほどがまだ見えている。まだ全部入っていなかったのか、と戦慄した。入れる前に確認したが、そのアナルバイブは太さは普通の男のものより細身で、長さは普通だった。特に長いわけではないのだ。
「これ、バニーのなんて、入んのかな…」
 昨夜はパニックに陥っていてあまりはっきりとは見ていないが、勃起したバーナビーのものは結構大きかった気がする。シャワールームなどでちらっと見る通常時でも大きいのだから、勃てばかなりのものだろう。それを受け入れようと思えば、相当広げて慣らさなければならない。しかも相手がいることなのだから、自分で角度を探ってバイブをいれるのとはわけが違うのだ。
「ああー…もう」
 男は面倒だな、と思う。受け入れるつもりは満々でも、こんなにいろいろしなければセックスすることもできない。女の体みたいに受け入れるようにはできていないのだ。
「こんなん気持ちいいか…?」
 ためしにゆるゆると中に入れたバイブを動かして、同時にそれを受け入れた場所にふれてみる。当たり前だが男の尻だから固いし、細いバイブをぎゅうぎゅうに締めつけていて、こんなところに突っ込んだら痛そうだ。ローションをこまめに足さなければ濡れることもない。
 オナホールを使った経験はないが、こんなおっさんの尻の穴よりはそちらの方が気持ちいい気がする。バーナビーがオナホールをつかうわけもなかったが、スキャンダルをおこさないためにこんな尻を使わせるのなら、少しは気持ちよくしてやりたい。
 ならばオナホールよりはましなダッチワイフになるには、どうしたらいいだろう。バーナビーを気持ちよくして、男の体しかもたない虎徹で満足させてやるにはどうすべきなのか。
「口でする…とか?」
 そうつぶやいてみると、それはいい考えのような気がした。
 男も女もそこはたいして変わらない。目を閉じさえすれば女にされていると思えるかもしれなかった。むしろ虎徹は女性よりは口も大きいし、多少無理をしても平気だからバーナビーを気持ちよくしてやれるかも知れない。
 そう思いつくと、虎徹は深呼吸をいくつかして、いったん自分の中に突き入れていたバイブレーターを引き抜いた。それからローションでべたべたになった手をティッシュで拭いて、テーブルから落ちてしまっていた携帯電話を拾い上げる。
 スマートフォンで有料の動画サイトをあさるってみると、フェラチオをテーマにした動画が大量にヒットする。プレビューをざっと見て、なんとなく金髪白人の男優のものを選んで二つほどダウンロードした。四苦八苦して慣れない課金登録をしていると一抹のむなしさが込み上げたが、バーナビーのためだと自分を納得させてどうにか動画を表示させる。
 前置きをすっ飛ばして真ん中あたりを再生すると、女の隠語交じりのあえぎ声と、じゅぶじゅぶというリップ音が携帯から響いてくる。わざとらしい声は虎徹の好みではなかったが、そういう目的で見ているわけではないから気にしないことにする。
 虎徹は、今度はピンク色の大きい方のバイブレーターのパッケージを開けると、迷ったすえ、それをソファの座面に置くような形で手で固定した。ソファの上に乗り上がり、わざわざ四つんばいの体勢になってそれに顔を寄せてみる。───バーナビーのそれを、咥えることを想定して。
「んぐ……」
 画面に表示されている女がしているように、思い切り口の中にふくんでみたけれど、いきなりそれはきつかった。片手でスマートフォンを操作して映像をもどし、まだ何ごとかを話しながら、男のものを弄んでいる画面にしてみる。
「ん…こう……かな?ここ…?えっと、こうして…?」
 れろ、と舌を出し、手でバイブの根本の方をこすりながら、映像を見てあちこち舐め回してみる。さきっぽを咥えて舌先でくるくると舐め、カリをかたどったあたりを尖らせた舌でなぞる。
 ソファの上で下半身裸のまま、中年男が四つんばいになってそんなことをしているさまは、もし見るものがいればかなり滑稽だっただろうけれど、虎徹は真剣だった。バーナビーを気持ちよくしてやるために、真剣に勉強をしていたのだった。




 その日から毎晩、虎徹はフェラチオの練習とアナルの拡張をするようになった。二日目になんとか細いバイブは入るようになり、三日目には動かしながらしめたりゆるめたりできるようになった。四日目にはもう一本太いバイブを買ってきて、フェラの練習と後ろへの挿入を同時に試みる。
 一週間ほどで、太いバイブもかろうじて入るようになったが、その間虎徹はバーナビーのなにか言いたげな視線から逃げ回っていた。
 バーナビーは毎日忙しかったが、それでも帰り際やそのまま直帰なる仕事に出て行く時は、虎徹に近づいて『今晩…』と話しかけようとしていた。それに対して虎徹は、『今日はまだだめだ!』とにべもなく返して相手にしなかった。
 たぶんバーナビーは改めて謝ろうとしてくれているのだろうが、虎徹が枕営業していて男慣れしていると誤解していたから、抱いてもいいと思った、などと言い訳されたら、実際その通りだとしてもダメージが激しくて、平然とした顔ができる気がしない。それよりはバーナビーの謝罪をスルーして、当初の予定通りさっさと彼のダッチワイフになってしまいたかった。そしてそれには、まだ少し虎徹の体の準備が整わないのだ。
 バーナビーとのあの夜から一週間経ったその日も、虎徹はソファで脚を拡げてアナルの拡張をしていた。大きい方のバイブはまだきつかったが、すこしずつなら動かせるようになった。セックスのように激しく動かすのはまだできないが、そろそろバーナビーのものを受け入れられるようになってきたのではないかと思う。
「ここに…バニーの……」
 あの夜のことを思い出して、そして改めてそれを入れられることを想像している自分自身が恥ずかしくなって、虎徹はカッと顔を赤くする。十日待ってくれ、と言ったが、その間にバーナビーはそんな気などなくしているかもしれない。虎徹はバーナビーのためにがんばってみたが、無駄なことをしていた可能性もある。
 そもそもどうやって誘いをかければいいのだろうか。『よ、バニーちゃんいっぱつやらない?』とか?『おまえたまってるんだろー。スキャンダル困るって言われてるもんな。おじさんが相手してやるよ』とか?
 どうもそんな誘いにバーナビーが乗る気がしないが、それを言ったらあの夜だって虎徹にそんな雰囲気があったわけでもない。当たってくだけるしかないかな、と思って、虎徹はバイブを自分の中から引き抜くと、今日の『お勉強』を終わらせることにした。
 バイブからゴムを外して捨て、脱ぎ捨ててあった下着とスラックスをもう一度身につけた時だった。プルル、と軽い振動と共にテーブルに置いてあった携帯が鳴りはじめたのだ。
「──────」
 電話を手にとって、表示されている名前に指先がふるえた。無視しようかと一瞬思ったけれど、そろそろ覚悟を決めなければならない、とそう思って虎徹は電話に出た。
『虎徹さん?』
「ば、ばにー?」
 はい、といらえを返す間もなく呼びかけられて、耳元で響く声になぜだか動揺する。電話の向こうでバーナビーはほっとしたように息をつくと、短く問い掛けてくる。
『いまどこに?』
「どこって、家だけど」
『家にいるんですね?』
 しまった、と思ったがもう遅い。いま忙しいからと毎日の誘いを断っていたのに、これでは用などなかったと言っているようなものである。しかし実際『用』はあったのだ。家に帰って、バーナビーのダッチワイフになるための『お勉強』が。
「家にいるけど、ちょっとやることがあったからさ。ごめん、バニー」
 ほんのさっきまでやっていたことへの後ろめたさもあって、虎徹はやや早口でそう告げた。おまえをないがしろにしているわけじゃない、とそう言いたかったけれど、言えばどうして誘いを断るのかと聞かれるだろう。いずれ言わなければいけないのはわかっているが、いまこの電話越しにそれを話したくはなかった。
 けれど次にバーナビーが言った言葉で、そんな考えもふっとんでしまった。
『どうしても先日のことを謝りたくて…僕、あなたの家の前にいるんです。入れてくれませんか』
「家の前!?」
 虎徹は驚いて素っ頓狂な声をあげると、慌てて玄関へと走り出た。外を確認しもせずに鍵をあけて扉を開くと、そこにはこのアパートに不似合いなきらきらしいハンサムが立っている。
「こんばんは、虎徹さん」
 バーナビーはグラビアで見るような笑みを浮かべて、けれどその緑の瞳を不安定に揺らして虎徹を見ていた。そこにすがるような色を見つけて、ああ、自分は彼を不安にさせていたのだ、と虎徹はそう思い知った。
「中、入れてください」
 有無を言わさずそう言われて、虎徹はここにきて彼を拒む理由を見つけられずに、ただ黙ってうなずいた。






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